北國新聞

提供: Yourpedia
移動: 案内検索

北國新聞(ほっこくしんぶん)とは、石川県金沢市に本社を置く北國新聞社が発行する地方紙である。

概要[編集]

  • 夕刊ともに発行している。
  • 全国ニュースは共同通信社から記事の供給を受けている。
  • 2003年11月の発行部数は、富山新聞を含め朝刊約338,000部、夕刊93,000部で、石川県内の朝刊普及率は71%となっている。
  • 1面コラムのタイトルは「時鐘

沿革[編集]

社史[編集]

創設者は赤羽萬次郎「公平を性とし、誠実を体とし、正理を経とし、公益を緯とす。北國新聞は超然として、党派外に卓立す」を創刊理念とする。
  • 1923年 富山新聞の前身である『越中新聞(当初は『中越付録』と言った)』を、富山県高岡市で創刊
  • 1939年 戦時中の新聞統合の流れに乗り『金沢新報』を合併
  • 1940年 『北陸毎日新聞』を合併し、題字を7月1日付で『北國毎日新聞』に改める
このあと引き続き『北國夕刊』『北國日報』を合併
  • 1946年 『越中新聞』を『富山新聞』として復刊
  • 1950年 題字を『北國新聞』に戻す
  • 1957年 金沢市南町に地上3階・地下1階建ての旧社屋完成
この旧社屋には『北国講堂』という収容人員500名足らずの小ホールが併設されていて、社内行事の他、講演会・音楽発表会、演劇などのイベントにも数多く利用された。市民文化活動のメッカと呼べる存在であったが、1988年閉鎖。
  • 1970年 紙面キャンペーン『北陸の道を無雪に』で日本新聞協会賞を受賞
  • 1979年 コンピューターによる新聞紙面制作を導入
  • 1981年 国産初の全ページ電算編集技術「ヘリオス」を導入
「ヘリオス=HELIOS」は、Hokkoku Editing Layout Improvement Original System(北國新聞の新機軸による進歩した編集レイアウトシステム)の頭文字をとり、ギリシャ神話の太陽神ヘーリオスの名になぞらえたもの。1984年、日本新聞協会賞を受賞。
  • 1986年 『北國がん基金』の運動を提唱、紙面キャンペーン『いのち見つめて』の連載スタート
『いのち見つめて』は1990年アップジョン医学賞を受賞。
  • 1991年 金沢市香林坊に地上21階・地下3階建ての新社屋が完成
『21階』という数は「21世紀へ羽ばたく北國新聞社」との意味合いがあるが、建設当時は「城下町景観を損ねる」として論争となった。
  • 1996年 石川県松任市(現白山市)に、完全コンピューター制御による最先端のシステムを導入した印刷工場・松任別館が完成
2002年には業界初の朝刊最大48ページ、24個面のカラー印刷体制を整えた。

歴代社長[編集]

  1. 赤羽萬次郎(1893~1898)
  2. 林政文  (1898~1899)※赤羽萬次郎の実弟。汽船で旅行中遭難し行方不明に
  3. 林政通  (1899~1921)※政文の養父。
  4. 林政武  (1921~1943)※政通の長男。
  5. 嵯峨保二 (1943~1959)※政通の右腕だった嵯峨七平の養子。
  6. 嵯峨喬  (1959~1963)※保二の長男。北陸放送元社長の嵯峨逸平は実弟。
  7. 宮下与吉 (1963~1981)※1907年に11歳で入社し、以来長らく社の中枢で働いた。1960年会長職につくも、喬の急死により社長に。社長引退後は代表取締役顧問。
  8. 宮下明  (1981~1987)
  9. 岡田尚壮 (1987~1991)※現会長。参議院議員岡田直樹の実父。
  10. 飛田秀一 (1991~現在)

題字の変遷[編集]

