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阪神電気鉄道の直営で運行する。大手私鉄直系の[[バス (交通機関)|バス]]の中で最後までバス事業の分社化が行われなかったが、採算の悪化により[[2005年]][[12月14日]]に子会社として'''[[阪神バス]]株式会社'''を設立し、翌2006年6月から[[西宮駅 (阪神)|阪神西宮]]発着の一般バス路線および三宮 - HAT神戸の路線を同社に移管した。
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阪神電気鉄道の直営で運行する。大手私鉄直系の[[バス (交通機関)|バス]]の中で最後までバス事業の分社化が行われなかったが、採算の悪化により[[2005年]][[12月14日]]に子会社として'''[[阪神バス]]株式会社'''を設立し、翌2006年6月から[[西宮駅 (阪神)|阪神西宮]]発着の一般バス路線および三宮 - HAT神戸の路線を同社に移管した。2008年10月よりICカード[[PiTaPa]]・[[ICOCA]]を導入する。
  
直営のバス事業についての詳細は、[[阪神電鉄バス]]の項目を参照。
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直営のバス事業についての詳細は、[[阪神電鉄バス]]の項目を参照。2009年度より全てのバス事業は子会社の阪神バスへと移管される予定である。
  
 
== 旅行業 ==
 
== 旅行業 ==

2008年9月2日 (火) 19:26時点における版

阪神電気鉄道株式会社
Hanshin Electric Railway Company, Limited
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 阪神、阪神電鉄、阪神電車
本社所在地  553-8553
大阪府大阪市福島区海老江一丁目1番24号
電話番号 06-6457-2123
設立 1899年(明治32年)6月12日
業種 陸運業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業、不動産事業、スポーツ・レジャー事業、航空事業
代表者 代表取締役社長 坂井信也
資本金 406億3,300万円
(2006年3月31日現在)
売上高 単体:856億8,400万円
2006年3月期)
総資産
従業員数 1,917人
(2006年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
主要株主 阪急阪神ホールディングス(100%出資、同社の連結子会社
主要子会社 阪神タイガース
阪神バス
阪神コンテンツリンク など
(上記子会社はいずれも100%出資)
エイチ・ツー・オー リテイリング 14.3%
関係する人物 外山脩造石井五郎野田誠三田中隆造小津正次郎久万俊二郎中埜肇手塚昌利野崎勝義
外部リンク http://www.hanshin.co.jp/
特記事項:*代表取締役社長坂井信也は、阪急阪神ホールディングス代表取締役を兼務。
*2006年9月26日までの東証1部・大証1部上場時の企業コードは9043。
*国土交通大臣登録旅行業第33号。

阪神電気鉄道株式会社(はんしんでんきてつどう、英称 Hanshin Electric Railway Co.,Ltd.)とは、大阪神戸を結ぶ鉄道と、その沿線の都市を中心に路線バスを運営している大手私鉄。略称は「阪神電鉄」または「阪神電車」。阪急阪神ホールディングスの完全子会社であり、阪急阪神東宝グループの企業である。

スルッとKANSAIでカードに印字される符号はHSである。

会社概要

1905年に営業を開始しており、都市間電気鉄道インターアーバン)としては日本で最も古い。現在、鉄道事業の営業キロは45.1km(他に西大阪線を延伸工事中)、バス事業の営業キロは1,979.8km。また、プロ野球球団「阪神タイガース」の親会社でもある。

2006年6月19日村上ファンドによる買収問題を発端とする株式公開買い付け (TOB) が成立し、阪急ホールディングスの連結子会社 (64.76%) となった。10月1日には阪神電気鉄道株1株につき阪急ホールディングス株1.4株を割り当てる株式交換を実施し、阪急阪神ホールディングス(阪急ホールディングスから商号変更)の完全子会社となった。詳しくは阪急・阪神経営統合を参照のこと。

本社所在地は大阪府大阪市福島区海老江一丁目1番24号。他に東京事務所が東京都千代田区大手町一丁目6番1号 大手町ビル532区に、自動車部が兵庫県尼崎市大庄川田町108番地の1にある。

