霊友会

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霊友会釈迦殿(東京タワーから)
霊友会釈迦殿(地上から)

霊友会(れいゆうかい)は、法華系の新宗教である。信者数は3,563,300人(海外含む)-2012年12月31日現在。

  • 霊友会(末吉祠会長) 「霊友会」:東京都港区麻布台1-7-8

歴史[編集]

  • 1920年 - 創立者の久保角太郎西田無学の思想と行法を知り、それをきっかけとして本格的な法華経研究と在家による実践方法の模索に入る。
  • 1924年 - 若月チセらと第一次「霊友会(南千住霊友会)」結成するが、若月らに菩薩行としての趣旨が理解されず、その後袂を分かつ。
  • 1927年 - 実兄の小谷安吉・小谷喜美らとともに「赤坂霊友会」として活動を開始。
  • 1930年 - 小谷喜美を初代会長とし、久保角太郎が理事長として「霊友会」として発会式を行う。「在家による法華経の菩薩行を実践する団体」として発展。
  • 1944年 - 久保角太郎他界。その後、小谷喜美を中心に戦後大きく教勢を伸ばしていくが、多くの分派を生むに至る[1]
  • 1952年11月15日 - 宗教法人法による宗教法人となる。
  • 1971年2月 - 小谷喜美死去後、久保角太郎の子息である久保継成が会長に就任。「インナートリップ」を提唱し若者をターゲットとした布教方針を掲げた。
  • 1993年11月18日 - 久保継成は集団合議制を確立する為に会長職を辞任、理事長に就任。
  • 1996年9月4日 - 濱口八重が後継会長に就任。久保継成は別グループを形成して活動。
  • 2000年5月18日 - 濱口八重会長死去により大形市太郎が会長に就任。
  • 2003年 - 久保継成のグループを離れ、第七支部の松本廣を中心に独自に別グループを形成。団体名称「Inner Trip REIYUKAI International」という国際団体として独立。日本国内において団体名称を「ITRI日本センター」とし、所在地を東京都港区虎ノ門5-6-11に置く。
  • 2004年8月27日 - 久保継成は久保を支持する会員と共に霊友会から完全に独立、本部を東京都港区元赤坂に置き、「在家仏教こころの会」を結成。
  • 2013年4月8日 -大形市太郎会長死去により末吉祠が会長に就任。

教義[編集]

霊友会の目的は、在家が法華経により菩薩行を実践することと、その普及にある。

その基本は、自分自身のあり方を理解する事にある。言い換えれば、仏教の縁起観によって自分自身を捕らえなおすということである。仏教の縁起観によれば、あらゆるものは相互依存の関係によって成り立っており、それ自体の固定的な実体をもつものはないとされる。自分という存在も、時間的・空間的なさまざまな関係性の中で現象しているものであり、それらの関係性を理解していく事が、自分自身のあり方を理解する事に繋がる事になる。

霊友会の修行では、自分に繋がる父系・母系双系のすべての先祖との関係性と、日常生活において触れ合うすべての他者との関係性の中に、これまでの自分のあり方が反映されている事を認識し、それらについて内省して自身のあり方の問題点に気付き、その気付きを基に日常の行動パターンを変革していく事が重視される。

具体的には、自分に繋がる父系・母系双系のすべての先祖を象徴した「総戒名」と呼ばれる、一種の時間軸における関係性の象徴を前にして、日々、「青経巻」と呼ばれる、法華三部経からの抜粋を中心に編纂された経巻を読誦する。これを霊友会では「先祖供養」と呼んでいるが、これは、旧来の男系中心の家制度に基づく儒教的な影響を受けた日本の伝統的祖先崇拝とは発想を異にするもので、上述したとおり、自分という存在を縁起観で捕らえ直す純仏教的な修行の一環として位置づけられるものである。

しかしながら、この「先祖供養」という用語により、会の外部はもちろん、霊友会の会員自体の中にも大きな誤解が生じ、それが霊友会の本来の趣旨が正確に伝わらなかった大きな要因になったことは否定できない。

