浦和駅

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浦和駅

浦和駅(うらわえき)は、埼玉県さいたま市浦和区高砂一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)のである。

概要[編集]

1883年上野熊谷を結ぶ県内初の鉄道の開通と同時に開業し、さいたま市内で最も古くに開業した駅であるほか、県内でも最も古い駅の一つでもある。駅の施設は同じさいたま市内にある大宮駅に比べ小規模だが、埼玉県庁及びさいたま市役所の最寄駅であり、JTBパブリッシング交通新聞社(都道府県代表駅の記号がない「東京時刻表」を除く)の時刻表における県・市の代表駅として記載されている。

駅周辺はさいたま市の都市計画の中で「県都の玄関口」として再開発が進められ、当駅も全面高架化の工事が進められた(詳細は後述)。

かつてはほとんどの利用客が官庁街や商業地区のある駅西口を利用し、駅東側には近隣型の商業地区と住宅地が広がっていたが、駅東口の再開発による浦和パルコの開店や東口バスターミナルの整備など、近年では駅東口も賑わいを増しつつある。古くから「鎌倉文士浦和画家」と称される文教都市のイメージを守るために駅周辺は県庁所在地であるものの、風俗店はなく、大型商業施設、娯楽施設、家電量販店は少ない。そのため高級料亭なども駅からすぐ近くに立地している。

歴史[編集]

  • 1883年明治16年)7月28日 - 開業。日本鉄道が現在の東北本線・高崎線にあたる鉄道の一部である上野 - 熊谷間を開業した際に開設された。当時の駅は上野王子・浦和・上尾鴻巣熊谷のみで、当駅は現在の東北本線の列車停車駅では上野駅などと並ぶ最も歴史のある駅である。
    • この際、当駅は旧浦和宿の中心ではなく、埼玉県庁に近い宿場町南東側の外れに設けられた(本陣などの置かれていた旧宿場の中心は現在の浦和センチュリーシティがある交差点付近)。
    • 開業から間もない頃は2面3線の地上駅であった(旧浦和市作成の浦和駅前再開発に関する広報に写真の掲載あり)。
  • 1890年(明治23年)12月 - 東北本線赤羽 - 大宮間複線化。
  • 1906年(明治39年)11月1日 - 買収により国有化される。
  • 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、東北本線の駅となる。
  • 1931年昭和6年)12月1日 - 東北本線 - 与野間の貨物線2線が増設され複々線化。貨物線は当駅にホームを設置しなかった。
    • この頃、当駅は西口と東口にそれぞれ木造の駅舎を構え、その間を地下通路でつなぐ現在に近い構造になっていた。西口改札を入ったところが開業時の本屋側ホーム跡であったが、ここを走る貨物線には列車が停車しないため、木製の柵が設けられていた。
  • 1932年(昭和7年)9月1日 - 東北本線電車(現在の京浜東北線)が大宮駅まで延伸開業し、当駅を含む区間で運行を開始。この時から高崎線と東北本線の列車のほとんどが当駅を通過するようになった。1968年の東北本線6線化まで京浜東北線電車と東北本線の中・長距離列車が同じレール上を走っていた。また、当駅南西に貨物駅が併設されており、貨物駅の配線が西口駅舎ぎりぎりまで伸びてきていた。この場所は現在東北貨物線が高架で跨いでおり、そのガード下に保線区が設けられている。
  • 1960年(昭和35年)1月15日 - 貨物取り扱いを廃止する。
  • 1967年(昭和42年) - 東北本線赤羽 - 与野間6線化に備え、西口駅舎を改築、2012年まで存在した2階建て西口駅舎が竣工する。
  • 1968年(昭和43年)9月25日 - 東北本線赤羽 - 与野間に電車線2線が増設され6線化。京浜東北線と東北本線列車が初めて分離される。早くから市街化が進んでいた当駅周辺では新たな2線分の土地を確保できず、貨物駅のあった土地に高架の新設貨物線を通し、旧来貨物線として使われていたスペースに東北本線列車(高崎線列車含む)を通したため、地上を走る電車線、旅客線と西口駅舎背後を高架で走る貨物線という状況となった(いわゆる「通勤五方面作戦」の一環)。
  • 1968年(昭和43年)10月1日 - 東北本線列車旅客線にホームを新設。朝夕ラッシュ時のみ中距離列車が停車を開始[1]
  • 1982年(昭和57年)11月15日 - 中距離列車の終日停車を開始。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
  • 1999年平成11年)12月27日 - 駅のコインロッカーが爆発して2人軽傷[2]
  • 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
  • 2004年(平成16年) - 高架化工事開始。
  • 2007年(平成19年)1月14日 - 1番線高架化。
  • 2008年(平成20年)5月18日 - 2番線高架化。
  • 2009年(平成21年)12月20日 - 3番線高架化。
  • 2011年(平成23年)3月6日 - 4番線高架化、高架化工事完了。
  • 2013年(平成25年)3月16日 - 駅周辺高架化工事完了に伴い、東北貨物線にホームを新設。湘南新宿ラインと東武直通特急日光・きぬがわ・スペーシアきぬがわ、また大宮発着で運転される臨時のスーパービュー踊り子が停車となる。また同日にはこれを記念して浦和駅 - 熱海駅間に団体臨時列車「湘南新宿ライン浦和駅停車記念号」が253系を用いて運転された。
  • 2013年(平成25年) 7月20日 - 開業130周年を前に浦和駅 - 横川駅間に団体臨時列車「浦和駅開業130周年記念号」が485系ジョイフルトレインNO.DO.KA.を使用して運転された。
  • 2013年(平成25年) 7月28日 - 開業130周年を迎え、浦和駅の記念入場券等が発行された。