歴史

1899年明治32年)6月に、社名を摂津電気鉄道株式会社として社長に外山脩造を迎えて設立。同年7月に阪神電気鉄道株式会社に改称し、1905年(明治38年)4月に神戸(三宮) - 大阪(出入橋)間の営業を開始した。

鉄道事業

路線

明治時代、開業にあたって官鉄線(旧国鉄東海道本線)との競合を危惧する鉄道作業局側の反対から私設鉄道法での認可が得られず、この問題を回避するため、鉄道作業局・内務省共同所轄の軌道法準拠による電気軌道として特許を申請した。これは当時の内務省幹部であり、土木工学の大家として都市交通について造詣の深かった古市公威から「線路のどこかが道路上にあればよかろう」との了解を得たことで実現した。その経緯からと集客を目的として西国街道沿いの集落を結ぶルートを選択した名残で各駅間が平均1kmと短く、駅の数は多い。

京都電気鉄道名古屋電気鉄道大師電気鉄道豊州電気鉄道江之島電気鉄道宮川電気東京電車鉄道、東京市街鉄道、東京電気鉄道大阪市営電気鉄道横浜電気鉄道土佐電気鉄道に続く日本で13番目の電鉄運営事業者であり、開業当初の線区が現在も存続するものとしては、日本で3番目に古い。電気を表徴する稲妻レール断面を菱形に囲んだだけのシンプルな社紋にその歴史が現れている。また、大阪と神戸という大都市を結んで日本における都市間電気鉄道(インターアーバン)の先駆けにもなった鉄道[2]でもある。

1920年にメイン路線である本線に並行して、阪神急行電鉄(阪急)が神戸本線を開業させると、乗客獲得競争を繰り広げるようになった。それは、車内でハンカチを乗客に無料配布するといった身近なものから、他社の営業活動をお互いに妨害するという過激な事態にも及んだ(詳しくは阪神急行電鉄の記事参照)。

1975年に国道線など軌道線区間を全廃して以降の総営業キロは40.1km、第二種鉄道事業区間の神戸高速線を含めても45.1kmで、1990年相模鉄道大手私鉄の仲間入りをするまでは、大手私鉄の中で営業距離が最も短かった。なお、1975年以前の大手私鉄で営業キロ数が最短の事業者は京王帝都電鉄(現・京王電鉄)であった。

1998年からは阪神梅田 - 山陽姫路間を直通特急が走っている。

現有路線

※西大阪線は2009年3月20日の延伸線開業時に阪神なんば線に改称予定。

乗り入れ路線

建設路線

※近鉄難波駅は上記区間開業と同時に大阪難波駅に改称予定。

廃止路線

未成線

車両

車両は1960年代以降、大きく分けて、高速走行性能に優れる急行・特急など優等列車用車両と、高加減速性能重視の普通列車専用車両に二分される。

同社の路線はJR神戸線阪急神戸線と言った競合路線と比べても駅間距離が短く、普通用の車両は所要時間の短縮や、優等列車ダイヤの遅延防止を目的として、特に高加速・高減速性能(加速度・減速度ともに最大4.0 - 4.5km/h/s。地下鉄車両の場合は加速度が最大3.3km/h/s程度)が求められており、一方、急行用の車両は高速性能が求められるため、他の大手私鉄の一般的な通勤電車と同様の性能(加速度が2.6 - 3.0km/h/s)となっている。急行系は車体の塗装から「赤胴車」、普通系は同じように「青胴車」もしくはその高加速・高減速性能ゆえに初期車両に付いた愛称から「ジェットカー」と呼ばれている。現在の車両はいずれも全長19m級の3扉車で、先頭車前面には貫通路が設けられている。電動機パンタグラフ東洋電機製造(以前は制御器も納入していた)製で、制御器のメーカーは東芝三菱電機である。日立製作所の製品は納入していない。

