王子製紙

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王子製紙株式会社
Oji Paper Company, Limited
種類 株式会社
市場情報 東証1部 3861
~大証1部 3861
略称
本社所在地  〒104-0061
東京都中央区銀座四丁目7番5号
電話番号 03-3563-1111
設立 1949年昭和24年)8月1日
1893年明治6年)2月12日創業
業種 パルプ・紙
事業内容 パルプの製造販売
紙加工製品の製造販売
不動産の賃貸
植林事業
代表者 代表取締役会長 鈴木正一郎
代表取締役社長 篠田和久
資本金 1,038億8,000万円
売上高 連結:1兆2,657億3,500万円
単独:568,3億8,900万円
(2007年3月期)
総資産 連結:1兆7,905億1,500万円
単独1兆4,170億2,600万円
(2007年3月期)
従業員数 4,619名(2007年3月末現在)
決算期 3月31日
主要株主 三井住友銀行 3.0%
みずほコーポレート銀行 2.7%
農林中央金庫 2.5%
日本生命 2.1%
主要子会社 王子ネピア
王子板紙
王子特殊紙
関係する人物
外部リンク www.ojipaper.co.jp/
特記事項:
ファイル:Oji Paper (headquarters 1).jpg
王子製紙本社(東京都中央区)
ファイル:HinoGawa.jpg
写真中央日野川右岸の大きな工場が王子製紙米子工場(2007年9月19日撮影)

王子製紙株式会社(おうじせいし、英文社名 Oji Paper Company, Limited)は、東京都中央区銀座四丁目に本社をおく日本で第1位(世界でも第6位)の製紙会社である。

概要

創業は1873年(明治6年)2月。1893年(明治26年)には創業地である王子の名を冠し、王子製紙と称した。1933年(昭和8年)に大手製紙メーカー2社と合併し、日本国内のシェア80%を占める巨大企業、いわゆる「大王子製紙」となったが、1949年(昭和24年)8月に過度経済力集中排除法によって苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社に分割された。このうちの1社、苫小牧製紙が現在の王子製紙の前身である。

苫小牧製紙は1960年(昭和35年)に2代目となる王子製紙の社名に復帰したが、1993年(平成5年)の神崎製紙との合併に際して新王子製紙に社名を変更した。その3年後の1996年(平成8年)10月1日に初代王子製紙の分割会社の1社である本州製紙と合併し、現在まで続く3代目の王子製紙が発足した。なお、1968年(昭和43年)に分割会社3社の合併が発表されたものの実施には至らず、十條製紙は日本製紙として別の道を進むこととなった。

王子製紙の主要製品は、新聞用紙、出版・印刷用紙、白板紙・包装用紙、情報用紙の4種類。これらはグループの売上高の36%(2006年度)を占める。なお、出版・印刷用紙は非塗工紙塗工紙微塗工紙キャスト紙など、包装用紙はクラフト紙、情報用紙は感熱紙インクジェット用紙複写機用紙・ノーカーボン紙などを指す。

主要なグループ企業として、特殊紙を扱う王子特殊紙段ボール原紙を扱う王子板紙段ボールを扱う王子チヨダコンテナーティッシュペーパーなどを扱う王子ネピアなどがある。

事業所所在地

本社・支社

生産拠点

研究所

  • 総合研究所 - 東京都江東区東雲1-10-6
  • 情報メディア開発研究所・製紙技術研究所・基盤技術開発研究所 - 東京都江東区東雲1-10-6(総合研究所内)・兵庫県尼崎市常光寺4-3-1(神崎工場内)
  • 森林資源研究所 - 三重県亀山市能褒野町24-9

