「香川県」の版間の差分

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:<u>※詳細は「[[讃岐国]]」も参照する事。</u>
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=== [[古代]] ===
 
=== [[古代]] ===
『[[日本書紀]]』などには讃岐国は[[洪水]]や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐では[[ため池]]の開発や雨乞い儀式などが行われていた。[[大宝 (日本)|大宝]]年間から工事が開始され、弘法大師[[空海]]が修築工事を指導したとされる[[満濃池]]のほか多くのため池が開発され、それより耕地はかんがいされた。[[菅原道真]]も、一時は讃岐国国主となっている。
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『[[日本書紀]]』等には、讃岐國は[[洪水]]や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されて居る。
  
[[平安時代]]には[[関東地方]]での[[平将門]]の乱に乗じて[[藤原純友]]が[[伊予国]]([[愛媛県]])で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。[[朝廷]]が追捕使として[[小野好古]]を派遣すると讃岐国の[[武士]]も乱の平定のために戦う。[[保元の乱]]で敗れた[[崇徳天皇|崇徳上皇]]は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。平安時代後期には[[治承・寿永の乱|源平合戦]]の1つである[[屋島の戦い]]が行われる。[[一ノ谷の戦い]]で[[源義経]]に敗れた[[平氏]]は屋島の戦い(高松市内)においても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は[[瀬戸内海]]における制海権を失った。
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讃岐國では[[溜池]]の開発や雨乞儀式などが行われていた。[[大宝]]年間から工事が開始され、弘法大師[[空海]]が修築工事を指導したとされる[[満濃池]]の他、多くの溜池が開発され、それより耕地は灌漑された。[[菅原道真]]も、一時は讃岐國國主と成って居る。
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[[平安時代]]には[[関東地方]]での[[平将門]]の乱に乗じて[[藤原純友]]が[[伊豫國]]([[愛媛縣]])で蜂起し、藤原純友は讃岐國國府を陥落した。[[朝廷]]が追捕使として[[小野好古]]を派遣すると、讃岐國[[武士]]も、叛乱平定の爲に戦う。[[保元の乱]]で敗れた[[崇徳天皇]]は讃岐國に流刑され、讃岐國で死亡。平安時代後期には[[源平合戦]]のヒトツで有る[[屋島の戦い]]が在った。[[一ノ谷の戦い]]で[[源義経]]に敗れた[[平氏]]は、屋島の戦いに於いても源義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後、平氏は[[瀬戸内海]]における制海権を失った。
  
 
=== [[中世]] ===
 
=== [[中世]] ===
鎌倉新仏教派の法然上人も流刑されたことで有名。[[足利尊氏]]らの活躍で[[鎌倉幕府]]が滅亡して、[[後醍醐天皇]]の[[建武の新政]]が始まると、讃岐国には足利氏の一門である[[細川定禅]]が入った。以後、南北朝時代を経て[[室町時代]]を通じて、[[細川氏]]が[[守護大名]]として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した[[細川清氏]]は、従弟の[[細川頼之]]と戦い、敗れた(白峰合戦、現[[宇多津町]]・[[坂出市]])。
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鎌倉新仏教派の法然上人も流刑されたことで有名。[[足利尊氏]]らの活躍で[[鎌倉幕府]]が滅亡して、[[後醍醐天皇]]の[[建武の新政]]が始まると、讃岐國には足利氏一門で有る[[細川定禅]]が入國。以後、南北朝時代を経て[[室町時代]]を通じて、[[細川氏]]が[[守護大名]]として讃岐國を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に寝返った[[細川清氏]]は、白峰合戰で、従弟・[[細川頼之]]と戦い、敗れた。
  
讃岐国では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った。このため、阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多かった。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。
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讃岐國では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて讃岐國守護職に就いた。この爲、阿波國人と同様に、讃岐國人も中央へ出る機會が多かった。戰國時代初期に、讃岐國人・香西氏が、山城國守護代を務めるなど重職にも就いた。
  