かつては他の多くの鉄道会社と同様に、車両に「系列」の概念が存在しなかった。1980年代前半までは、必要に応じ、複数グループの形式を自由に併結して編成を組む形を取っており、他社のような系列の考えが必要なかったため、7801形などの形式で呼称していたのである。つまり小田急電鉄京成電鉄西日本鉄道など現在でも「形」を使用している会社と同様、公式には「系」ではなく「形」を使用していた。3000系以降は同一グループの形式だけで編成を組むようになったため、系列(「系」)で呼ぶようになっている。

現在のように、地方鉄道法による免許の交付を受けるまでに製造された鉄道線の車両軌道法による特許の時代、つまり新設軌道線時代に新造された車両)は、車体側面の窓の下部に保護棒が取り付けられていたが、それらの車両の殆どは廃車となっており、現存するものはわずかとなっている。

また、本線で使用する急行系車両は、三宮駅3番線や山陽大塩駅などでのドアカットに対応するため、乗務員室にドアカットスイッチが標準装備されている。

車体外側の車両番号表記には独特の縦長ゴシック体が用いられている。同じ書体はかつての子会社であり、阪神の車両の大半を製造していた武庫川車両が製造を担当した、京福電車のモボ600番台や2000番台の車体にも用いられている。

また、編成同士の連結器にアメリカのヴァン・ドーン社のバンドン式密着連結器を現在でも採用しているのは阪神電気鉄道のみである(かつての小型車時代には急行用車にはバンドン式を、普通用にはトムリンソン式密着連結器を、と2種の連結器を併用していた)。また、日本国内の鉄道車両の連結器取り付け位置よりも235mm低い645mmの位置に連結器が取り付けられているのも特徴である。2006年から5001形5013号車を皮切りに近畿日本鉄道の車両と共通の回り子式密着連結器への換装が開始された。換装後の連結面高さは、840mmとなっている。そのままで取り付けを行うと車体裾と干渉するおそれがあるため切り欠きをしているが、8000系については、この切り欠き加工を実施していない。これは他の形式・系列と比べて車体裾高さが少し高いためである。

保有車両数が少ないことが有利に働き、1983年には他社に先駆けて冷房化率100%を達成している。冷房装置は主に国鉄AU13型に準じた分散式を採用していたが、その後の新系列車両では集約分散式へと変化している。

なお、各形式の解説中、営業最高速度が急行用車両106km/h、普通用車両91km/hとなっているのは、運転曲線がATSの検知誤差を考慮して認可最高速度よりも4km/h減で引かれていることによる。

上記のようにかなり特徴的な車両が導入されている。車体デザインは全般的にオーソドックスな前面貫通型・3扉であるのに対し、早期における軽量高性能車・高減加速車の開発、ステンレス車体の採用、電機子チョッパ制御の実用化、冷房化の推進など技術面の功績から、永らく「技術の阪神」として評価が高い。

車両の詳細は下記の各形式の項目を参照。

分類について

現用車は通常、急行用車両と普通用車両を基本に分類するが、本項では便宜上

  • 後期大型車(8000系以降から現在製造中の系列)
  • 前期大型車(5131・5331形以前)
  • 開業以来の吊り掛け駆動による小型車
  • 併用軌道線(国道線・甲子園線・北大阪線の阪神電鉄社内における総称)向け車両

の4種類を基本に分類することとする。

後期大型車は4両か6両の固定編成で運用され、営業線上での増解結を行わないため、系列把握は他社並に容易である。これに対し前期大型車は近畿日本鉄道神戸電鉄と同様、多種の形式が存在しており(阪神は大手私鉄としては路線規模が小さいが、路線の長さと車種の多さは比例しない)、ここではそれらを分離して解説する。