上述の通り、かつては貨物駅を併設しており、貨物扱いを行っていた。当時から浦和郵便局(現・浦和中郵便局)が当駅至近にあるのもその名残りである。

貨物扱いがなくなり、また今回の高架化工事を前に東北列車線ホーム南側にあった保線機械用の留置線が撤去されたことで、駅構内にポイントが一つも存在しない駅となった。

乗り入れ路線[編集]

乗り入れている路線は、線路名称上は東北本線の1路線のみである(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)が、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および中距離電車である宇都宮線(東北線)高崎線の列車が停車し、旅客案内ではそれぞれ別路線として案内されている。かつて宇都宮線と高崎線は列車線で運行される上野駅発着列車のみが停車し、東北貨物線を走行する湘南新宿ラインは当駅に旅客ホームがないため通過していたが、2013年3月16日のホーム供用開始とともに停車駅となった[3]

駅構造[編集]

島式ホーム3面6線を有する高架駅。1・2番線のホーム有効長は10両編成分、3・4・5・6番線は15両編成分である。5・6番線は1・2・3・4番線より一段高い位置に設けられている。以前は高架の貨物線に圧迫されるように地平ホームが所狭しと並ぶ駅であったが、浦和市(現:さいたま市)による駅周辺再開発事業の一環として隣接する建築物ぎりぎりまでの土地の拡張と全面高架化工事が行われており、周囲の大小の商業・業務ビルに挟まれた手狭な土地を最大限に利用しつつ、コンパクトにホームを配置した都心部の高架駅の様相を呈している。ホーム高架化に合わせて乗り換えコンコースとホームとの間には階段に加えエスカレーターエレベーターが設置された。ホーム下に乗り換えコンコースを有し、コンコースの南側に中央改札口が設置されている(今後コンコース北側の高架下スペース開発にあわせて北口改札の開設も予定されている)[4]

。中央改札口の外に駅の東西を連絡する幅25mの自由通路が設けられており、西口と東口の高低差を埋めるため改札を出て西口側には上り階段とエスカレーター、エレベーターが設けられている。中央改札口横に、みどりの窓口びゅうプラザが設置されている。改札外に1か所、改札内に1か所コンビニエンスストアNEWDAYSが設けられているほか改札内コンコースに飲食店などが出店している。

駅の外観としては、すでにほぼ完成している駅の東側は駅前広場に面する部分がエメラルドグリーンの全面ガラス張りとなっている。駅西口に関しては2017年度を完成目標に6階建ての駅ビル建設が予定されており、これに隠される形となるためホームは防風壁で覆われており、東西自由通路から駅前広場に出る通路も仮設のものとなっている。西口駅舎南側にはホテルメッツ浦和があり、駅直結のビジネスホテルとして機能している。

最初の計画では、2008年で工事は終了する予定であったが、2013年3月16日に高架化が予定より遅れて完了し、その後も高架下の商業施設や駅ビル建設などで工事が続いている。

工事開始以前の当駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅だった(貨物線は旅客線の斜め上を高架線で通過)。東北貨物線が西口駅舎と東北旅客線の間を地上2階の高さで通過している構造上乗り換えのための跨線橋を造ることが困難であり、JRの地上駅としては珍しく跨線橋ではなく東西両駅舎を結ぶ地下通路が各ホームへの連絡を行っていた。そのためもあり跨線橋に比べ乗り換え通路の拡幅工事が容易ではなく、結果として1960年代に整備された駅構造を2000年代まで保つこととなり、増える旅客需要やバリアフリーの要求に応えることが難しくなっていた。また貨物線の直下に西口駅舎から地下通路に向かう階段が位置することや狭隘な土地条件から貨物線にホームを新設することができず、2013年3月16日のダイヤ改正まで永らく湘南新宿ラインやその前身である宇都宮線・高崎線の赤羽(後に池袋)発着列車は普通列車も含め当駅を通過していた。そのため、該当列車(115系など)の行先票には(浦和通過)という文言が入っていた(例:「池袋(浦和通過)」)。

