残酷ゲーム

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残酷ゲーム(ざんこく-)とはゲーム内における流血や殺人等の残酷描写が過激なコンピュータゲームのことである。

概要[編集]

これらのゲームでは、内容的に人によっては強い不快感を与える暴力的であったり、もしくは人を殺害することを目的としたり、それらにリアルな映像効果を持たせてある・流血や負傷・死体損壊を扱うといった、勿論現実に行えば倫理面で問題視されるようなグロテスク描写を特徴とする。これらの「不快感を催させる内容」もあって「プレイヤーに悪影響を与える」として批判する声も多く聞かれる。

映画にもホラースプラッタといった、残酷な描写を前面に出す事で一定のファンを獲得する作品ジャンルが在る。しかしこれらのゲームでは、コンピュータゲームの性格上、擬似的にこれを体験する事にも繋がる事から、同ジャンルを好むユーザーの性格が歪んでいるとして非難する声も見られる。他方ではこれらゲームが一種の架空性を持ち、フラストレーションの他に迷惑が掛からない発散方法として、その効能を指摘する声もある。

いずれにせよ、虚構と現実との認識・判別がまだ充分に発達していない児童には、これらのゲームは不適切だというのが、否定派・肯定派に共通した意見といえよう。

これらのゲームだが、その多くはパソコンゲームのタイトルのみが発売される傾向も見られる。これは主にユーザー年齢層が明らかに高いこともあるが、その一方で開発環境が小規模なメーカーでも整え易く発売コストが抑えられるためといえよう。ただ2000年代に入っては、一部の人気タイトルに限りコンシューマーゲーム市場向けに移植されるものも出ており、これが多方面で議論を招いている(後述)。

類似する他のジャンル[編集]

なお古典ホラーが恐怖心を煽る一方で残酷な描写を避ける手法を取るものも多いが、これをコンピューターゲームに導入してユーザーには強い緊張感を楽しんでもらおうというホラーゲームというジャンルも存在する。これらでは直接的な残酷描写は無く、叫び声や赤く粘りのある液体が滴る情景を描写し、恐怖心を煽っている。

残酷ゲームとは異なるジャンルのゲームではあるが、中にはこの境界が曖昧なゲームも見られる。

ゲームと残虐性[編集]

残酷な描写をセールスポイントとするゲームが一定市場を持つ中で、特に内容的に問題が見られたり、また児童未成年者はそのような内容に耽溺すべきではないと考える保護者もあり、特にこれらの媒体が再生するまで内容的に分かり難いこともあるため、客観的にレーティング(R指定)を設けて、消費者が内容を判断し易いよう配慮する動きも見られる。特に見る人に不快感を与えかねない内容に関しては、見る前に判断がつけやすいこれらレーティングにより、これらの愛好者と内容を不快に思う人が双方、不快感を被らずに住み別け(?)られるようになっている。

家庭用ゲーム機向けとパソコン向けの違い[編集]

日本においては、1980年代家庭用ゲーム業界でトップに立った任天堂が、自社ゲーム機で発売される全てのゲームソフト内容に厳しいチェックを行い、その内容に注文をつけていたため、残虐性の強い(消費者やその保護者からクレームが来るであろうと予測される)ゲームは発売される事も無く、まず一般市場向けにそのようなソフトウェアが出回ることが無かった。

しかしゲームセンターではナムコスプラッターハウスを始めとする残虐表現を含むゲームも存在し、一定の人気を博していた。同ゲームはファミリーコンピュータ移植される際に全面的な改定を行い、残虐色を一切抜いた物(コミカルホラー・アクションゲーム)へと作り変えた物が発売され、ゲームセンターの同ゲームファンからは強い不満の声も出た。(ただしPCエンジンでは原作の雰囲気を残す移植版がリリースされている)