主な理由は以下の通り。

  • 何世代にもわたって、同様のスタイルで車両を製造していた(厳密には正面の周囲や、初期急行用車両の窓配置がかなり異なる)。
  • 同じ時代に作られた系列でも、急行用車両と普通用車両、両運転台と片運転台、2両運転可と1両運転可など作り分けがあった。
  • 新車が出る場合、一般に系列番号の1000位か100位が増加して行くのが一般的であるが、阪神では3000, 5000, 7000代の番号の増減が不規則に見られがちであった。
  • 前述通り1 - 2両単位の形式が自由に組み合わされて4 - 6両編成を組成していた(現在でも7000番台車についてはこのような運用を行うことがある。また、今後導入が予定されている1000系についても同系列内または9000系と連結できる様になる)。
  • 8000系製作以前の急行用車両は殆どが新造後に改造され、別番号に改番されていた。

前期大型車については下記の表を使用し、製造年や改造年により、同世代の急行用車両と普通用車両などの把握を容易にしているので参照されたい。

なお、以下掲載している全車両において、製造初年度が新しい車両は上、古い車両は下に配置している。

後期大型車
  • 1000系(近鉄直通対応車・2006年度に落成)
  • 9300系
  • 5500系(現新性能車ではこの形式のみ普通用車両)
  • 9000系(1000系との連結対応並びに近鉄直通対応車に改造進行中)
  • 8000系
前期大型車
  • 急行用車両と普通用車両で製造年が違う場合、その枠内で最も製造年の早い形式を記載。
  • 改造した系列は改造後も改造初年でなく、製造初年の順に配置している。
  • +印は改造か廃車による消滅形式。
製造初年 普通用車両 急行用車両
(製造時)
急行用車両
(改造後)
急行用車両の
窓配置(片運転台)
1981年 5131・5331形      
1974年 5001形(2代目)

3801・3901形+

7890・7990形
8701・8801・8901形

d1D3D3D2
1969年 5261形+

7001・7101形+
7801・7901形(両開き扉)+

2000系
2000系

d1D3D3D2
1963年 5261形+・5311形

7861・7961形
7801・7901形(片開き扉)+
3521形+

(改造なし)
3000系+
3000系+

d1D4D4D2
1958年 5231形+・5151形+・

5101・5201形+

3601・3701形+
3501形+
3301形+

7601・7701形+
(改造なし)
(改造なし)

d1D22D22D2
1954年 5001形(初代)+ 3011形+ 3561・3061形+ d1D3D3D1(3扉改造後)
事業用大型車
小型車

全車除籍済。

事業用小型車及び電動貨車

全車除籍済。

併用軌道線(国道線・甲子園線・北大阪線)車両

路線廃止により全車廃車。


車両についての特記事項

  • 相互直通運転では、通常は鉄道運転業務上や車両管理上、他社と形式や車両番号が重複しないように対処している。しかし、神戸高速鉄道乗り入れ開始時の経緯から、阪神の在籍車では5000番台(5001形など)が直通する山陽5000系列と一部重複する車両番号となっている。また2009年春には西大阪線延伸に伴う近鉄との相互乗り入れ開始に伴い、同社奈良線在籍の近鉄5800系と5820系も直通運用に充当されるようになる予定であるため、3社の5000番台形式車が阪神線上を走ることになる[3]。また近鉄1230系も乗り入れが予定されているため1000番台形式も重複する。
    なお、阪急電鉄・神戸電鉄にも5000系電車が存在するため、神戸高速鉄道には、直通運転に参加している4社すべての鉄道会社の5000系電車が乗り入れている。阪神3000系が廃車される2003年までは、3000系も4社すべてが保有していた。また2000系も4社とも神戸高速鉄道に乗り入れる(阪急2000系は現在では5000系などの中間車になった車両のみ存在)。

車両基地

乗務員区所

  • 西宮列車所(梅田 - 西宮)
  • 元町列車所(西宮 - 元町)

運賃

大人普通旅客運賃(小児は半額・10円未満切り上げ)。2008年8月1日現在。

キロ程 運賃(円)
初乗り4km 140
5 - 8 180
9 - 13 230
14 - 18 260
19 - 24 280
25 - 30 290
31 - 33 310