宇都宮線・高崎線上り(3番線)は、ラッシュ時や3分前(特急発車後など)に上り電車が出発した際は当駅で2分程時間調整をすることがある。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 京浜東北線 南行 南浦和上野東京方面
2 北行 北浦和与野大宮方面
3 宇都宮線(東北線)・高崎線 上り 赤羽尾久・上野方面
4 下り 小山宇都宮高崎前橋方面
5 湘南新宿ライン 南行 赤羽・池袋新宿横浜方面
6 北行 大宮・高崎・宇都宮方面
さいたま新都心通過)
  • なお、浦和駅は西口の方が旧浦和宿に近く、乗降客も多いが、東側から順にホームを増設していった歴史的経緯もあり東口側が1番線である。

発車メロディ[編集]

発車メロディは、1番線は地元のプロサッカークラブである浦和レッズの要請によりクラブ公式応援歌「Keep On Rising」を、2007年10月1日から使用している[5]。このほか、2番線はさいたま市歌「希望のまち09」、3・4番線はテイチク製の曲、5・6番線は東洋メディアリンクス製の曲がそれぞれ使用されている。以前は1番線や5番線で「希望のまち06」と呼ばれる、2番線のものより曲が短いものが使用されていた。

高架化工事及び湘南新宿ラインホーム新設[編集]

浦和の市街地は長い間線路によって東西に分断されてきたこともあり、線路の高架化と駅周辺再開発事業が実施されることになった。このうち駅高架化工事は、利便性が出てきた湘南新宿ラインの停車ホームを捻出するため、1線ずつ東側へずらす方法で、以下の順序によって行われた。

  1. 京浜東北線の東側に高架建設用の用地を確保。また、南側の東北列車線の上下線間の保守側線を撤去し、列車線と京浜東北線のホームと線路を西へ移設するための線路切り替え。東側に用地を捻出(2004年頃完了)。
  2. 京浜東北線の東側に高架線路とホームを建設し、京浜東北線南行(1番線)を新設の高架線に移設(2007年1月14日完了)。
  3. 旧南行線上に高架線路を建設し、北行(2番線)を新設の高架線に移設。これにより京浜東北線高架ホームが完成(2008年5月18日完了)。
  4. 旧北行線上に高架線路とホームを建設し、東北旅客線(宇都宮線)上り(3番線)を新設の高架線に移設(2009年12月20日完了)。
  5. 旧上り線上に高架線路を建設し、下り(4番線)を新設の高架線に移設。これにより東北旅客線高架ホームが完成(2011年3月6日完了)[6]
  6. 旧下り線上に高架線路を建設し、東北貨物線南行を新設の高架線に移設(2012年7月8日完了)。
  7. 東北貨物線(湘南新宿ライン)の5・6番線ホームを建設(2012年春施工開始・2013年3月16日完了)。

完成後は、前述した通り京浜東北線の10両編成対応ホーム1面2線と宇都宮線・高崎線の15両編成対応ホーム2面4線の計3面6線を有する高架駅となり、貨物線を走行する湘南新宿ラインも停車駅に追加されている。湘南新宿ラインの停車により横浜方面へのアクセスが既存の京浜東北線と湘南新宿ラインと選択できるようになり、従前の赤羽駅での乗り換えが解消された。また、さいたま市内の京浜東北線沿線では初の全面高架駅となっている。各ホームにはエスカレーターやエレベーターも設置され、長年の懸案であったバリアフリー化に関しても改善された。なお、同一ホーム上で東北列車線と東北貨物線が乗り換えが可能な構造とはなっておらず、乗り換えコンコースにおける発車案内もホームごとに別々の案内機で掲示されているため、当駅から宇都宮線、高崎線の下り方面列車に乗車する場合4番線と6番線双方の発車案内を見る必要がある。

高架下には先述した幅員25m・長さ約50mの東西自由通路が設けられ、駅の東西を結び改札が駅中央に集約された他、幅員約4mの仲町地下道が平面化され10mに拡幅された。さらに地下道も2ヶ所新設される予定である。駅南側で鉄道と交差する都市計画道路田島大牧線も高架より東側の幅員が25mに拡幅され、歩行者や自動車にとって東西の交通が円滑になった。西側は平成26年度末の供用を用見込んでいる[7]。また、東口駅前に関しては2014年9月を目標に交通広場を整備中である。

当初は高架工事完了が2008年度、貨物線ホーム設置が2009年頃の予定であったが、2006年2月20日のさいたま市議会において、用地買収の遅れと乗客の安全確保の観点から、既存ホームの高架化が2010年度、東北貨物線(湘南新宿ライン)ホーム完成が2012年度にそれぞれずれ込む見通しであることが明らかになった。 その後、2011年3月11日東日本大震災の影響で、工事の着工が遅れ、2011年4月着工の予定が2012年春に着工へと変更された。

