黒田東彦

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黒田 東彦(くろだ はるひこ、1944年(昭和19年)10月25日 - )は、日本の銀行家、元財務官僚。第31代日本銀行総裁。第8代アジア開発銀行総裁などを務めた。財務省内での愛称は「クロトン」。

経歴

福岡県大牟田市出身。東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(2013年現・筑波大学附属駒場中学校・高等学校)を経て、東京大学在学中に司法試験合格。1967年(昭和42年)に同学を卒業すると大蔵省(当時)に入省した。

同省では主として国際金融と主税畑でキャリアを積み、「ミスター円」として知られた榊原英資の後任として財務官に就任、1999年(平成11年)から同省を退官するまでの3年半にわたって同ポストにあった。

2003年(平成15年)に財務省退官後には一橋大学大学院教授を経てアジア開発銀行総裁に就任し、2013年3月18日退任。

2013年2月28日、政府は、衆参の議院運営委員会理事会に、黒田を次期日本銀行総裁の候補者とする人事案を正式に提示した。3月4日、衆議院で所信聴取、3月11日、参議院で所信聴取が行われ、3月14日、衆議院で採決が行われ、賛成多数で同意、3月15日、参議院で採決が行われ、賛成186、反対34で承認される。3月20日、日本銀行総裁に就任。

任期途中で退任した前任の白川方明の任期を引き継ぐ形で就任したため、2013年4月8日に一旦任期切れとなる。2013年4月5日に、2013年4月9日から2018年4月8日までの任期で黒田を再任する人事案を衆参両院が同意したため、2018年4月8日までの任期が確定した。

略歴

学歴

職歴

  • 1967年(昭和42年)4月 - 大蔵省入省(大臣官房文書課配属)
  • 1974年(昭和49年)7月 - 国際金融局国際機構課課長補佐
  • 1975年(昭和50年)6月 - 派遣職員(国際通貨基金
  • 1978年(昭和53年)7月 - 主税局調査課課長補佐
  • 1980年(昭和55年)7月 - 主税局税制第二課課長補佐
  • 1981年(昭和56年)7月 - 大臣官房企画官兼主税局総務課
  • 1984年(昭和59年)7月 - 三重県総務部長
  • 1986年(昭和61年)6月 - 官房参事官
  • 1987年(昭和62年)7月 - 国際金融局国際機構課長
  • 1988年(昭和63年)12月 - 大蔵大臣(村山達雄)秘書官事務取扱
  • 1989年(平成元年)8月 - 主税局国際租税課長
  • 1990年(平成2年)1月 - 主税局税制第一課長
  • 1991年(平成3年)6月 - 主税局総務課長
  • 1992年(平成4年)7月 - 大臣官房参事官(副財務官)
  • 1993年(平成5年)7月 - 大阪国税局長
  • 1994年(平成6年)7月 - 大臣官房審議官(国際金融局担当)
  • 1995年(平成7年)6月 - 国際金融局次長
  • 1996年(平成8年)7月 - 財政金融研究所長
  • 1997年(平成9年)7月 - 国際金融局長
  • 1999年(平成11年)7月 - 財務官
  • 2003年(平成15年)
    • 1月 - 財務省 退官
    • 3月 - 内閣官房参与
    • 7月 - 一橋大学大学院経済学研究科教授 就任
  • 2005年(平成17年)2月 - アジア開発銀行総裁 就任
  • 2013年(平成25年)
    • 3月 - アジア開発銀行総裁 辞任
    • 3月 - 第31代日本銀行総裁 就任