戦国時代には讃岐では東に安富氏、西に香川氏が割拠し、両者中間の香川、阿野、鵜足郡に中小豪族が並立していた。この内、安富氏が三好氏の援助を受けた[[三木郡]]の十河氏によって滅びると若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。
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戰國時代は、讃岐國では東に安富氏、西に香川氏が割拠していた。両者中間の香川郡・阿野郡・鵜足郡に中小豪族が並立していた。この内、安富氏が、三好氏の援助を受けた「山田郡・十河氏」に由って滅びると、若干抵抗が有ったが、讃岐國は三好氏の支配國に成った。
  
[[畿内]]で[[織田信長]]が天下統一事業を行っている頃、四国に置いては細川氏に代わり[[三好氏]]が台頭し、[[三好長慶]]は讃岐国の実質的支配者となる。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[長宗我部氏]]が三好氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻して平定される。[[豊臣秀吉]]が四国征伐を行うと讃岐へは[[宇喜多秀家]]を総大将とする豊臣軍が侵攻し、[[長宗我部元親]]が秀吉に屈服すると讃岐は[[仙石秀久]]に与えられ、その後は[[生駒氏]]が封ぜられる。当初は宇多津に拠点が置かれたが、後に讃岐国の中央に当たる高松に拠点が移された。
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[[畿内地方]]で[[織田信長]]が天下統一事業を行っている頃、四國地方に付いては、細川氏に代わり[[三好氏]]が台頭し、三好長慶は、讃岐國の実質的支配者と成る。[[戰國時代]]には[[長宗我部氏]]が、三好氏の内乱に乗じて讃岐國へ進軍して平定する。羽柴秀吉が、四國地方征伐を行うと、讃岐國に、宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が進軍し、長宗我部元親が、羽柴秀吉に降伏すると、讃岐國は、仙石秀久に与えられた。その後は、生駒氏が封ぜられる。当初は、鵜足郡宇多津に拠点が置かれた。後に、香川郡高松に拠点が移された。
  
 
===江戸時代===
 
===江戸時代===
生駒氏が生駒騒動によって[[出羽国]]へ移されると、[[水戸徳川家]]の嫡流である[[徳川頼重]]が高松に入って[[東讃]]を、[[京極氏]]が丸亀に入って[[西讃]]を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは[[平賀源内]]が出ている。
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生駒氏が生駒騒動に由り、出羽國へ移されると、[[水戸徳川家]]嫡流・[[徳川頼重]]が香川郡高松に入國し、東讃岐を領する。更に、京極氏が、丸亀郡丸亀に入國し、中讃岐・西讃岐を領する。途中、京極丸亀藩は、支藩として多度津藩を分立させた爲、江戸時代の讃岐國には、高松藩・丸亀藩・多度津藩が並立した。高松藩からは、平賀源内が出ている。
  
この頃には、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で[[讃岐山脈#借耕牛|借耕牛]]の交流が始まっていた。なお、[[吉備国]]から古代に分立された[[備前国]]より、[[直島]]諸島と[[小豆島]]が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。
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この頃、讃岐國農民と、阿波国北部の山間農民の間で、借耕牛の交流が始まっていた。なお、[[備前國]]より、直島諸島・小豆島が、讃岐國に移動したのは、江戸時代の事と思われる。
  
