立憲帝政党

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立憲帝政党(りっけんていせいとう)は、明治時代の政党。結成は1882年。勃興する自由民権運動に対して、政府支持政党として結成された。

概要[編集]

1882年3月13日自由党立憲改進党などの民党に対抗し東京日日新聞社長の福地源一郎(桜痴)、明治日報丸山作楽東洋新聞水野寅次郎によって結成された。4月4日には大阪で機関紙である大東日報を創刊(社長羽田恭輔・主筆原敬)する。

立憲帝政党は、国粋主義的な天皇主権欽定憲法の施行・制限選挙・主権在君などを政治要綱に掲げた。自由党や立憲改進党に対抗する政府与党を目指し、国学者、旧士族層や有力商人、高級官吏、神官・僧侶ら宗教家など体制擁護を意図する保守層の支持を受けたが、組織が弱く、さらに政府が超然主義を採ったため存在意義を失い、翌1883年9月24日に解党した。

なお、大東日報は解党以後も独立系の政府派新聞として存続し、1885年5月15日には内外新報と改題するものの、1887年4月8日に廃刊している。