沿革

王子製紙(初代)の沿革

「大王子製紙」設立まで

  • 1873年明治6年)2月12日 - 「抄紙会社」設立。
  • 1875年(明治8年)6月 - 王子工場が竣工。
  • 1875年(明治8年)12月16日 - 抄紙会社開業式を挙行。
  • 1876年(明治9年)5月1日 - 「製紙会社」に社名変更。
  • 1889年(明治22年)12月 - 気田工場が操業開始。
  • 1893年(明治26年)11月8日 - 創業地の地名を冠し、王子製紙株式会社に社名変更。
  • 1899年(明治32年)1月 - 中部工場が操業開始。
  • 1910年(明治43年)4月28日 - 苫小牧工場(→苫小牧製紙が継承)に電力を供給するため千歳第一発電所(25,400キロワット)・千歳第一堰堤を千歳川に建設。
  • 1910年(明治43年)9月12日 - 苫小牧工場が操業開始。
  • 1915年大正4年)7月 - 樺太に進出。
  • 1916年(大正5年)2月 - 帝国製紙株式会社を合併、都島工場(→十條製紙が継承)を移管。
  • 1916年(大正5年)3月 - 千歳第二発電所(2,700キロワット)・千歳第二堰堤を千歳川に建設。
  • 1916年(大正5年)7月10日 - 印刷局王子工場を譲り受け、十條工場(→十條製紙が継承)とする。
  • 1918年(大正7年)5月10日 - 千歳第三発電所(3,300キロワット)・千歳第三ダムを千歳川に建設(北海道初のコンクリートダム)。
  • 1918年(大正7年)12月 - 朝鮮に進出。
  • 1919年(大正8年) - 千歳第四発電所(3,600キロワット)・千歳第四ダムを千歳川に建設。
  • 1921年(大正10年)7月8日 - 苫小牧工場に電力を供給するため尻別第一発電所(6,100キロワット)を建設。千歳川に続き尻別川でも電源開発を開始。
  • 1923年(大正12年)12月 - 気田工場閉鎖。
  • 1924年(大正13年)4月 - 小倉製紙所株式会社を合併、小倉工場(→十條製紙が継承)を移管。
  • 1924年(大正13年)6月 - 有恒社を合併、亀戸工場を移管。
  • 1924年(大正13年)9月 - 中部工場閉鎖。
  • 1924年(大正13年)12月 - 北海工業株式会社を合併、伏木工場(→十條製紙が継承)を移管。
  • 1925年(大正14年)4月 - 東洋製紙株式会社を合併、淀川工場(→本州製紙が継承)、岩渕工場(→本州製紙が継承)を移管。
  • 1926年(大正15年)9月25日 - 尻別第二発電所(7,200キロワット)を尻別川に建設。
  • 1928年昭和3年) - 子会社として雨竜電力株式会社を設立。千歳川・尻別川に続き雨竜川の電源開発を手掛ける。

帝国製紙の沿革

  • 1913年(大正2年)1月 - 帝国製紙株式会社設立。
  • 1914年(大正3年)11月 - 大阪工場(都島工場)が操業開始。
  • 1916年(大正5年)2月 - 王子製紙株式会社(初代)に合併。

小倉製紙所の沿革

  • 1888年(明治21年)2月1日 - 千寿製紙有限会社設立。
  • 1891年(明治24年)1月 - 小倉工場操業開始。
  • 1909年(明治42年)5月 - 小倉製紙所株式会社に社名変更。
  • 1924年(大正13年)4月 - 王子製紙株式会社(初代)に合併。

有恒社の沿革

  • 1872年(明治5年)2月 - 浅野家の出資により、有恒社設立。
  • 1874年(明治5年)6月 - 千住工場操業開始。
  • 1906年(明治39年)12月 - 株式会社有恒社に改組。
  • 1924年(大正13年)8月 - 王子製紙株式会社(初代)に合併

北海工業の沿革

  • 1918年(大正7年)12月 - 北海工業株式会社設立。
  • 1919年(大正8年)9月 - 伏木工場操業開始。
  • 1924年(大正13年)12月 - 王子製紙株式会社(初代)に合併。

東洋製紙の沿革

  • 1906年(明治39年)6月 - 東洋製紙株式会社設立。
  • 1908年(明治41年)4月 - 淀川工場操業開始。
  • 1920年(大正9年)11月 - 東洋加工製紙株式会社を合併、岩渕工場を移管。
  • 1925年(大正14年)4月 - 王子製紙株式会社(初代)に合併。

東洋加工製紙の沿革

  • 1918年(大正7年)2月 - 東洋加工製紙株式会社設立。
  • 1918年(大正7年)10月 - 岩渕工場操業開始。
  • 1920年(大正9年)11月 - 東洋製紙株式会社に合併。