 
===明治維新以後===
 
===明治維新以後===
====香川県発足まで====
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====香川縣発足まで====
江戸時代の讃岐国は、[[高松藩]][[丸亀藩]][[多度津藩]]の3藩と、[[江戸幕府]]の直轄地である[[天領]][[津山藩]]の飛地が分立していた。
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江戸時代の讃岐國は、「高松藩」・「丸亀藩」・「多度津藩」・「江戸幕府直轄地・天領」・「津山藩・飛地」が分立していた。
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明治四年(1871年)七月十四日の[[廃藩置縣]]に依り、「高松藩」は「高松縣」、「丸亀藩」は「丸亀縣」、「多度津藩」は「倉敷縣」、「天領」は「倉敷縣」、「津山藩・飛地」は「津山縣」と成る。
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その後に、倉敷縣管轄地が、丸亀縣へと移された。明治四年十一月十五日に、高松縣と丸亀縣が合併して'''香川縣'''が誕生した。明治五年(1872年)に、[[小豆島]]西部を編入して、現在の香川縣(1888年12月3日~)と同じ管轄範囲([[行政区画]])と成る。
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明治六年(1873年)二月二十零日に、[[名東縣]][[徳島縣]])と合併した。
  
[[1871年]][[8月29日]]の[[廃藩置県]]により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は[[倉敷県]]、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。
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明治八年(1875年)九月五日に、第二次'''香川縣'''が誕生した。
  
その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併して'''香川県(~1873年2月19日)'''が設置され、[[1872年]]に[[小豆島]]西部を編入して、現在の香川県(1888年12月3日~)と同じ管轄範囲([[行政区画]]は1888年12月に分割)となる。
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明治九年(1876年)八月二十一日に、愛媛縣と合併した。編入の度に、地理的要因・異種地域文化・住民意識不一致などに由って、香川縣として単独縣の復活を望む声が高まる。
  
しかし、[[1873年]][[2月20日]]には[[名東県]](現[[徳島県]])に編入されるも、2年後の[[1875年]][[9月5日]]に'''香川県(1875年9月5日~1876年8月20日)'''として再設置されたが、翌[[1876年]][[8月21日]]には[[愛媛県]]に編入された。編入の度に、地理的要因、異なる地域文化、住民意識の不一致などによって、香川県として単独の県の設置を望む声が高まり、12年後の[[1888年]][[12月3日]]に'''香川県'''が復活して、現在に至る。
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明治二十一年(1888年)十二月三日に、第三次'''香川縣'''が誕生して、現在に至る。
  
「香川県」の名称は、[[高松市]]が所属していた[[香川郡]]から取った物で、いわば[[郡]]名を県名にした物である。
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「香川縣」は、[[高松市]]が所属している[[香川郡]]から成った物で、[[郡]]名が、縣名に成った物である。
  
====香川県発足後====
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====第三次香川縣誕生後====
 
[[1970年]]に当時の財田村が町制施行して財田町となり、[[兵庫県]]に続いて村が消滅した。平成の大合併まで村のない県がこの両県のみという状態が長く続いた。
 
[[1970年]]に当時の財田村が町制施行して財田町となり、[[兵庫県]]に続いて村が消滅した。平成の大合併まで村のない県がこの両県のみという状態が長く続いた。
 
=====平成の大合併=====
 
=====平成の大合併=====

2010年2月3日 (水) 20:45時点における版

香川縣
国/地方 日本の旗 日本 
団体コード 37000‐2
ISO 3166-2:JP JP-37
面積 1,875.98 km²
境界未定:あり
総人口 1,005,628
人口密度 - 人 /km²
隣接都道府県 徳島県愛媛県岡山県
(海上を隔てて隣接)兵庫県広島県
県の木 オリーブ
県の花 オリーブ
県の鳥 ホトトギス
県の魚 ハマチ
知事 真鍋武紀
都道府県庁
所在地 〒760‐8570
香川縣 香川縣香川郡高松市番町四丁目壹番地十號
外部リンク http://www.pref.kagawa.jp/ 香川県庁
位置
香川県の位置
特記事項:
テンプレート

香川県(カガワケン)は、瀬戸内海に面する四國地方の國。令制國讃岐國

概要

香川縣は全國で二番目に面積の狭い都道府縣だったが、以前は最小だった大阪府に海岸埋立(関西空港)によって抜かれ、現在は都道府縣最小で有る。

古来より雨量、河川の流水量ともに少なく、旱魃に備えて、香川縣各地に14000を超える数の溜池が造られ点在している。これは香川縣に高山が無く、高低差が小さいからで有る。