2011年3月6日に4番線の高架化が完了した。高架化工事前、当駅の3・4番線には宇都宮線・高崎線の列車が共に発着するが、京浜東北線の1・2番線に比べても列車発着数が多いだけでなく、特に下り列車では列車が来ても乗車せずに他方面への列車を待つ乗客が出るといった特性もあるにも拘らずホーム幅が狭く、また改札や京浜東北線ホームとを結ぶ連絡通路へ降りる階段も狭かった。今回のホーム高架化に伴って3・4番線ホームが大幅に拡幅された。また同期して改札内コンコースも一新し、トイレも移設された。そして、同年8月28日に現在の西口と東口の間に仮設自由通路が開通し、改札口が1ヶ所に集約された[8]。2012年8月5日には完成時の約半分の幅ながら正式な東西自由通路が暫定開業し、西口と東口の移動の大幅な短絡が図られた。

2013年3月16日のダイヤ改正に合わせて東北貨物線(湘南新宿ライン)のホームが使用を開始し、快速・特別快速を含めた湘南新宿ライン全列車と東武直通特急日光・きぬがわ・スペーシアきぬがわが停車するようになった[3]。同時に東西自由通路が完成した。

利用状況[編集]

2013年度の1日平均乗車人員は84,230人である[9]。JR東日本の駅では51位で、埼玉県内の単独の駅では大宮駅に次ぐ第2位。

かつては大宮駅、川口駅に次ぐ第3位であったが、2006年度から2008年度にかけて東口再開発完了とともに乗車人員が大きく増加し、やや減少に転じた2009年度以降も川口駅が浦和駅以上に乗車人員が減少したことにより、2010年度に川口駅を抜いて第2位となっている。また、東北本線上野駅 - 盛岡駅間・高崎線全線の列車停車駅では仙台駅を抜き大宮駅、上野駅、赤羽駅に次ぐ第4位、京浜東北線の駅では第19位である(根岸線区間除く)。

近年の1日平均乗車人員推移は下表のとおりである。

年度別1日平均乗車人員[10][11][12]
年度 1日平均
乗車人員
1981年(昭和56年) 66,537
1982年(昭和57年) 68,521
1983年(昭和58年) 70,089
1984年(昭和59年) 70,365
[13] 1985年(昭和60年) 70,494
1986年(昭和61年) 67,113
1987年(昭和62年) 67,815
1988年(昭和63年) 63,616
1989年(平成元年) 70,101
1990年(平成02年) 72,372
1991年(平成03年) 74,102
1992年(平成04年) 73,682
1993年(平成05年) 74,879
1994年(平成06年) 74,455
1995年(平成07年) 74,509
1996年(平成08年) 75,637
1997年(平成09年) 74,967
1998年(平成10年) 74,597
1999年(平成11年) 74,159
2000年(平成12年) 73,995
2001年(平成13年) 73,676
2002年(平成14年) 74,070
2003年(平成15年) 74,293
2004年(平成16年) 73,747
2005年(平成17年) 73,633
2006年(平成18年) 75,193
2007年(平成19年) 78,708
2008年(平成20年) 79,791
2009年(平成21年) 79,376
2010年(平成22年) 79,113
2011年(平成23年) 78,807
[14] 2012年(平成24年) 80,269
2013年(平成25年) 84,230

駅周辺[編集]

当駅周辺でも、特に駅西側は埼玉県やさいたま市の行政機関、主要政党の埼玉県支部、裁判所などが集まる埼玉県政、さいたま市政の中枢である。また、そのような中で駅から徒歩圏内に狛犬ならぬコマウサギで有名な調神社枝垂桜で有名な玉蔵院などの古社寺が点在し、特に調神社境内の森は当駅のすぐ南で電車の車窓からも望むことができる。また、旧中山道沿いに駅から少し離れると老舗の菓子屋などの店舗も残り、近世以来の宿場町の名残りを今に伝えている。

西口側では1963年8月に浦和都市計画街路が決定した後、1967年に駅前の再開発事業に着手した[15]1981年3月に繁華街の再開発が完成して、支店中1位(但し現在は同じ会社の店舗である三越を除く)の売上高[16]を誇る伊勢丹浦和店、浦和コルソといった大型商業施設が同年に開店した他、浦和駅西口バスターミナル、旧浦和駅前停車場線を整備したさくら草通り、旧中山道、玉蔵院通り周辺などが整備されている。なお、この頃の再開発は、例えばさくら草通りは自動車も通行する道路から歩行者専用道路になるなど、道路を歩くことの楽しさにも配慮していた。

その後1990年代末期には旧中山道と市役所通の交差点に当たる旧浦和宿本陣近く、浦和市役所旧庁舎跡地(浦和市役所移転後は駐車場になっていた)に浦和ロイヤルパインズホテルなどが入居する浦和センチュリーシティーが完成し、浦和駅周辺では初の超高層ビルになった。