富士製紙の沿革

  • 1887年明治20年)11月15日 - 富士製紙株式会社設立。
  • 1890年(明治23年)1月4日 - 入山瀬工場(後の富士第1工場)が操業開始。
  • 1897年(明治30年)10月 - 第二工場(後の富士第2工場)が操業開始。
  • 1908年(明治41年)4月 - 第八工場(→本州製紙が継承、後の富士工場)が操業開始。
  • 1908年(明治41年)11月 - 江別工場が操業開始。
  • 1915年大正4年)11月 - 野田製紙所株式会社を合併、神崎工場を移管。
  • 1920年(大正9年)2月 - 東京板紙有限会社・四日市製紙株式会社を合併、千住工場、芝川工場を移管。
  • 1920年(大正9年)7月 - 前田製紙合資会社を吸収、釧路工場(→十条製紙が継承)が操業再開。
  • 1922年(大正11年)12月 - 江戸川工場(→本州製紙が継承)が操業開始。
  • 1924年(大正13年)6月 - 梅津製紙株式会社・熊野製紙株式会社を合併、京都工場・熊野工場(→本州製紙が継承)を移管。
  • 1931年昭和6年)12月 - 特殊紙科試験工場を買収、名古屋化学工場(→本州製紙が継承)とする。
  • 1933年(昭和8年)5月 - 王子製紙株式会社(初代)と合併。

前田製紙の沿革

  • 1898年(明治31年) - 前田正名が釧路に設立、釧路丁寧工場操業(北海道で初めての製紙業)。
  • 1901年(明治34年) - 経営不振で釧路工場閉鎖。北海道興業が経営継続。
  • 1913年(大正2年) - 釧路丁寧工場が全焼し操業停止。
  • 1920年(大正9年)7月 - 北海道興業を吸収。富士製紙株式会社に合併。

野田製紙所の沿革

  • 1894年(明治27年)4月 - 真島製紙所設立。
  • 1894年(明治27年)12月 - 神崎工場操業開始。
  • 1898年(明治31年)6月 - 大阪製紙株式会社に改称。
  • 1910年(明治43年)6月 - 野田製紙所に改組。
  • 1915年(大正4年)11月 - 富士製紙株式会社に合併。

東京板紙の沿革

  • 1886年(明治19年)10月 - 東京板紙有限会社設立。
  • 1888年(明治21年)6月 - 千住工場操業開始。
  • 1920年(大正9年)2月 - 富士製紙株式会社に合併。

四日市製紙の沿革

  • 1887年(明治20年)12月 - 四日市製紙有限会社設立。
  • 1890年(明治23年)10月 - 本社工場が操業開始。
  • 1897年(明治30年)8月 - 本社工場が全焼、閉鎖。
  • 1898年(明治31年)12月1日 - 芝川工場が操業開始。
  • 1920年(大正9年)2月 - 富士製紙株式会社に合併。

梅津製紙の沿革

  • 1876年(明治9年)1月 - 梅津パピール・ファブリック(京都府営)、工場操業開始。
  • 1880年(明治13年)8月 - 工場が払い下げられ、磯野製紙場に改称。
  • 1906年(明治39年)5月 - 梅津製紙株式会社に改称。
  • 1924年(大正13年)6月 - 富士製紙株式会社に合併。

熊野製紙の沿革

  • 1913年(大正2年) - 熊野製紙合資会社設立・
  • 1913年(大正2年)8月 - 熊野工場操業開始。
  • 1924年(大正13年)6月 - 富士製紙株式会社に合併。

樺太工業の沿革

  • 1913年大正2年)1月 - 樺太林産株式会社設立。
  • 1913年(大正2年)12月 - 樺太工業株式会社に社名変更。
  • 1926年(大正15年)4月 - 中央製紙株式会社・九州製紙株式会社を合併、中津工場(→本州製紙が継承)・坂本工場(→十條製紙が継承)・八代工場(→十條製紙が継承)を移管。
  • 1933年昭和8年)5月 - 王子製紙株式会社(初代)と合併。