北部に廣がる瀬戸内海には小豆島等、多くの島々が点在。本州岡山縣とは島々を傳う形で架けられた瀬戸大橋に依り、道路鉄道で結ばれている。

瀬戸内海を越えた岡山縣や、鳴門海峡を越えた畿内地方との繋がりが深い。特に岡山縣との間に於いては、民間テレビ放送局が、同一のエリアに成る程で有るが、同時に對抗心も強い。

コシがしっかりとした讃岐ウドン、「コンピラさん」の愛称で親しまれる金刀比羅宮空海の生誕地としても知られる善通寺四國八十八箇所の一つ)、寛永通宝銭形砂絵で知られる観音寺市、対岸の倉敷市児島から坂出市に駆けて海上に架けられた瀬戸大橋が有名で有る。

正月には、餡餅の入った白味噌仕立の雑煮「餡餅雑煮」を食べる風習がある。江戸時代、讃岐國では砂糖木綿が特産で、「讃岐三白」と呼ばれていた。この内、砂糖は、幕府への献上品として多くが用いられ、庶民の口には滅多に入ら無かった事から「せめて正月位は(砂糖を使った餡の入った甘い餅を食べたい)…」という思いから餡餅雑煮が誕生したと言われて居る。最近では、全國ネットの料理番組などでも取り上げられて注目されて居る。

香川縣庁舎の設計者は丹下健三。この他にも、丹下は香川縣立体育館や縣営一宮團地も設計しているが、雨漏がしたりして評判はイマイチで有った。

香川縣は、全國でも縣民の貯蓄率が高い。温暖な気候風土で「挑戰する精神」や冒険心は希薄だが、堅実でチマチマとした小金持ちは多く、四國御遍路への御接待の精神もある。 全國的に見ても、老後余生を過ごすには最適な縣のヒトツとされ、縣民性としては健康長寿に関心が深い。

地理

ファイル:Yashima-050211.jpg
香川県の湾岸風景

香川縣は、四國の北東部に位置し、北部には瀬戸内海に面して讃岐平野が廣がる。南部には讃岐山脈が連なる。

多島海である瀬戸内海には小豆島を始め、塩飽諸島直島諸島など約110余りの島々が存在する。

が少なく、またどれも短いため、溜池が多い。

自然公園

瀬戸内海国立公園
大滝大川県立自然公園

歴史

※詳細は「讃岐國」も参照する事。

古代

日本書紀』等には、讃岐國は洪水や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されて居る。

讃岐國では溜池の開発や雨乞儀式などが行われていた。大宝年間から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池の他、多くの溜池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐國國主と成って居る。

平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友伊豫國愛媛縣)で蜂起し、藤原純友は讃岐國國府を陥落した。朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると、讃岐國武士も、叛乱平定の爲に戦う。保元の乱で敗れた崇徳天皇は讃岐國に流刑され、讃岐國で死亡。平安時代後期には源平合戦のヒトツで有る屋島の戦いが在った。一ノ谷の戦い源義経に敗れた平氏は、屋島の戦いに於いても源義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後、平氏は瀬戸内海における制海権を失った。

中世

鎌倉新仏教派の法然上人も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇建武の新政が始まると、讃岐國には足利氏一門で有る細川定禅が入國。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏守護大名として讃岐國を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に寝返った細川清氏は、白峰合戰で、従弟・細川頼之と戦い、敗れた。

讃岐國では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて讃岐國守護職に就いた。この爲、阿波國人と同様に、讃岐國人も中央へ出る機會が多かった。戰國時代初期に、讃岐國人・香西氏が、山城國守護代を務めるなど重職にも就いた。