そして、2000年代に入ってからは東口でも再開発工事が進められ、パルコ大丸ユナイテッド・シネマシネマコンプレックス)、メガロススポーツクラブ)、COMUNALE、地下公共駐車場などの商業施設と公共施設が入居する複合型再開発ビル「ストリーム」が完成しており、2014年時点で駅前交通広場を整備中である。2007年にオープンした浦和パルコは関東店舗グループ中では調布パルコに次ぐ第2位(全店舗中では第6位)の売り上げを誇り、都心店舗グループとされている札幌パルコを上回る売り上げとなっている[17]。西口南地区では、既に駅南側を横断する田島大牧線より南側の開発が終了している。また、同道路よりも北側の駅前一等地についても2018年(平成30年)3月を完成予定として駅前広場の拡張や西口のシンボルとなるような商業施設も取り入れた27階建ての超高層マンションが計画されている。

なお、2008年5月には旧浦和市の伝統産業であり、大宮盆栽岩槻人形とともに、さいたま市の伝統産業に指定されている浦和のうなぎを記念して、漫画家やなせたかしのデザインによる浦和うなこちゃん像が駅西口に設置された。

また、2007年に制定された「さいたま市路上喫煙及び空き缶等のポイ捨ての防止に関する条例(→路上喫煙禁止条例)」により、周辺では西側の旧中山道から東側の高砂仲町線までの区域で喫煙所以外での路上喫煙や空き缶などのポイ捨てが取り締まり対象となっている。

駅西口の台地上には、まず南北に走る旧中山道やこれを東西に横切る県庁通を軸とする商業地区が広がり、その西側、谷を挟んだ反対側の丘(鹿島台)の上に埼玉県庁や埼玉県警察本部などの県の行政施設、さいたま地方裁判所やさいたま地方検察庁などの国の行政施設が集中している。その西の縁を国道17号線が走っており、沿道を中心にさいたま市役所、さいたま商工会議所、各種メディアの支局などが集まっている。国道17号を北に進むと市役所の北に埼玉りそな銀行本店(旧:埼玉銀行本店)が鎮座している。その北側には埼玉大学旧キャンパス跡地を利用した北浦和公園が現れ、北浦和駅周辺の商業地区へとつながる。

これら駅西口の行政・商業機能の集積地を古くからの閑静な住宅街が取り囲み、県内有数の高級住宅街として名高く、最近ではこの地域でも文教都市で質の高い住宅地を売りにしたマンションの建設が増えている。売れ行きも好調であり続々と新築マンションが計画されているが、環境の変化に反対する運動もみられる。さらに南西に離れると住宅地は丘を降りるとともに徐々に新しい住宅街へと移りつつ、別所沼白幡沼などかつての浦和の姿を今に伝える湖沼を利用した公園が現れ、埼京線武蔵野線の沿線には落ち着いた住宅地が広がる。

西口[編集]

官公庁[編集]

駅前再開発地区(西口)[編集]

  • 伊勢丹 浦和店
  • 浦和コルソ - 浦和西口再開発により開業した複合商業施設で、伊勢丹と連絡している。市街地を分断しないために、伊勢丹との間及び浦和駅側とさくら草通りの間の1階に通路があり、深夜を除き、自由に往来できる。
    • 伊勢丹前にはJリーグ・浦和レッズの歴代監督・選手のフットレリーフや獲得タイトルの記念プレートなどが設置されている。
  • 浦和駅西口バスターミナル
  • 「浦和うなこちゃん」石像
  • ホテルメッツ浦和
  • 浦和ワシントンホテル西友浦和店跡)
  • エイペックスタワー浦和
  • コスタタワー(マンション)

その他(西口)[編集]

東口[編集]

バス路線[編集]

当駅を発着するバス路線は、国際興業バス東武バスウエストが運行している。埼京線埼玉高速鉄道線の開通などに伴いバス利用者が減少し、バス路線の統合が行われている。

2008年3月30日より、これまで西口より発着していた浦01・浦08・浦09など本太坂上・原山・浅間下・浦和美園駅東川口駅・駒場運動公園・さいたま市立病院方面・国道463号(越谷街道)、463号バイパス(見沼バイパス・新見沼大橋経由)方面行のバスが東口駅前広場の整備及び都市計画道路高砂仲町線の開通により西口発着から東口発着に変更になった。また、東口発着への経路変更によって旧中山道への運行がなくなり、本太二丁目停留所は廃止となった。なお、この代替として浦和駅東口 - 本太小学校入口間に新しく東仲町停留所が新設された。これに伴い西口発着路線でも一部で乗り場が変更された。その後、さいたま市からの補助により2009年5月31日より1日5本に限り西口を発着し、国道463号を経由して浦和美園駅に向かうバスが「浦和駅東西アクセスバス・浦101系統」として期間限定で復活運行させて、運行期間を2012年度の全面高架化と東西連絡通路完成までの予定とした。そして高架化の進捗により、2011年8月28日に改札口が1ヶ所に統合され、現在の西口と東口の間に現在の改札内南側連絡通路を活用した仮設の自由通路が開通したが、移動に時間が掛かるためにこの時点での運行終了はしなかった。同路線は正式な東西自由通路が2012年8月5日に暫定完成した後も暫く運行され、9月30日をもって運行終了となった。運行終了後は、東口から発着する浦02・浦02-2・浦02-3・美01系統に運用を移行した。