九州製紙の沿革

  • 1895年明治28年)12月 - 肥後製紙設立。
  • 1896年(明治29年)6月 - 東肥製紙株式会社に社名変更。
  • 1898年(明治31年)10月 - 坂本工場が操業開始。
  • 1903年(明治36年)8月 - 九州製紙株式会社に社名変更。
  • 1924年(大正13年)9月 - 八代工場が操業開始。
  • 1926年(大正15年)4月 - 樺太工業株式会社に合併。

中央製紙の沿革

  • 1906年(明治39年)10月 - 中央製紙株式会社設立。
  • 1908年(明治41年)5月 - 中津工場操業開始。
  • 1926年(大正15年)4月 - 樺太工業株式会社に合併。

「大王子製紙」設立以後

  • 1933年昭和8年)5月18日 - 王子製紙・樺太工業・富士製紙が合併。生産量の80%を占める巨大企業となる。
  • 1939年(昭和14年) - 子会社の雨竜電力、雨竜川雨竜第一ダム朱鞠内湖)・雨竜発電所(51,000キロワット)の建設開始。
  • 1939年(昭和14年) - 雨竜電力、「電力管理法」の施行により日本発送電に強制的に併合され解散。雨竜川の電力事業から撤退。
  • 1941年(昭和16年)2月7日 - 苫小牧工場に電力を供給するため、千歳第五発電所(1,600キロワット)・千歳第五堰堤を千歳川に建設。千歳発電所群が完成する。
  • 1943年(昭和18年)1月 - 王子工場・亀戸工場・富士第1工場・芝川工場・京都工場休止。
  • 1943年(昭和18年)4月 - 京都工場を他社へ譲渡。
  • 1943年(昭和18年)9月 - 富士第2工場休止、他社へ譲渡。千住工場を王子兵器株式会社へ譲渡。江別工場を王子飛行機株式会社に譲渡。
  • 1943年(昭和18年)11月 - 芝川工場を王子鋳造株式会社へ譲渡。
  • 1945年(昭和20年)6月15日 - 神崎工場が空襲により操業不能となる。
  • 1945年(昭和20年)8月まで - 朝鮮・樺太の工場を喪失。
  • 1948年(昭和23年)9月 - 操業停止中の神崎工場を神崎製紙株式会社に譲渡。
  • 1949年(昭和24年)8月1日 - 過度経済力集中排除法に基づく決定整備計画により王子製紙が3社に解体され、苫小牧製紙株式会社(2・3代目王子製紙株式会社)、本州製紙株式会社(現・3代目王子製紙)、十條製紙株式会社(現・日本製紙株式会社)に分割される。

苫小牧製紙(新王子製紙)の沿革

  • 1949年(昭和24年)8月1日 - 苫小牧製紙株式会社設立、王子製紙(初代)の苫小牧工場を継承。
  • 1949年(昭和24年)12月16日 - 東証1部に上場。
  • 1952年(昭和27年)6月1日 - 王子製紙工業株式会社に社名変更。
  • 1953年(昭和28年)7月 - 春日井工場が操業開始。後に排水問題が発生。
  • 1957年(昭和32年)11月 - 中央研究所開所。
  • 1960年(昭和35年)12月1日 - 王子製紙株式会社(2代目)に社名変更。
  • 1970年(昭和45年)9月 - 北日本製紙株式会社と合併、江別工場(→王子特殊紙に譲渡)を移管。
  • 1971年(昭和46年)11月 - 春日井工場ティッシュ工場操業開始。
  • 1979年(昭和54年)3月 - 日本パルプ工業株式会社と合併、米子工場・日南工場を移管。
  • 1989年(平成元年)4月 - 東洋パルプ株式会社と合併、呉工場を移管。
  • 1993年(平成5年)10月1日 - 神崎製紙株式会社と合併、神崎工場・富岡工場を移管。同時に新王子製紙株式会社に社名変更。

北日本製紙の沿革

  • 1947年(昭和22年)12月 - 北日本製紙産業株式会社設立、王子飛行機株式会社から江別工場を継承。
  • 1949年(昭和24年)11月 - 北日本製紙株式会社に社名変更。
  • 1970年(昭和45年)9月 - 王子製紙株式会社(2代目)と合併。