『北國毎日』時代を除き、本紙はずっと『ほっこく新聞』と名乗り続けているが、この『ほっこく』の題字は、時代により変遷をくり返してきた。

  • 創刊期から『北國毎日』になるまでは、横に長いデザインの文字で『北國新聞』と表記されていた。
  • 題字を戻した1950年以降少なくとも1953年までは、『北国新聞』と行書風な書体で書かれた新字体の題字を採用していた。紙面の上部に表示されるタイトルも、52~53年の2年間に限り『The Hokkoku Shimbun』と英語表記であった。
  • それ以降は『北國新聞』と新聞書体風の文字で表記された。
  • 1980年~1990年までは『北国新聞』と新字体で表記された。
    • 1950年から1990年までは、題字の下に表記される発行社名や、本文中に登場する社名も『北国新聞社』と表記していた。
  • 1991年以来、題字も本文中の表記も『北國新聞』と旧字体に統一され、現在に至っている。『北國新聞社』の『社』も、この年からは旧字体(示+土)で表記している。

事業部門[編集]

当初は北陸放送と提携し『北国文化センター』と言った。
場所は旧北陸放送社屋から千代田生命ビル、現北國新聞会館へと移動した。
  • 1973年 創刊80周年事業として『日本海博覧会』を開催(北陸3県、金沢市と共催)
  • 1988年 JAPAN TENT(世界留学生交流・石川)に特別協力の形で参加、現在に至る

出版部門[編集]

  • 1945年 月間総合誌『北國文華』創刊
当初は『文華』と言った。「再建日本の教養」につとめるとうたった。1953年に82号で終刊。
当初は年2回発行、2001年の第7号より季刊となり現在に至る

特色[編集]

『ふるさとメディア』としての自負[編集]

  • 石川県出身の女優田中美里をイメージキャラクターとして起用し、「みんなよむよ」のキャッチコピーで、広告CMを展開している。また、あわせて購読申し込みの電話番号を0120-367-464「みんなよむよ」として、語呂を合わせている。「みんなよむよ」の詞の通り、北國新聞は地方紙ながら、石川県内で驚異的なシェアを誇る。また、「ふるさとメディア」や「ふるさと不足の特効薬」などのコピーも使用している。
  • 北國新聞社は、石川県下で開催される数多くのイベントの後援・協賛企業として名を連ねており、そうした協賛イベントや地区の運動会などの地元ニュースをカラー写真つきで丹念に拾い上げる。
  • 連載している4コマ漫画ヒラリ君」は地方紙では珍しい単独連載である。以前は全国各地の新聞で掲載されていたが、2000年4月からは北國・富山新聞のみで連載されている。当初は標準語であったが、単独連載以後、登場キャラクターは金沢弁で話すようになった。
  • 「金沢学」と称して城下町金沢の伝統や文化に頻繁に言及し、これを保護することに熱心である。また、金沢城などの世界遺産登録運動にも積極的に関わっている。一方で、組合運動や住民運動にはきわめて冷淡である。
  • スポーツ面は基本的に「石川県出身選手」を応援するスタンスである。ただし、北陸中日新聞との競合からか、アンチ中日ドラゴンズでもあるため、中日ドラゴンズ所属選手の場合、石川県出身であっても扱いが極めて冷淡になる。
  • 能美市(旧能美郡根上町)出身でニューヨーク・ヤンキースに所属する松井秀喜の動向には敏感で、ほぼ毎日のように近況が報道されるほか、シーズン中は好不調にかかわらず彼の写真が一面を飾ることが多い。特に夕刊などは、グラビアアイドル写真集DVDの発売を、水着写真と共に掲載することも相まって、スポーツ紙の様相を呈する。なお、夕刊のスポーツ記事やグラビアアイドルの記事は、一部サンケイスポーツのものを使用している。

編集姿勢[編集]