  • 変更点
    • 浦01・浦08・浦09など 本太坂下・原山・尾間木・三室・浦和美園駅・東川口駅・さいたま市立病院方面(国道463号(越谷街道)・越谷浦和バイパス(見沼パイパス、新見沼大橋経由)方面)行…西口1番のりば→東口2・3番のりばに変更
    • 浦04・浦05など 浦和駅西口発着太田窪明花東浦和駅方面 西口2番のりば→西口1番のりばに変更(経路変更なし)
    • 浦10 県庁前・中浦和駅西浦和駅入口経由 田島団地行 西口4番のりば→西口2番のりばに変更(経路変更なし)
  • ※浦11・浦82は従来の4番のりば発着

また、同年10月10日以降は浦04・浦05など太田窪・明花・東浦和駅方面の路線が都市計画道路田島大牧線の整備工事に伴い、西口への乗り入れを一時的に取りやめ、浦和駅東口(東口通り)発着となった。これらの路線はJRの高架を潜り西側にあるエイペックスタワー浦和付近で折り返しているため、東口のロータリーには入らない。

2008年シーズンから埼玉スタジアム2002駒場スタジアムへのシャトルバス乗り場が西口から東口に変更になった。但し、スタジアムからの帰路は従来通り西口到着となる。

2013年12月16日より、浦和駅西口と羽田空港を結ぶ空港連絡バスが運行を開始した。

西口発着路線(浦和駅西口)[編集]

  • 1番のりば(国際興業バス
  • 2番のりば(国際興業バス)
    • 浦12 常盤四丁目・町谷経由 桜区役所行
    • 浦12-2 市役所前・町谷経由 桜区役所行
    • 浦13 常盤四丁目・町谷方面 大久保浄水場行
    • 浦13-2 常盤四丁目・町谷方面 下大久保行(深夜バス)
    • 浦桜13 常盤四丁目・町谷・桜区役所方面 大久保浄水場行
    • 浦桜13-3 市役所前・町谷・桜区役所方面 大久保浄水場行
  • 3番のりば(国際興業バス)
    • 浦11 県庁前・中浦和駅・西堀・南元宿方面 桜区役所行
  • 4番のりば(東武バスウエスト
    • 浦31 北浦和駅・市営アパート経由 さいたま市立病院行
    • 岩04 北浦和駅・東下木崎経由 宮下行
    • 岩05 北浦和駅・東下木崎経由 東新井団地行
  • 5番のりば(国際興業バス)
  • 6番のりば(国際興業バス・東京空港交通
  • 7番のりば(国際興業バス)
  • 8番のりば(国際興業バス)

1981年に現在のバスターミナルが完成した。浦和駅とは地下道でつながっている。
なお、浦和コルソ1階(バスターミナルの反対側)には国際興業バス浦和駅西口案内所がある。 また、浦和駅西口前の地下道壁には、国際興業バスのLED式発車時刻の案内(発車までの残り時刻を表示)が設置されているが、2012年3月をもって使用を終了している。
空港連絡バス運行開始に伴い、2013年12月16日より、一部のりばが変更となっている。

東口発着路線(浦和駅東口)[編集]

※全路線国際興業バスが運行。

  • 1番のりば
    • 浦50 二十三夜・上谷経由 南浦和駅西口行
    • 浦50-2 二十三夜経由 二十三夜坂下行
    • 浦51 グランド経由 北浦和駅東口行
    • 浦51-3 グランド経由 北浦和ターミナルビル行
  • 2番のりば
    • 浦01 東川口駅北口行
    • 浦02 浅間下・大門・イオンモール浦和美園経由 浦和美園駅東口行
    • 浦03 大崎園芸植物園行
    • 浦06 緑区役所入口行
    • 浦09 浅間下経由 東浦和駅行
    • 浦90 花月・宮本経由 さいたま東営業所行
  • 3番のりば
    • 浦08 さいたま市立病院・南台行
    • 浦08-2 さいたま市立病院・南台経由 さいたま東営業所行
    • 美01 バイパス経由 浦和美園駅西口行
    • 浦91 バイパス・芝原一丁目経由 さいたま東営業所行

浦和駅東口(東口通り)[編集]

※全路線国際興業バスが運行。

  • 0番のりば(臨時)
    • J01(直通) 駒場スタジアム行
    • J03(直通) 埼玉スタジアム(北門)行
  • 7番のりば
    • 浦04 明花経由 東浦和駅行
    • 浦04-2 明花・東浦和駅経由 馬場折返場行
    • 浦04-3 明花・東浦和駅経由 さいたま東営業所行
    • 浦05 明花行
  • 8番のりば
    • 7番のりば発路線の降車専用