日本パルプ工業の沿革

  • 1937年(昭和12年)6月 - 日本パルプ工業株式会社設立。
  • 1938年(昭和13年)11月 - 日南工場が操業開始。
  • 1952年(昭和27年)12月 - 米子工場が操業開始。
  • 1979年(昭和54年)3月 - 王子製紙株式会社(2代目)と合併。

東洋パルプの沿革

  • 1949年(昭和24年)1月 - 東洋パルプ株式会社設立。
  • 1951年(昭和26年)12月 - 呉工場が操業開始。
  • 1961年(昭和36年)10月2日 - 東証2部に株式上場。
  • 1989年(平成元年)4月 - 王子製紙株式会社(2代目)と合併。

神崎製紙の沿革

  • 1948年(昭和23年)9月 - 神崎製紙株式会社設立、王子製紙(初代)から神崎工場を継承。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 神崎工場が操業再開(1945年6月休止)。
  • 1951年(昭和26年)7月25日 - 東証1部に株式上場。
  • 1959年(昭和34年)8月 - 富岡工場が操業開始。
  • 1993年(平成5年)10月1日 - 王子製紙株式会社(2代目)と合併。新王子製紙株式会社となる。

本州製紙の沿革

  • 1949年(昭和24年)8月1日 - 本州製紙株式会社設立、王子製紙(初代)の江戸川工場(→王子板紙に譲渡)・富士工場・岩渕工場(→王子特殊紙に譲渡)・中津工場(→王子特殊紙に譲渡)・淀川工場・熊野工場・名古屋化学工場を継承。
  • 1949年(昭和24年)12月16日 - 東証1部に株式上場。
  • 1958年(昭和33年)5月 - 江戸川工場の廃水放流に漁民が抗議し、漁民105人が重軽傷を負う。
  • 1960年(昭和35年)10月 - 釧路工場が操業開始。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 滋賀工場(→王子特殊紙に譲渡)が操業開始。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 東信製紙株式会社と合併、松本工場(→王子板紙に譲渡)を移管。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 本州ダンボール株式会社と合併、佐賀工場(→王子板紙に譲渡)を移管。
  • 1987年(昭和62年)10月 - 鶴崎パルプ株式会社から営業権譲受、大分工場(→王子板紙に譲渡)を移管。
  • 時期不詳 - 淀川工場閉鎖。

東信製紙の沿革

  • 1933年(昭和8年)4月 - 松本抄紙工業所設立。
  • 1943年(昭和18年)8月 - 東信製紙株式会社に社名変更。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 本州製紙株式会社に合併。

佐賀板紙の沿革

  • 1922年(大正11年)3月 - 西肥製紙株式会社設立。
  • 1922年(大正11年)12月 - 牛津製紙株式会社設立。
  • 1942年(昭和17年)5月 - 牛津製紙と西肥製紙が合併、佐賀板紙株式会社設立。
  • 1983年(昭和58年)4月 - 本州ダンボール株式会社に合併。
  • 1986年(昭和61年)4月 - 本州ダンボールが本州製紙株式会社と合併。

鶴崎パルプの沿革

  • 1955年(昭和30年)2月 - 鶴崎パルプ株式会社設立。
  • 1957年(昭和32年)11月 - 大分工場が操業開始。
  • 1987年(昭和62年)10月 - 本州製紙株式会社に営業権譲渡。