戰國時代は、讃岐國では東に安富氏、西に香川氏が割拠していた。両者中間の香川郡・阿野郡・鵜足郡に中小豪族が並立していた。この内、安富氏が、三好氏の援助を受けた「山田郡・十河氏」に由って滅びると、若干抵抗が有ったが、讃岐國は三好氏の支配國に成った。

畿内地方織田信長が天下統一事業を行っている頃、四國地方に付いては、細川氏に代わり三好氏が台頭し、三好長慶は、讃岐國の実質的支配者と成る。戰國時代には長宗我部氏が、三好氏の内乱に乗じて讃岐國へ進軍して平定する。羽柴秀吉が、四國地方征伐を行うと、讃岐國に、宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が進軍し、長宗我部元親が、羽柴秀吉に降伏すると、讃岐國は、仙石秀久に与えられた。その後は、生駒氏が封ぜられる。当初は、鵜足郡宇多津に拠点が置かれた。後に、香川郡高松に拠点が移された。

江戸時代

生駒氏が生駒騒動に由り、出羽國へ移されると、水戸徳川家嫡流・徳川頼重が香川郡高松に入國し、東讃岐を領する。更に、京極氏が、丸亀郡丸亀に入國し、中讃岐・西讃岐を領する。途中、京極丸亀藩は、支藩として多度津藩を分立させた爲、江戸時代の讃岐國には、高松藩・丸亀藩・多度津藩が並立した。高松藩からは、平賀源内が出ている。

この頃、讃岐國農民と、阿波国北部の山間農民の間で、借耕牛の交流が始まっていた。なお、備前國より、直島諸島・小豆島が、讃岐國に移動したのは、江戸時代の事と思われる。

明治維新以後

香川縣発足まで

江戸時代の讃岐國は、「高松藩」・「丸亀藩」・「多度津藩」・「江戸幕府直轄地・天領」・「津山藩・飛地」が分立していた。

明治四年(1871年)七月十四日の廃藩置縣に依り、「高松藩」は「高松縣」、「丸亀藩」は「丸亀縣」、「多度津藩」は「倉敷縣」、「天領」は「倉敷縣」、「津山藩・飛地」は「津山縣」と成る。 その後に、倉敷縣管轄地が、丸亀縣へと移された。明治四年十一月十五日に、高松縣と丸亀縣が合併して香川縣が誕生した。明治五年(1872年)に、小豆島西部を編入して、現在の香川縣(1888年12月3日~)と同じ管轄範囲(行政区画)と成る。

明治六年(1873年)二月二十零日に、名東縣徳島縣)と合併した。

明治八年(1875年)九月五日に、第二次香川縣が誕生した。

明治九年(1876年)八月二十一日に、愛媛縣と合併した。編入の度に、地理的要因・異種地域文化・住民意識不一致などに由って、香川縣として単独縣の復活を望む声が高まる。