2007年11月1日にバスターミナルが設置され、それまで暫定的に東口通り停留所(現:7番のりば)から発着していた東口発着の路線バスがそちらに移動した。また、東口通り停留所は浦和駅東口に名称変更されたが、現在でも副称として残している。
0(臨時)・7番のりばは「東口通り」停留所時代から位置が変わっていないため、東口改札口から多少歩く。また、改札口から0(臨時)・7番のりばの間には屋根がない。

浦和駅西口地下道[編集]

浦和駅西口地下道は、浦和駅西口出入り口前から中之島(浦和駅西口バスターミナル)と、浦和コルソ地下1階、伊勢丹地下1階と結ぶ地下道である。また、浦和コルソ地下1階出入り口手前と、浦和伊勢丹地下1階出入り口手前にも、地上へ行く階段が設置されている。浦和駅西口から中之島(浦和駅西口バスターミナル)まで、道路を横断するのは危険な為、地下道の利用を促す看板が設置されている。 浦和駅と接続する計画もある。

今後の予定[編集]

2013年3月の高架化工事終了後、駅南北の線路下計8600平方メートルの空間を整備して大規模な商業施設を整備し、一部は2015年度中にも開業を目指していることがJR東日本、さいたま市より発表された。さらに駅西口における6階建ての駅ビル建設と駅ビル内での「アトレ」開業や北改札口の開設、東西自由通路と西口中ノ島地下道の連絡が決まっている[18]

その他[編集]

「浦和」が付く駅名[編集]

「浦和」の名に方角を冠する駅は、東西南北の全部が揃っている(東浦和駅西浦和駅南浦和駅北浦和駅)。ちなみに、日本の鉄道駅で方角と地名のみの組み合わせで四方が揃っているのは浦和だけである。

地名以外の名称が含まれている事例を含めると、他に仙台東仙台駅西仙台ハイランド駅〈臨時駅・廃駅〉・南仙台駅北仙台駅)や富山東富山駅西富山駅南富山駅富山駅北駅)がある。

また、3方向の場合は、新宿東新宿駅西新宿駅南新宿駅)、立川立川南駅西立川駅立川北駅)、船橋東船橋駅西船橋駅南船橋駅)、大宮東大宮駅西大宮駅北大宮駅)、広島西広島駅東広島駅北広島駅北海道〉)などがある。また、かつてあった例としては、延岡北延岡駅南延岡駅西延岡駅(廃止))、川口東川口駅西川口駅北川口駅(北海道、廃止))がある。

浦和駅と中浦和駅・武蔵浦和駅・浦和美園駅を含めると、浦和の名が付く駅が8つ存在する一方で、旧浦和市域で浦和の名の付かない駅は与野駅のみであり、9駅中8駅に同じ地名を付している点で特徴的である。

これら「浦和」の付く8駅はすべて旧浦和市内にあったが、さいたま市発足後の浦和区内にあるのは浦和駅と北浦和駅のみで、他の6駅は浦和区外となっている(東浦和駅と浦和美園駅は緑区、西浦和駅は桜区、南浦和駅・中浦和駅・武蔵浦和駅は南区)。

埼京線開通後しばらくして、フジテレビ系のテレビ番組『タモリのスーパーボキャブラ天国』に山本リンダのヒット曲「狙いうち」をネタにした「…浦和は7つの駅がある」(当時開業していなかった浦和美園駅を除く7駅)という替え歌が投稿され、同番組のスペシャルで表彰されたことがある。また、「めおと楽団ジキジキ」がネタでこの替え歌を歌っている。

一部中・長距離列車が通過する県庁所在地駅[編集]

長距離・優等列車[編集]

1908年に東北本線経由で上野青森を結ぶ201・202急行列車が設定されて以来、戦前の浦和駅は東北本線の急行列車の停車駅であったが、1960~70年代に増発された東北方面への各特急列車は当駅を通過するようになり、1985年3月14日のダイヤ改正まで東北本線信越本線上越線長距離列車優等列車は急行「はるな」1往復が停車するだけであった(1983年時点)。特急列車は停車せず、日本で特急列車が走っている県庁所在地駅で特急が停車しない駅の一つでもあった(当時、他には大津駅が該当した)。しかし、ダイヤ改正により急行列車の格上げ列車が主体である「新特急」の一部が停車するようになってからはそれが解消され、現行ダイヤでは特急「草津」「水上」「あかぎ」「スワローあかぎ」の上野発着全列車が停車するほか東武鉄道との直通特急である「日光」「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」(臨時「スペーシア日光」を含む)、土日に運転される臨時「スーパービュー踊り子」が全列車停車しており、逆に当駅を通過する定期列車は成田エクスプレスなどごく一部となっている(成田エクスプレスに関しては、当駅から成田空港へ行く場合成田エクスプレスでは遠回りになってしまい、京浜東北線で日暮里駅に出て京成電鉄を利用した方が速達効果がある)。

