ハインリッヒの法則

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ハインリッヒの法則 (-ほうそく) は、労働災害における経験則の一つである。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するというもの。ハインリッヒの(災害)三角形(トライアングル)(定理)又は(傷害)四角錐(ピラミッド)とも呼ばれる。

概要[編集]

法則名はこの法則を導き出したハーバート・ウィリアム・ハインリッヒ(1886~1962)に由来している。彼がアメリカの損害保険会社にて技術・調査部の副部長をしていた1929年11月19日に出版された論文が法則の初出である。

彼は、同一人物が起こした同一種類の労働災害5000件余を統計学的に調べ、計算し、以下のような法則を導いた。「災害」について現れた数値は「1:29:300」であった。その内訳として、「重傷」以上の災害が1件あったら、その背後には、29件の「軽傷」を伴う災害が起こり、300件もの「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きていたことになる。更に、幾千件もの「不安全行動」と「不安全状態」が存在しており、そのうち予防可能であるものは「労働災害全体の98%を占める」こと、「不安全行動は不安全状態の約9倍の頻度で出現している」ことを約75,000例の分析で明らかにしている(詳細はドミノ理論参照)。なお、ハインリッヒは「災害」を事故と事故を起こさせ得る可能性のある予想外で抑制されない事象と定義している。

上記の法則から、

  • 災害を防げば傷害はなくせる
  • 不安全行動と不安全状態をなくせば、災害も傷害もなくせる(職場の環境面の安全点検整備、特に、労働者の適正な採用、研修、監督、それらの経営者の責任をも言及している。)

という教訓を導き出した。


1931年に初版が発行されたIndustrial Accident Prevention - A Scientific Approachは、「災害防止のバイブル」として、NASAを初め数多くの著作物等に引用され、結果ハインリッヒは「災害防止のグランドファーザー(祖父)」と呼ばれるようになる。

同書はその後ほぼ半世紀に亘って4回改訂された。なお、第5版のみ副題が'A Safety Management approach'で、 Dan Peterson&Nestor Rossの2人による増補が行われている。

なお、E.R.グラニスの協力による1959年の第4版改訂から問題の重点に変化があり、労働者個人の問題から社会環境の問題へとシフトされた。たとえば「家系及び社会環境」から「管理不足」へ、「人的欠陥」から「材料・設備・作業環境・人員の不良」へ、などである。

労働者側に不利な見解に偏った理由として、本書執筆当時のアメリカ合衆国の社会的・歴史的な制約が挙げられる。

  • アメリカの労働災害補償制度は、大半を民間保険会社に依存していた。
    • 1980年の第5版出版時のデータでも州と連邦プログラムによる給付が30%という状況にある。
  • 初版刊行時の1930年前半は、「過失責任制」と「使用者責任保険」から「労働者集団保険」から無過失責任法理を採る「労働災害補償法」への移行期にあった。
    • 「過失責任制」は弁護士と保険会社の腐敗で批判を浴びていた。「使用者責任保険」はコモンロー上のいくつかの免除規定いわゆる「聖ならざる三位一体」の抗弁が存在した。
    • 「寄与過失」[被害者側の注意義務違反の場合]、「危険引き受け」[被害者側が危険性を前もって知っていた場合]、「フェロー・サーバント・ルール」[コモン・インプロイメント・ルールとも。共同雇用の準則;同僚・上司・部下が起こした過失は、雇用者は賠償の責任を免れる。]。詳しくは「コモン・ロー」の項目参照。
  • 1935年に施行された「社会保障法」(1929年10月24日の暗黒の木曜日以後、1933年3月4日フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領就任で、積極的な経済労働政策改革=ニューディールを断行する。)成立前夜で保険会社の倒産と労災保険料の高騰が社会問題化していた。

他に、当時の科学・技術分野や労働運動分野の諸側面をも反映していることは論を待たない。


初版発行直前の国際労働災害統計を見ると、合理化による労働強化により、ヨーロッパ日本等他の先進工業国では労働災害は増えているのに、アメリカだけが減っている。その調査の数年前(1913年のF.L.ホフマンの推計値)では、炭鉱業でも鉄道業でも英国の約2倍かそれ以上の労災大国であったにもかかわらずである。つまり、労働安全協会等の努力を考慮に入れても逆行しているので、労働側やILO等の批判をかわすために改竄或いは捏造された疑いがあることが指摘されている。

