都営バス上23系統

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謎の系統番号   もとは41系統として平井駅~押上~東日本橋~東京駅を結んでいた。その後短縮や分割を経て出来たのがこの平23乙である。ここで謎なのは、なぜわざわざ元から存在する平23(前ページ参照)の枝系統であるかのような番号を付けたのかである。もちろんこの2つは出自も別ならば、一緒になっていたという事実もない。路線成績も別建てであり、案内の観点からも一緒の番号というのはいただけない。唯一理由を挙げるとするならば、この名をつけた当時は所管が同じだったことであろうか。いっぺん当時の責任者に話を聞いてみたいものだ。  開通当時は押上止まりとあまり利用価値が無かったが、2年後には両国駅まで延長、平成2年には錦37と経路を振り替える形で何と浅草・上野まで延長し、下町を横断する長い路線となった。平成13年には東墨田地区の経路を単純化するのと同時に「上23」と漢字を変更し、これで二重状態はようやく解消されたのである。

墨田区役所経由  平成2年に墨田区役所が両国・横網から吾妻橋のそばに移転し、区役所輸送として門33折返・豊海水産埠頭~墨田区役所が開設された。しかし2年ほどでこれは廃止され、改めて平23乙の枝線として、新四ツ木橋から八広・押上駅・本所吾妻橋・墨田区役所(新四ツ木橋発のみ)を経由して浅草寿町に至る路線が作られた。押上駅付近で通常の平23乙と経由が異なったり、新四ツ木橋を終点としたのは、既存の路線を使っても新・墨田区役所に行けない地域を解消するねらいがあったのだろう。  この系統は「平23乙折返」と名付けられた。経路が違うが、行き先が同じ(浅草寿町行きは本家・平23乙にも存在する)という設定はやはり問題があるように感じる。それだったら現在の平23乙も同様に上野方面を全て墨田区役所経由とすれば……と思ったが、そうはならなかった。結局平23乙折返は本数も少なく、乗客も少なかったこともあって上23の改番の際に廃止された。しかし墨田区役所経由は上23・平井駅発として存続した。通常経由の他に押上駅・墨田区役所経由が存在することになり、誤乗防止のために幕が緑色になった。ついでに番号も変えてあげればより良かったと思うのだが……。

木下川小学校 「きねがわ」と読む。かなりの難読地名である。向かいの葛飾区にも「きねがわ」の名が見えるが、あちらは「木根川」。どうやら昭和の初期に、読みにくいためか地名の漢字を変更したためらしい。本来は「きけがわ」と呼び、室町時代には「木毛河」と表記していたものの、その後「木毛川」に変化し、訛った結果現在の読み名になったらしい。  さて、そこにある小学校が木下川小学校である。平成13年の改編で都道の開通とともに東墨田地区の経路が簡略化それ、新たに入庫用として木下川小学校行きが誕生した。またこの経路変更前は「木下川小学校正門入口」なる停留所も存在し、どんな大きな小学校かと思って行ってみると……その小学校は、児童数30人未満という墨田区でも一番小さい小学校であった。アットホームな雰囲気が売りだったらしいが、結局時代の波には逆らえず、第五吾嬬小・更正小とともに統合され、廃校となった。それでも、バス停の名称は木下川小学校として残っている。行き先にもなっているため、変更したらしたでコストが大きいためであろう。(→その後、東墨田会館に改称された)

平井操車所行き  平成15年4月の改編で、平23が平井操車所~平井駅を短縮するのにともなって出来た代替系統である。もっとも、平井操車所から歩いてすぐのところに平井六丁目交番停留所があるため、影響は少ないと見られたためか、必要最低限の出入庫としての本数しか走っていない。もともと上23は平井駅に到着後、平井操車所まで回送して休憩する運用が存在したが、それを営業運転させることで落ち着いたようである。