町田街道

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町田街道(まちだかいどう)は、東京都八王子市東浅川町の町田街道入口交差点(国道20号交点)から町田市中心部を通って、町田市鶴間の町田市辻交差点(国道246号交点)までを結ぶ道路の通称である。俗に町街(まちかい)と呼ばれる。ここでは、町田街道のバイパスとして整備が進められている新町田街道についても併せて記述する。

町田市内の全区間が東京湾鶴見川水系)と相模湾境川水系)の分水界で、武蔵国と相模国の国境となっていた境川に沿ったルートとなっている。

概要[編集]

町田街道は、町田市を北西から南にほぼ縦断する主要道路で、後述の通り江戸後期から明治期にかけて多摩・甲州・上州などと横浜との交易に用いられた絹の道八王子街道神奈川往還)の一部である。

終日に亘り交通量が非常に多く、路線バスの主要な運行経路にもなっている。しかし、都市計画や路線整備の遅れもあって、2013年現在でもほとんどの区間が幅員に余裕のない片側一車線道路であることや、周辺道路との交差や信号機が多いこともあって交通の流れは良好とはいえない。境川を挟んだ神奈川県側を並行する国道16号など、周辺道路の混雑時に通過交通の流入が起きることもあり、特に市内南部(鶴間金森)や北西部(小山)などでは激しい渋滞が慢性化している。

町田市中心部では、後述の経緯もあって駅前の商店密集地を貫くルートになっていることもあり、1960年代までにはこれを迂回する片側1.5車線のバイパス(滝の沢交差点から三塚交差点、通称五間道路)が整備され、以後の交通の流れはこのバイパスがメインとなっている。なお、商店密集地を貫く本線(旧道)のうち、町田駅脇の小田急線玉川学園8号踏切から町田ターミナル付近まで(原町田4丁目、6丁目)は、町田駅前のメインストリートの一つ(原町田中央通り)で、一方通行になっているほか、時間帯や日によって歩行者天国となる。

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町田3・3・36号線

慢性化した町田街道の渋滞対策として、相原付近 - 常盤駐在所間の拡幅整備と、常盤駐在所交差点から芹ヶ谷公園付近にかけて更なるバイパス(都市計画道路町田3・3・36号線、通称新町田街道)の整備が進められており、新道は一部区間(常盤駐在所 - 町田木曽団地間)が既に供用されている。計画上では、整備予定の全区間が片側2車線以上となっているものの、桜美林学園付近 - 町田木曽団地までは多摩都市モノレール町田延伸構想の導入空間として広い中央分離帯を確保しており、当該区間においては(2013年現在では)片側1.5車線としての供用となっている。

町田駅付近旧道の一部と新町田街道の一部を除いて、全区間が都道となっている。各区間のデータに関しては下記の項目を参照のこと。

歴史[編集]

江戸後期から明治期には、八王子を集荷地とし横浜港の輸出を結び最大の貿易商品を運ぶ街道(いわゆる八王子街道・神奈川往還)として繁栄し、現在は「絹の道」と名づけて記念している。八王子と横浜のほぼ中間となる原町田が中継地だったことで市街地も発展し、これを記念して町田駅前の旧道に「絹の道」の碑が立てられている。なお、町田街道とは別に浜街道と呼ばれる絹の道のルートも存在する(浜街道は現在の国道16号の旧道に相当する。町田街道が旧来の道を幅を広げ発展したのに対し、浜街道は軍都計画のため、明治期以降全くの新しい道に姿を変えてしまった)。

ただし、当時の「絹の道」は、八王子との間の山越えのルートは国道16号に近い八王子市鑓水付近を通っており、それよりも西の八王子市館町付近を通る現在の町田街道とは、北西部の一部で経路が異なる。

なお、八王子から横浜までの運輸を目的に1908年明治41年)に横浜鉄道(現在のJR横浜線)が開業している。

関連項目[編集]