三宮 - 元町間は上表に関係なく120円の特定運賃。

回数券の取り扱い

  • 2007年4月1日より、阪急電鉄と運賃が重複する180円区間、260円区間、310円区間の全ての回数券については、相互利用が可能となった。但しそのままでは乗車できず、阪神の回数券については阪急線で乗車の際は前もって赤色の新型券売機で引き換える必要がある。

乗車カード・企画乗車券

以下の各項目を参照。

その他特記事項

駅の案内・放送

  • 1990年から駅自動放送シンセサイザーによる接近・発車メロディが演奏されており、発車メロディと通過列車接近メロディはオリジナル、停車列車接近メロディの曲には「線路は続くよどこまでも」が使われている。作曲・編曲は西浦達雄によるものである。
  • 列車到着時の放送は「大阪梅田行き特急」という風に種別を後に持ってくるが、各駅停車のみは「各駅停車・高速神戸行き」と種別を頭に付ける(車内放送でも同様)。
  • 優等列車が曜日や時間帯によって停車する駅(甲子園今津滝の茶屋)については、最後に「この電車は甲子園(もしくは今津、滝の茶屋)にも停車します」と放送する。

運行情報

  • 2005年12月19日よりウェブサイト上での運行情報提供が開始されているが、これは日本の大手私鉄では最も遅かった。

野球開催時の輸送体制

  • 甲子園球場での野球開催時には大阪方面(臨時ノンストップ特急が中心)・神戸三宮方面(急行が中心)共に断続的に臨時列車が運転される。このことから野球開催時の特発輸送には定評があり、後に西武鉄道もこれを模範としている。

車内放送

  • 梅田駅を車内放送で案内する場合「次は、大阪 - 大阪梅田、終点です。」と放送する。
  • 甲子園駅を車内放送で案内する場合「甲子園、球場前。」と放送する。
  • 西宮駅を車内放送で案内する場合「次は、西宮 - エビスタ西宮前です。」と放送する。
  • 三宮駅の場合は上り、下りでは案内の手法が異なる。下りは「次は三宮、神戸三宮です。」と案内される。上りは「次は三宮、阪神三宮です。」と案内される。
    • (これは阪急神戸線でも同様の措置が行われる。)
  • 全駅でどちらの扉が開くか案内する。

乗務員と運転業務

  • 乗務員は乗務中制帽のあご紐を留める。ただし、通過列車監視などのためにホームに出る際はあご紐を留めなくても良い。
  • 地下線やトンネル内、夜間を除き、阪神では日中地上線を走るときは室内灯を消灯して運転する。