その一方で、家庭用ゲーム機と並行してパソコンゲームが発達したアメリカ・ヨーロッパ地域では、主に青少年層や大人向けの市場で、過激な内容のゲームが多く登場し、ホラーファンやスプラッターファンなどの人気を博していた。これらはDOS/Vの普及した1980年代末から1990年代に日本国内でも一定量流通し、洋ゲー(欧米からの輸入ゲームを指す)マニアの中にも日本産ゲームにはないその自由な発想を評価する者が見られた。

その後、任天堂に代わってソニー・コンピュータエンタテインメントが日本のゲーム市場のトップに立ったことにより、国産のゲームでも『バイオハザード』のように「このゲームには暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています」といった表記があるゲームが登場するようになった。

これら残虐ゲームに関して、ゲーム制作側に掛かる圧力は日本国内で顕著だが、販売サイドにおいては欧米の方が厳しく制限されるという事情も見られるが、日本国内ではこの狭間に位置する所謂「洋ゲー」や、折角レーティングを設けたにも関わらずこれに配慮しない販売店店頭で、児童に対してすら無頓着に売られる傾向も否定できない。他方欧米でも通信販売では必ずしも消費者の年齢チェックが充分に出来ない事もあり、相当数のこれに属するゲームが「不適切と考えられる消費者」の手に在ると考えられている。

現在はコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)による規定によって、残酷な表現のあるゲームは購入者の対象年齢をパッケージに明記されゲーム内容を表すアイコンを表記するようになっており、良心的な販売店ではその年齢に満たない消費者が購入しないよう・またパッケージが目に入らないよう配慮している。

その一方で、末端でレーティング実施を徹底させる動きもあり、2005年末に発売されたXbox 360をはじめとして、2006年クリスマス商戦に投入されたWiiには「ペアレンタルコントロール」などと呼ばれる本体ハードウェア自体に年齢レーティング機能が設けられており、親が設定したレーティングを超える内容のゲームは起動できないようになっている。これは同ゲーム機向けにも暴力的ないし残酷な内容のゲームのリリースすることを前提とした動きともいえるが、この機能を使うことで少なくともそのゲーム機で児童が親の目の届かないところで親が与えたくない内容のゲームで遊ぶことを阻止することが可能である。

非商用ゲーム[編集]

これとは別の話として、フリーウェアシェアウェアの形で、コンピュータネットワークを介して流布される、アマチュアなどが作成した、内容的に問題の見られるゲームも存在する。これらでは、大量殺人を目論んだテロや、または猟奇犯罪者を題材とし、擬似的に犯行を行うという内容で、被害者やその遺族の神経を逆なでするものとして、問題視されている。これらは不謹慎ゲーム(ふきんしんげーむ)とも呼ばれている。

このようなゲームでは、作者が匿名である事や、二次的・三次的に流布される事もあるため、それらの愛好者がどれ程あるかは不明だが、実際に被害者も出ている事件を題材とする・ゲーム中の被害者の増加を目的とするため、これに不快感を抱く層も見られる。

過去には日本の地下鉄サリン事件や米国のユナボマー、または1993年世界貿易センター爆破事件の際に、パソコン通信・インターネット等のアンダーグラウンド・サイトなどでこれを題材とした内容のゲームが流布されている。ただプログラム的に非常に不完全な・もしくは内容的にゲームとも言えないような出来の悪い物も多く、程度の低いジョークプログラムの一種とも目されている。

関連する事象[編集]

これらのゲームは、ゲーム内容が反社会的であったり、または教育上好ましくないとして様々な関連事象を発生させている。

ゲームと事件[編集]

ゲームと現実の事件が関連付けられて問題視された事例もある。

コロンバイン高校銃乱射事件1999年)がそれで、同事件では犯人の少年らは綿密な計画を練り、爆発物を使ってパニックを誘発させ、建物から飛び出してきた生徒を正面から銃撃する計画を立て、爆弾は不発だったものの銃を乱射して多数の死傷者を出した。最終的に少年らは銃を口にくわえて発砲・自殺している。