明治二十一年(1888年)十二月三日に、第三次香川縣が誕生して、現在に至る。

「香川縣」は、高松市が所属している香川郡から成った物で、名が、縣名に成った物である。

第三次香川縣誕生後

1970年に当時の財田村が町制施行して財田町となり、兵庫県に続いて村が消滅した。平成の大合併まで村のない県がこの両県のみという状態が長く続いた。

平成の大合併

- 香川縣寒川郡津田町香川縣寒川郡大川町香川縣寒川郡志度町香川縣寒川郡寒川町香川縣寒川郡長尾町の、合併。

- 香川縣大内郡引田町香川縣大内郡白鳥町香川縣大内郡大内町の、合併。

- 香川縣丸亀郡丸亀市香川縣鵜足郡飯山町香川縣鵜足郡綾歌町の、合併。

- 香川縣香川郡高松市香川縣香川郡塩江町の、合併。

- 香川縣苅田郡観音寺市香川縣苅田郡大野原町香川縣苅田郡豊浜町の、合併。

- 香川縣三野郡高瀬町香川縣三野郡山本町香川縣三野郡三野町香川縣三野郡豊中町香川縣三野郡詫間町香川縣三野郡仁尾町香川縣三野郡財田町の、合併。

- 香川縣三木郡庵治町香川縣三木郡牟礼町香川縣香川郡高松市香川縣香川郡香川町香川縣香川郡香南町香川縣阿野郡國分寺町の、合併。

- 香川縣丸亀郡満濃町香川縣丸亀郡仲南町香川縣鵜足郡琴南町の、合併。

- 香川縣小豆郡内海町香川縣小豆郡池田町の、合併。

- 香川縣阿野郡綾南町香川縣阿野郡綾上町の、合併。

行政

知事

官選による知事

公選による知事

副知事

香川県議会

  • 定数:45人
  • 議長:筒井 敏行
  • 副議長:鎌田守恭
  • 所在地:高松市番町4丁目1番10号

会派

  • 自民党(30名)
  • 社会民主党・県民連合(8名)
  • けんみんねっと(5名)
  • 共産党(1名)
  • 公明党(1名)

常任委員会

  • 総務委員会
  • 環境建設委員会
  • 文教厚生委員会
  • 経済委員会

人口

年齢構成

テンプレート:香川県/5歳階級別人口

512px
香川県と全国の年齢別人口分布図(比較) 香川県の年齢・男女別人口分布図
紫色は香川県
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査2005年

経済

拠点事業所を置く主要企業

特記事項

  • 地元銀行の百十四銀行と香川銀行は、法人向けインターネットバンキングには完全に否定的で(特に百十四銀行の拒絶反応は猛烈で、同行が筆頭株主となっている香川銀行にも導入しないよう圧力をかけている)、顧客からの要望を断固としてはねつけていることで知られている。これまでモバイルバンキングにて「照会機能のみ」と最低レベルだった時代から続いていた高知県四国銀行がインターネットバンキングサービスを2006年1月16日に個人向けを、同年8月21日には法人向けをそれぞれサービスを開始したことから、この時点で香川県は本店を置く銀行が法人向けインターネットバンキングを実施していない唯一の県となった。
  • 百十四・香川両銀行ともコンビニATMにも否定的である。県内でコンビニATMがある一部のローソン店舗は岡山の中国銀行管理がある。イーネットは県内銀行との提携を諦め、中国銀行との提携でファミリーマートに設置することとなった。しかし、ユーザーからの強い要望や四国内の地銀他行が次々と導入に踏み切ったため、2008年1月を目処に百十四銀行がイーネットとの提携を決めた。
  • 全国で唯一、チケットぴあの発券カウンターがない県であったが、2006年12月にようやく設置された。

学校

小学校

香川県内には私立の小学校は1校もない。

中学校

国立の香川大学付属中学校(高松・坂出)がトップであり、それに紫雲中学校や桜町中学校といったマンモス校が追随している。

県立中学は高松北中学校(高松北高校に併設)と高瀬のぞみヶ丘中学校(高瀬高校に併設)の中高一貫校が2校存在している。

高等学校

西の丸亀高校、東の高松高校と呼ばれる二強が君臨しており、東西それぞれ各校を頂点として受験生の間で序列化されているが、平成15年ごろから高松高校が定員割れするなど受験校離れが起きており、設備の新しい三木・高松桜井といった新設公立校の人気・レベルが上昇している。公立高校が強い。 香川県高等学校一覧(香川県内高等学校の学区及び一覧)を参照のこと。

  • 公立・私立ともすべての高等学校が男女共学である。
  • 高松北・高瀬の両高校に県立中学が併設され、中高一貫教育が行われている。
  • 「県立高等学校の再編整備実施計画」として県立高等学校の再編(平成22年まで)が以下のように決定している。
  • 2007年度(平成19年度)
香川県立善通寺西高等学校 -> 香川県立善通寺第一高等学校 (統合:学校名:香川県立善通寺第一高等学校
香川県立多度津水産高等学校 -> 香川県立多度津工業高等学校 (統合:学校名:香川県立多度津高等学校