人物

長年、日本銀行を批判してきた黒田は、15年にわたる日本のデフレーションの責任の所在を問われると「責務は日銀にある」と明言している。

東アジア共同体論者として知られている。

金融政策

物価

物価について「中長期的には金融政策が大きく影響を与える」と述べ、金融政策のみで物価目標達成は可能との見方を示している。

2%の物価目標を達成するには「大胆な金融緩和継続に対する強いコミットメントが必要」「やれることは何でもやる姿勢を示さなければ、物価安定という最大の使命を達成できない」とし、金融緩和の副作用に対する懸念をけん制ししている。物価上昇を実現する経路については「期待物価上昇率が上がり、実質金利が下がり、企業が手元流動性を取り崩し、株高により資産効果で企業の設備投資や消費にプラスの影響を与える」と説明し、量的緩和拡大が人々の期待物価上昇率を引き上げる経路を強調している。

デフレーションの原因について「人口が減少している先進国はいろいろあるが、デフレに陥っていない」として「人口成長率はデフレやインフレの主たる要因でない」と明言している。

為替

リーマン・ショック後の急激な円高の一因について「欧米と比べてマネタリーベースでギャップがあった」と述べ、日銀のバランスシート拡大ペースが欧米より消極的だったことが要因の1つとした。為替レートは「中期的には金融政策の違い、長期的には購買力平価で決まる」と述べ、中央銀行バランスシートの規模と為替レートは直接的に関係がないとの白川方明前日銀総裁の見方を否定した。

消費税について

2013年7月29日、都内での講演後の質疑応答で、2014年4月から2度にわたり予定されている消費税率引き上げの影響について「消費税の二段階の引き上げによって、日本経済の成長が大きく損なわれるということにはならない、と日銀政策委員会は考えている」と述べている。

評価

2008年に福田康夫政権下で進められた福井俊彦日銀総裁の後任人事の際、モルガン・スタンレー証券ロバート・フェルドマン博士は、日銀総裁人事などの重要案件には「特定の基準に照らして開かれた議論」が望ましいと主張し、中央銀行マン・官僚・財界人ら19人を「マクロ経済学と独立性」「政策決定機関トップの経験」「国内外のネットワーク」の3指標で採点した結果を「次期日銀総裁 -- 候補者を比較する」と題する調査報告書として発表した。黒田は「マクロ経済学と独立性」および「国内外のネットワーク」を重視する基準で13位、「政策決定機関トップの経験」重視の基準で7位にとどまった(これら三つの基準で最も評価が高かったのは、小泉純一郎内閣で経済財政担当相や金融相などを歴任した竹中平蔵と日銀出身で金融研究所所長や経済協力開発機構(OECD)の副事務総長を務めた重原久美春であった)。

黒田が国際金融のトップ、財務官だったころからの知り合いであった経済学者ジョセフ・E・スティグリッツは「黒田は世界で最も著名な日本人エコノミストの1人だ。彼の経済学に対する深い理解に敬意を表している」と述べ、黒田が日銀総裁に就任した事について「日本を一刻も早く成長軌道に乗せようという意気込みを感じる」と評した。

経済学者の榊原英資は「2%のインフレ率達成はほとんど不可能。無理やりやろうとすると、資産バブルになって株価、不動産価格が必要以上に上昇する。だから、やらない方がいいんだが、黒田さんは真面目な人だから、約束したら一生懸命やっちゃうと思う」と述べている。

アメリカのウォールストリート・ジャーナルは社説で、黒田主導で日銀が新たな金融緩和策を打ち出したことについて「連邦準備制度理事会(FRB)が金融危機後に採用した金融政策への転換だ」とし黒田を「日本のバーナンキFRB議長」と評した。

著書

動画配信

NIKKEI CHANNNEL

配信日 タイトル
2013年3月21日 日銀・黒田総裁 新政策を初めて語る!
2013年4月4日 黒田東彦 日銀総裁会見まるごと配信
2013年4月26日 黒田東彦 日銀総裁会見丸ごと配信
2013年5月22日 黒田東彦 日銀総裁会見丸ごと配信
2013年6月11日 黒田東彦 日銀総裁会見丸ごと配信
2013年7月11日 日銀総裁会見

参考文献

外部リンク