また、この他に特急列車ではないが特急車両を使用した座席定員制の下り列車として「ホームライナー鴻巣」と「ホームライナー古河」が夕方から夜間にかけて運転されていた。両列車とも当駅は上野を出て最初の停車駅であるが、当駅は降車専用駅であるため、停車時には「乗車できません」というアナウンスがなされた。これらの列車は2014年3月15日のダイヤ改正で両列車とも廃止となり、「ホームライナー鴻巣」は新設された特急「スワローあかぎ」に置き換えられたことで当駅からの乗車が可能になっている。

中距離電車[編集]

現在浦和駅を通過する中距離普通・快速列車はないが、かつては普通列車にも通過列車が存在する県庁所在地駅としても知られていた。

当駅の中距離電車普通列車)のホームは1968年10月1日に新設されたが、1982年11月15日のダイヤ改正以前の東北線・高崎線の線路容量が数多くの優等列車で極限まで逼迫していた時代には東北本線と高崎線の中距離電車は朝夕ラッシュ時のみの停車で、朝ラッシュ終了後に上りの急行列車(「ゆけむり」と「草津」の併結運転)が停車し、その次の普通列車からは夕方のラッシュ時まですべて通過していた。そのため、大宮・赤羽両駅の駅名標には「浦和」の文字はなかった。

その1982年のダイヤ改正で東北新幹線開業に伴って東北本線の在来線特急が削減されるとすべての普通列車が停車[19]するようになり、大宮・赤羽両駅の駅名標にも「浦和」の文字が表記された。しかしそのわずか2年後1984年貨物列車の削減が行われ、東北貨物線経由の赤羽駅発着列車(後に池袋駅→新宿駅まで延伸、現在の湘南新宿ラインの原型)が運行開始されると、当駅には東北貨物線にホームがないため通過とされ、湘南新宿ラインに変更されてからもこの状態が続いていた。これは上野発着列車と湘南新宿ライン列車が走る線路の違いによるものであるが、上野発着の快速や通勤快速が停車して湘南新宿ラインの普通が通過するなど遠方からの利用客には分かりづらい状態となっていた。しかし、前記した高架化事業完成と同時に東北貨物線にホームが新設され、これらの現象が完全に解消された。

浦和駒場スタジアムの最寄り駅[編集]

当駅は、Jリーグ「浦和レッズ」の本拠地の一つであるさいたま市駒場スタジアムの最寄り駅でもある。同所でレッズの試合やサッカー日本代表の試合が行われる日は多数の乗客が乗降し、駅とスタジアムの間は直行臨時バスが延べ何十台も発車する。また、浦和レッズ戦以外を含めて埼玉スタジアム2002で試合が行われる日でも、当駅から埼玉スタジアム行の直行臨時バスが発車する。

駅敷地内に存在していた銀行の支店[編集]

駅敷地(東口)にはみちのく銀行浦和支店が併設されていたが、2007年3月11日(最終営業日は同月9日)の統・廃合により閉鎖した。同支店が使用していたプレハブ建物にはその後浦和駅東口交番が入居していた。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
宇都宮線・高崎線
快速「ラビット」「アーバン」・通勤快速
赤羽駅 - 浦和駅 - 大宮駅
普通
赤羽駅 - 浦和駅 - さいたま新都心駅
湘南新宿ライン
特別快速・快速・普通
赤羽駅 - 浦和駅 - 大宮駅
京浜東北線
快速・各駅停車
南浦和駅 - 浦和駅 - 北浦和駅

脚注[編集]

  1. 「浦和市史 通史編IV」p311-312。
  2. <JRでまた爆発事件>浦和駅前、ロッカー内のジュラルミンケースが爆発
  3. 3.0 3.1 2013年3月ダイヤ改正について - 東日本旅客鉄道ニュースリリース 2012年12月21日
  4. 日刊工業新聞 2013年10月18日
  5. 日本経済新聞2007年9月26日40面(首都圏経済面・埼玉)
  6. 4番線高架は3月6日16時43分発小金井行から利用開始。読売新聞2010年12月31日埼玉版27面。
  7. さいたま市都市計画道路一覧
  8. JR浦和駅 来月28日 仮設の自由通路開通[リンク切れ] - 東京新聞、2011年7月21日
  9. JR東日本 各駅の乗車人員(2013年度)
  10. 埼玉県統計年鑑
  11. さいたま市統計書
  12. 旧浦和市統計書
  13. 1985年9月30日に埼京線が開業。
  14. 2013年3月16日のダイヤ改正で湘南新宿ラインの停車駅となる。
  15. 「浦和市史 通史編IV」p299-301。
  16. 財務データ - 三越伊勢丹「アニュアルレポート(2010年3月期)」より
  17. 株式会社パルコ2010財務・経営報告。
  18. 日刊工業新聞 2013年10月18日
  19. 停車列車が誤って当駅を通過しないように北浦和 - 当駅間上り線に「浦和特注」という注意喚起の看板が設置され、現在も残っている。

外部リンク[編集]