本来の霊友会の趣旨では、先祖は祟るものでも依存する対象でもなく、父系母系双系のすべての先祖との関係性はDNAの例を見ても分かるとおり、現在の自分自身の中に集約されており、それら先祖の象徴である「総戒名」を前にして法華経を読誦すると言う行為は、広い意味での自分自身の象徴の前で、自身に対して経を聞かせるのと同義なのであった。と同時に、先祖を他者として考えた場合も、自分と同じく先祖一人一人も仏道に導かれるべき衆生であり、自ら読誦する法華経を共に聞くことによって、共に仏道に目覚めていくことが意図されており、そういう意味でもいわゆる菩薩行の一環と位置づけられるものである。

このような菩薩行としての「先祖供養」に加え、上述したとおり、日常生活において日々触れ合う他者との関係性にも、自己のあり方が反映されていることを認識し、そこから学び反省し自らの行動を変革する事によって、それらの関係性をよりよいものにしていくことが期待される。霊友会における、経の読誦はそのような内省と「気付き」の為の時間としても重視されるのである。

また、そのような自らの「気付き」と変革の努力の成果を、他者とも分かち合う事によって、他者にも、それぞれの「気付き」を誘発し、それが彼らに関係する他者の「気付き」を誘発するという「悟りの連鎖」の輪が広がることが、期待される。

このように、霊友会の修行は、自らの悟りと他者の悟りを同時に希求するという法華経が唱導した「菩薩行」を実現するものであり、先祖の供養も含めてすべての活動が菩薩行の一環であるとされている。

分裂・分派発生と解釈の多様性の要因[編集]

創立者である久保角太郎によって発想された在家の菩薩行としての霊友会の修行体系の上記のような趣旨が、必ずしも正確に会員に徹底されていたとは言いがたい。

その要因の一つは、霊友会が個人一人一人の自らの体験を重んじ、理屈だけで分かった積りになる事を避ける為に、敢えて教条化された「教義」というものを提示せず、「人を見て法を説く」というポリシーを貫いたことにある。ただ、そのようなポリシー自体は、釈尊の基本姿勢に忠実に従ったものであり、本来、画期的であるとさえ言えるものである。しかし、その画期的なポリシー故に、人から人に伝わるうちに、様々な独自な解釈が入り込む余地を残してしまったことも否定できない。

教条主義で塗り固められ、全ての信者が同じ考えで同じ行動様式をとるのも、不気味であるが、霊友会のように個人の自由と主体性が重んじられるあまり、様々な解釈や様々なグループの分立を許してしまうのも、教団の大きな弱点の一つになっていると言えよう。

霊友会から、分派した団体は主なものだけでも十数団体を数えるが、それぞれの団体の解釈には大きな幅があるようである。

当の霊友会本体においても、本来、「先祖供養」は菩薩行の一環としての手立てであったはずだが、いつの間にかそれ自体が目的化して、霊友会の教えは「先祖供養」であるというようなとらえ方が目立つようになり、菩薩行の実践という本来の目的が見失われるケースが少なからず見られた。

創立者の久保角太郎の子息である久保継成は、そのような解釈のずれを修正すべく、さまざまな改革を断行したが、趣旨の徹底に成功したとはいえない。個人の体験と主体性が重んじられる会の体質においては、誰の意見であっても相対化されてしまう傾向があり、特定の解釈を浸透させる事は容易な事ではなかったようである。

久保継成は結局、会内部での改革をあきらめ、改革の趣旨に賛同した会員達とともに、在家仏教こころの会という別団体を設立する事になる。

政治活動[編集]

宗教右派・右翼系政治団体『日本会議』に代表委員を送り込み参加している。

著名な信者[編集]

  • 石原慎太郎
    霊友会信者であり、政界進出にあたり支持をとりつけて大量の組織票を獲得した。霊友会の定期刊行物「あした21」に寄稿するほか、イベントにも参加している。
  • 花田勝治
    元横綱。長男を不慮の事故で亡くした後に入会している。他の花田一族も信徒である。
  • 松ヶ根親方夫妻
    現役時代に入会。部屋を興した後も夫妻で活動。

脚注[編集]

  1. 主な分派として、立正佼成会思親会佛所護念会教団妙智会教団妙道会教団大慧會教団正義会教団法師宗などの新宗教の団体が挙げられる。これらを総称して霊友会系教団と分類することが多い

参考文献[編集]

  • 週刊ダイヤモンド、2009/09/12、特集 ”新宗教”

関連項目[編集]

外部リンク[編集]