高等専門学校

大学短期大学

姉妹提携

有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区

県立の文化施設

讃岐國香川縣)」地域

讃岐國香川縣)」は、「東讃岐」・「中讃岐」・「西讃岐」の地域に、分かれて居る。

東讃岐

中讃岐

西讃岐

方言

方言に関しては、県内の島を除く全域で讃岐弁である。讃岐弁を細かに分けると、東讃地域では東讃弁、西讃地域では西讃弁、中讃地域ではその中間あたりの方言が使われる。

また、島では独特の方言や岡山弁が使用されている。

交通

航空

鉄道路線

道路

以下の国道は国土交通省四国地方整備局管理

以下の国道は香川県管理(将来は国土交通省四国地方整備局管理になる予定)

海上

マスメディア

新聞

  • 四国新聞
  • 山陽新聞も本県に支局を持っている。全国紙は香川県で夕刊を出しておらず、四国新聞も現在は夕刊を廃止しているため、山陽新聞は香川県で読める唯一の夕刊となっている(余談だがその事が香川が舞台となった2時間サスペンスドラマのネタにされたことがある)。ただし高松駅では日本経済新聞の夕刊を販売している。
  • 朝日新聞読売新聞は県内に印刷工場がある。

タウン情報誌

  • 『TJ Kagawa』(あわわ「TJ kagawa」(高松)事業部)
  • 『NICE TOWN』(ナイスタウン出版)
  • 『香川こまち』(香川こまち編集部)
  • 『ドコイコマガジン』(「ドコイコ」ドコイコマガジン事業部)

テレビ

ちなみに、地上デジタルテレビジョン放送リモコンキーIDは独立UHF局がないことを除けば関東広域圏と同じである。

ラジオ

ケーブルテレビ

特産品

作品

ドラマ

連続ドラマ
2時間サスペンスドラマ

                  など

映画

香川県が舞台の作品
 丸亀市沖の「小手島」が舞台
香川県でロケをした作品
 舞台は「時が止まったかのような変な田舎町とその町内のとある大学」としか説明されない。
 キングギドラ瀬戸大橋を破壊するシーンがある。

テレビ番組

小説

漫画・アニメ・ゲーム

主に琴平町が中心。金丸座金刀比羅宮などの名所や琴電琴平駅、中野うどん学校、琴平警察署(作中は琴平南警察署)が登場。
琴平を舞台に琴平学園・軽音部の面々の恋愛や音楽活動のドタバタを描いた作品。
主人公の出身地という設定の、香川県のとある村が何度か登場する。兵庫県出身である作者が、瀬戸内海のとある島を漠然とイメージして描かれたもので、実在の特定の島をモチーフにしている訳ではない。なお、連載時には"村"とされていたが、作者が後になって「香川県に村は無い」事を知り、単行本では"島"に直している。
元となったセガサターン用恋愛シミュレーションゲーム「センチメンタルグラフティ」の主要キャラクターの一人、杉原真奈美が住んでいる設定。アニメ版では第4話が彼女の住む高松市近辺を舞台としているが、琴電瓦町駅前が登場するほかは特定できない。また、番組自体は関東ローカルだったため地元系列局テレビせとうちでは未放送。
香川県出身のレーサー、勝木景虎と蒲生秀隆が登場。劇中では丸亀競艇場商店街や繁華街の様子、セルフうどんの店などが描かれる。
主人公・永澄の祖母が住んでいる実家は描写から旧仁尾町(現・三豊市)である。海水浴場の仁尾サンビーチやJR観音寺駅が登場している。またヒロイン・燦は西讃方面で使われている讃岐弁をしゃべる。

音楽

本県のスポーツクラブ

関連項目

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