村上ファンド問題

  • 2005年9月27日村上世彰率いるMACアセットマネジメント(村上ファンド)が同社株式26.67%を保有し、筆頭株主になったことが判明した。同時に、阪神百貨店株式も18.19%保有し、阪神電鉄に次ぐ大株主にもなっている(但し阪神百貨店は阪神電鉄が2005年10月1日に株式交換により100%子会社化することにしており、村上ファンドによる阪神百貨店株の取得は実質的には阪神電鉄株の取得と同じ)。
  • 2005年10月3日、村上ファンドが百貨店株の交換やさらに電鉄株を買い増し、38.13%の株式を保有したと関東財務局に大量保有報告書を提出。株主総会で重要事項の決定を拒否できることになった。
  • 2006年4月13日、新聞報道などで、村上ファンドが所有する電鉄株の引き受け先に阪急ホールディングスがなるのではないか、という報道があった。現在どちらもコメントで否定しているが、真相は不明である。
  • 2006年4月24日から25日にかけ、産経新聞日本経済新聞で、阪急ホールディングス臨時取締役会で村上ファンド保有阪神株の引き受けTOBを行う方針が報じられる。ただし、両紙とも阪急と村上ファンドとの間で価格が合意しておらず、流動的な面もあるとしている。
  • 2006年4月30日現在、村上ファンドは阪神電鉄の発行済み株式約46.65%を保有しているが、村上側は同年5月現在でも「純投資」という姿勢を貫いている(大量保有報告書にはそのように書かれている)。が、村上側は阪神電鉄側に「阪神の取締役の過半数を村上側から送り込む」などとしており、もはや「純投資」ではなく「経営支配」が目的なのではと一部報道で伝えられている。
  • 2006年5月22日、村上ファンドが保有目的を「純投資および経営参加」に変更と発表。同日、関東財務局に大量保有報告書の変更届を提出した。
  • 2006年5月29日、阪急ホールディングスによる阪神株の1株あたり930円での株式公開買い付け(TOB)実施を発表。しかしながら、村上ファンドとの交渉は決着していない。
  • 2006年6月2日、村上ファンドのインサイダー取引疑惑浮上。阪神株の売り注文が殺到し終値931円でTOB価格に近づく。
  • 2006年6月3日、村上ファンドは、阪急ホールディングスによる阪神電鉄のTOBに応じる方針を打ち出す。このTOBが成立した後、阪神電鉄は阪急ホールディングスの完全子会社になり、戦後初の大手私鉄の再編が行なわれる。
  • 2006年6月5日、村上世彰が記者会見を開いて正式に阪急ホールディングスによる阪神電鉄のTOBに応じる方針を表明、同時に村上は阪神電鉄の経営統合先として京阪電気鉄道との交渉を目指していた事を明かした。
  • 2006年6月13日、阪神株が理論上ありえないと思われていた1株あたり930円のTOB価格を割った。

バス事業

阪神電気鉄道の直営で運行する。大手私鉄直系のバスの中で最後までバス事業の分社化が行われなかったが、採算の悪化により2005年12月14日に子会社として阪神バス株式会社を設立し、翌2006年6月から阪神西宮発着の一般バス路線および三宮 - HAT神戸の路線を同社に移管した。2008年10月よりICカードPiTaPaICOCAを導入する。

直営のバス事業についての詳細は、阪神電鉄バスの項目を参照。2009年度より全てのバス事業は子会社の阪神バスへと移管される予定である。

旅行業

阪神電気鉄道は、長年航空事業部門として阪神航空のブランドで旅行業を展開していた。ホームページ等では、航空事業と記載されているが、運営しているのは旅行事業である。1948年(昭和23年)から営業を開始した。以前は同ブランドで航空貨物代理店(フォワーダー)も営んでいたが、1999年に「阪神エアカーゴ」として分社している。

国土交通大臣登録第1種旅行業で登録番号は第33号と古い歴史を持つ。関西大手私鉄の鉄道系旅行業者では唯一の直営での運営である。店舗も、大都市圏(首都圏阪神圏名古屋地区)のみで展開しているため規模は小さいものの、ヨーロッパ旅行ツアーを中心に展開している。

阪急阪神ホールディングスの一員となったため、旅行事業(阪神エアカーゴも)については旧阪急系の阪急交通社と重複することから、2008年4月1日に阪急交通社、阪急エクスプレス、阪神エアカーゴとの4社を中心に阪急阪神交通社ホールディングスを傘下とする企業グループに再編、このときに阪神航空も阪神電気鉄道から独立し阪神航空株式会社となった。

関係企業

阪急阪神東宝グループに属する全企業の一覧は阪急阪神東宝グループを参照。

関連施設

提供番組

脚注

  1. 1.0 1.1 平成21年3月20日(祝)阪神なんば線開通(予定)(PDF) 阪神電気鉄道 2008年8月1日
  2. 大師電気鉄道がその最初の営業区間の開業時期(1899年)で先行するが、同社は当初川崎大師参詣を主目的として開業しており、これが品川 - 神奈川間を結ぶ本格的なインターアーバンとなったのは阪神開業後の1905年12月24日であったため、インターアーバンとしての開業では阪神が日本初となる。
  3. 同様の事例は東武伊勢崎線において東京地下鉄/東京急行電鉄の車両と自社車両で8000番台の形式の重複という例がある。

関連項目

外部リンク

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