生野コリアンタウン

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生野コリアンタウン(いくのコリアンタウン)もしくは生野コリアタウン(いくのコリアタウン)は大阪市生野区の桃谷にある「御幸通商店街」(御幸通東商店街、御幸通中央商店会、御幸通商店街の3商店街)とその周辺の通称。英文法的には「コリアタウン(KOREA TOWN)」が正確であり、公式サイトでもこちらの呼称を用いている。「大阪コリアタウン」「猪飼野コリアタウン」「桃谷コリアタウン」などとも呼ばれる。

概要[編集]

1993年(平成5年)から『コリアタウン』との呼称を使うようになる。それまでは「朝鮮市場」と呼ばれ(ちなみに近隣住民の中には今もなお「朝鮮市場」の愛称を使う者も少なくない)、在日韓国・朝鮮人にとって食材・日用品などが豊富に揃う生活に密着した市場であった。その呼称利用の際に東、中央の両商店街にはそれぞれ「百済門」「御幸通中央門」が完成。カラー舗装、街灯なども設置。多くの在日韓国・朝鮮人が生活する街として、その特色を際立たせた。その後、2002年日韓共催のワールドカップサッカーの開催で、一躍注目を浴び、それに続く「韓流ブーム」で鶴橋駅西側(天王寺区)一体から続く大規模なコリアタウンとして一気に全国区に。現在は在日韓国・朝鮮人はじめ地元の人々の生活スペースでありながら、観光客が多く訪れるスポットとなる。こうした特色を生かし、学校や各種団体が「異文化体験」「歴史散策」「人権研修」として訪問するのを受け入れる体制が整いつつある。

歴史[編集]

もともと古代からこの地は渡来人が多数住みついており、旧地名である「猪飼野」の起源となっている。1910年の日韓併合を経て、1923年に済州島と大阪をつなぐ直行便「君が代丸」の就航をきっかけに、多くの朝鮮人が労働のために日本へ渡航し、当時工業地化しつつあった猪飼野周辺に集まってきた。こうして自然と朝鮮市場が誕生し、それを核に商店街としてスタートしたのもこの頃である。

日本の敗戦後、国に帰る韓国・朝鮮人、新たにやってくる韓国・朝鮮人と入れ替わりはあるが、この市場を中心に生活し日本最大の在日韓国・朝鮮人の集住地になった。現在も大阪市生野区の総人口の四分の一は外国人である。「コリアタウン」にくれば韓国・朝鮮人にとって必要なものが揃う「地域に密着した商店街」として発展した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]