しかし細かく見ていくと、ある自動車工場4つの調査では、4年間に災害頻度率・災害強度率が各々4%、22%増加しているし、又、繊維工業でも2年間で各々2%、32%増加しているというデータが残っている。ハインリッヒがどの時期の何の業種についてのデータ何件かというデータをほとんど残していないのもその辺の事情が関係している可能性が高い。(元日本女子大学教授の故・藤本武博士の労作『アメリカ資本主義の貧困史』新日本出版社(1996年)が疑問に答えてくれる。)

日本国内への導入[編集]

日本国内へは、前述のIndustrial Accident Prevention - A Scientific Approachの邦訳により紹介された。同書の邦訳には、

  • 三村起一監修『災害防止の科学的研究』日本安全衛生協会 1951年昭和26年)
  • ハインリッヒ研究会編訳『ハインリッヒの事故防止 1956年(昭和31年)
  • 井上威恭監修『ハインリッヒ産業災害防止論』海文堂出版 1982年(昭和57年)

がある。

「災害防止の科学的研究」の出版後、同協会から「安全衛生必携」('52)、「安全衛生指導集」、「安全衛生教育カード」等が次々と出版され、メーカーやゼネコンや関係団体の発行する「職長(安全)手帳」等に「安全の基礎知識」の必須項目として取り上げられた。

しかし記述内容は、労働者の安全行動面や単に1:29:300の比の値に矮小化され、企業の合理化や施設・設備等に対する安全対策費の皺寄せ等の問題が棚上げされた問題点があった。

1999年平成11年)から航空輸送技術研究センター管理運営の航空安全情報ネットワーク、ASI-NETが航空各社のインシデントつまり事故になる寸前の予兆=インシデントを収集・分析して航空機の未然事故防止のために役立てている。

他にも、科学技術振興機構(JST)の「失敗知識データベース」(16カテゴリー約1,100余件)や失敗学会・安全工学会・日本人間工学会・日本認知心理学会・日本信頼性学会等の地道な研究・啓蒙活動も繰り広げられ、更に数少なくない医療機関が医療ミス根絶のために縦割りの垣根を取っ払ってインシデント収集・分析して、対策を練り上げている。(IRS=Incidennt Reporting System又はIRAS=Incident Report Analyzing System)

その後の研究[編集]

ハインリッヒの法則はその後他の研究者がより多くの事例を分析して新たな結果を出している。その中で有名なものに以下のものが存在する。

バードの法則
Frank E.Bird Jr.による法則。1969年に発表され、アメリカの21業種297社1,753,489件のデータから導き出されている。ニアミス600:物損事故30:軽傷事故10:重大事故1、の比が成り立つとされる。
タイ=ピアソンの結果
1974年1975年にイギリスの保険会社のデータ約100万件からTyeおよびPearsonにより導き出された結果である。ニアミス400:物損事故80:応急処置を施した事故50:軽中傷事故3:重大事故1、の比が成り立つとされる。

上記の法則などを発展させたものが「保険料率表」の根拠になっている。但しこれは業種や国や時代によって、変わり得る値であることに留意すべきである。


参考文献[編集]

  • 宮城雅子著「INCIDENT REPORTING SYSTEMについての試行的研究」『航空法務研究』(Vol.16-17)有斐閣(1986)
  • 航空法調査研究会編『航空におけるINCIDENT REPORTING SYSTEMに関する総合的研究:航空機の運航をめぐって』有斐閣(1988)
  • 航空法調査研究会編『航空法務研究』(Vol.23~28、Vol.29~37)「複雑大規模システムにおける事故防止(I)(II)」有斐閣(1995)
  • 宮城雅子著『大事件の予兆をさぐる:事故へ至る道筋を断つために』講談社(1998)
  • 林知己夫著『林知己夫著作集4 現象をさぐる:データの科学』勉誠出版(2004)