同事件では当初よりこれによく似た状況を扱ったポスタルというゲームとの類似性が疑われている。同ゲームでは民家を攻撃すると住民が飛び出してくるという内容や、主人公がコートを着ていると言う点、また「自殺」というコマンドが用意されており、これを実行するとゲーム主人公がやはり銃をくわえて自殺するなど、事件内容と酷似する描写が見られる。

これらの類似点から、同ゲームにより価値観をゆがめた少年らが犯行に及んだと推測した市民団体や世論もあって、同ゲームは全米で店頭販売禁止となった。だが、この措置がかえってそれが愛好者層を判り難い物にしているとする指摘も見られる。

なお同事件の発生要因に関しては、同ゲームを含むコンピュータゲームとの因果関係は解明されていない。単純に銃社会問題と関連付けた物から、加害者少年らの多感な時期に見られる攻撃性の暴走・学業不振による抑圧・海兵隊から不合格通知を受け取った事による挫折感・脳障害や性格異常の可能性といった様々な要素ないし可能性が指摘されている(ただし薬物中毒の可能性及び抗鬱剤使用に対する副作用に関しては、事件後の検査で否定された[1])。中には、マリリン・マンソンの曲との関連性まで取り沙汰されている。(→コロンバイン高校銃乱射事件またはボウリング・フォー・コロンバインの項を参照されたし)

規制問題[編集]

これらのゲームはその性質上、消費者によっては不快感を催させるため、業界団体などではレーティングを設けるなどの自主規制を敷いている場合も多いが、その一方で公的な規制に対しては表現の自由等に絡んで反発も見られる。

日本では有害図書指定などといった動きもあり、未成年者への販売規制も検討されているが、米国では州法等で未成年者(18歳未満)への販売・貸し出し規制を設けようという動きも見られる(→成人向けゲーム)。これは前出の未成年者による事件との関連性を懸念しての動きでは在るが、法案では未成年者に残酷ゲームなどの規制すべきと見なされたゲームソフトを販売した場合に、販売店側に罰金(数百ドル程度)を課すものとされた。しかしこれが表現の自由に絡んで違憲性の問題を招き、規制法制定に絡んで係争を招いてる。

この問題に関して、2003年にワシントン州ミズーリ州セントルイス郡で、2005年にはミシガン州イリノイ州カリフォルニア州で規制法が制定ないし制定される予定であったが、米業界団体のエンターテインメントソフトウエア協会が「言論の自由を制限するおそれがある」として違憲訴訟を起こし、これに勝訴している。

残酷ゲームの規制法に関しては、米連邦レベルでの制定もヒラリー・クリントン上院議員を中心とした議員団体により進められているが、この州法レベルでの州側敗訴により、施行は困難と見られている。

なお日本では業界団体であるCEROが2005年7月にレーティングに基く販売自主規制を行うとし、販売店にも協力を求めるという発表を行っている(ITmedia記事)。これは自主規制であるため強制力は無いが、販売店側からも95%の賛同が得られていると発表している。

これらの規制推進派の論拠は「悪影響を与える可能性がある」というものであり、反対する業界団体側の論拠は「表現の自由」というもの。悪影響に関してはゲームというメディアが登場してまだ余り長い歴史を持たず、まして残酷表現を含むゲームの歴史は短く、更に言えばゲームソフト一本辺りの明確な影響が統計データとして出る前に消費者に飽きられ忘れ去られる方が早いという状況にあって、所謂「科学的根拠」とすべきデータが存在していないのが現状である。

今後の研究が待たれる所では在るが、新作の残酷な表現を含むゲームがシーズンごとに様々なメーカーから膨大な数がリリースされている現状にあっては、社会的な配慮が後手に回っている傾向も強く、ゲーム媒体の旺盛な消費者である未成年者の親(保護者)にあっても、子供の遊ぶゲームにチェックを入れられきれていない所もあり、教育問題の一環としても考慮すべき現象を招いている。

主な残酷ゲーム[編集]

関連項目[編集]

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