  • 自社の支局などの新社屋完成、移転などの際に、夕刊の1面(朝刊の1面の場合もある)の中央付近にカラーで写真を掲載し、あたかも重大ニュースのように掲載するケースがかなり以前からあるなど、自社宣伝に非常に熱心。また、その際に、トップニュースの写真や見出しを目立たない白黒にする等の手法が用いられることもある。
  • 地方紙では珍しく大胆な報道を行うことがある。最近の例では、生徒や教職員も全く把握していなかった「金大附属高校・校舎改修工事決定」の情報を、2005年12月の朝刊一面で大々的に報道した。しかし、一方で、金沢大学医学部の地元受入枠導入や、金大附属学校園の小中高一貫教育導入など、やや先走りすぎな報道も目立つ。また、地元で発生した事件は、関係者や本人のインタビューも交えながら、緻密に取り上げることがある。
  • 社会面のトップ記事に風俗関連や性犯罪関連の記事を持って来ることがある。また、悪徳商法への予防といった報道には消極的な側面が見受けられる。
  • 話題は自社のネットワークを活用した富山県の記事が多く、社説や北陸経済面においてはこの傾向は顕著に現れる。
  • 紙面の論調は、他の地方紙に比べて保守的とされる。『社説』やコラム『時鐘』はもちろん、読者の投稿コーナー『地鳴り』でも、リベラルな投稿は採用されにくい。こうした傾向は1990年以降顕著となってきたものである。

その他[編集]

テレビ・ラジオ欄[編集]

金沢ケーブルテレビネットの筆頭株主であり、同局および資本提携している加賀ケーブルテレビで「北國新聞ニュース24」を放送していることもあって、第2テレビ欄は見開き2ページのうちケーブルテレビCS放送の番組表が半分以上を占めている。一方で、ラジオ局は自ら出資しているコミュニティFM局の掲載を優先し、石川県内唯一の系列外コミュニティ放送局であるえふえむ・エヌ・ワンの番組表は掲載しない。また、県内で聴取可能な隣県のラジオ局のいくつか(FMとやまFM福井)も掲載されていない。なおFBCラジオは2007年6月1日から4年5ヶ月ぶりに掲載されている。

番組解説(地上波)は通常3番組で写真なしの解説(新聞休刊日は2番組に減る。)。他紙と比較すると、北陸中日10番組ほど:読売5番組ほど:日経および朝日9番組ほど(いずれも写真付き解説あり。)という具合でかなり少ない。

最終面[編集]

第2テレビ・ラジオ欄(ほぼ全番組が掲載されているもの)[編集]

疑義が持たれた報道、スキャンダル[編集]

  • 第一次北国新聞事件
競合紙(中日新聞)を排除する目的で、競合紙に広告を掲載していない事業者にだけ安い価格を設定したものである。
  • 第二次北国新聞事件 
石川県において販売していた「北国新聞」と実質上同一とされる「富山新聞」につき、競合紙を排除する目的で競合する富山県だけに購読料を安く設定したとして公正取引委員会の排除命令を受けた。その後、裁判によって富山県内での不当廉売による「競争の減殺」と、石川県内における市場支配力を濫用した不当な高値による販売(競争基盤の侵害)が認定された。

関係機関[編集]

関連項目[編集]

参考資料[編集]

  • 石川県大百科事典…1975年発行、北国出版社刊
  • 創刊90年~設備近代化の飛翔…1983年発行、北國新聞社
ヘリオス導入を記念してまとめられた社内記念誌。
  • 北國新聞に見るふるさと110年…2003年発行、北國新聞社刊
過去の紙面から年ごとの特徴的な記事をピックアップした本。
  • 石川県大百科事典(改訂版)『書府太郎』…2005年発行、北國新聞社刊
1993年に創刊100年記念として刊行したものの改訂版。かつて『天下の書府』とうたわれた加賀藩にあやかって命名。

外部リンク[編集]

このページは Wikipedia日本語版由来のコンテンツを利用しています。もとの記事は北國新聞にあります。執筆者のリストは履歴'をご覧ください。 Yourpediaと同じく、WikipediaGFDLのライセンスで提供されています。 コンテンツを再利用する際には同じくGFDLのライセンスを採用してください。