王子製紙(3代目)の沿革

  • 1996年(平成8年)10月1日 - 新王子製紙と本州製紙が合併、王子製紙株式会社(3代目)に社名変更。
  • 1998年(平成10年)10月 - 名古屋化学事業所が春日井工場内に移転。
  • 1998年(平成10年)12月 - 富岡工場辰巳事業所操業開始。
  • 1999年(平成11年)6月29日 - 社内カンパニー導入、特殊紙カンパニーおよび家庭紙カンパニー発足。中津・滋賀・岩渕・尼崎の4工場が特殊紙カンパニーの管轄、名古屋工場(春日井工場から独立)および徳島工場(旧・辰巳事業所)が家庭紙カンパニーの管轄となる。
  • 2000年(平成13年)12月 - 中津工場熊野事業所を閉鎖。
  • 2002年(平成14年)10月1日 - 段ボール製造部門を王子板紙に統合、松本・大分・佐賀の3工場を譲渡。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 家庭用紙カンパニー(家庭紙製造部門)を王子ネピアに統合、名古屋・徳島の2工場を譲渡。
  • 2004年(平成16年)10月1日 - 特殊紙カンパニーを王子特殊紙に統合、江別・中津・滋賀・岩渕の4工場を譲渡。これにより、社内カンパニー制廃止。
  • 2006年(平成18年)8月 - 業界第5位の北越製紙に対し経営統合を目的として株式公開買い付けを開始したが不成立に終わる。
  • 2006年(平成18年)10月1日 - 江戸川工場を王子板紙に譲渡。
  • 2007年(平成19年)6月19日 - 特殊紙事業において、特種東海ホールディングス株式会社との戦略的な資本・業務提携を発表。
  • 2007年(平成19年)10月28日 - 中国・南通市に合弁会社「江蘇王子制紙有限公司」を設立、中国南通プロジェクトが本格的に始動。
  • 2007年(平成19年)11月20日 - 情報用紙事業において、三菱製紙株式会社との戦略的な資本・業務提携を発表。

関係企業

紙・パルプ製品事業

紙加工製品事業

木材・緑化事業

その他事業

かつての関係会社

  • 王子サービスセンター
    • 胆振地区でスーパーマーケット事業運営のほか、鮭加工品(スモークサーモン等)の製造・販売等も行っていたが、2003年3月にスーパーマーケット事業をマックスバリュ北海道に売却したうえで、同年7月1日でホテルニュー王子に合併された。
  • 永昌源

水力発電事業

王子製紙は1910年に完成した苫小牧工場に電力を供給するため、石狩川水系と尻別川水系に多数の水力発電所を建設、工場操業の原動力とした。特に開発が進められたのが、支笏湖を水源とする千歳川であった。

千歳発電所

ファイル:Chitose1-s-r1.JPG
千歳発電所の取水施設である千歳第一堰堤。金網で厳重に囲まれており全容はなかなか見られない。

豊富な水量を有し、工場のある苫小牧に近いこともあって、当時長距離の送電技術が確立されていなかったこともあり千歳川への関心は高まった。折から、福澤桃介を始め民間による水力発電事業が盛んに全国で行われていたこともあり、明治末期より千歳川に水力発電所群を建設する計画が立てられた。

建設が行われたのは、千歳川が支笏湖より流れ出て、現在の千歳市中心部に出るまでの狭窄部。水明渓谷と呼ばれる一帯であった(千歳市水明郷)。当時この一帯は宮内省の御料地であったが、1905年に使用願申請を行い、これが受理された後に着工された。この地が選ばれた理由は、不凍湖である支笏湖の豊富な水量と千歳川の急流が水力発電に適し、また工場予定地から近距離であるので当時の技術でも送電が可能であったこと、さらに北海道炭礦鉄道が敷設されていたことで物資の運搬が可能であったためである。

発電所を含めた工場建設のための総工費は当時の額で約400万円という高額であり、王子製紙単独では拠出不可能であったことから、三井合名会社の資金援助を仰ぎ建設が始まった。まず1910年、支笏湖からの吐き口に千歳第一堰堤(えんてい。注)を設けて、そこから水路を通じて発電を行うこととした。これが千歳第一発電所であり、認可出力10,000キロワットは当時としては日本最大級の水力発電所であった。第一発電所はその後増設を1914年1930年1969年に実施し、現在では25,400キロワットを発電する。これ以降1916年から1941年にかけて、千歳川に相次いで水力発電所が建設されるようになった。

  • 千歳第二発電所:1916年運転開始。出力2,700キロワット(取水口・千歳第二堰堤。注)
  • 千歳第三発電所1918年運転開始。出力3,300キロワット(取水口・千歳第三ダム)
  • 千歳第四発電所1919年運転開始。出力3,600キロワット(取水口・千歳第四ダム)
  • 千歳第五発電所:1941年運転開始。出力1,600キロワット(取水口・千歳第五堰堤。注)

特に1918年に完成した千歳第三発電所の取水口である千歳第三ダムは、北海道で初めて建設されたコンクリートダムであり、日本のダムの歴史に特筆されるものであった。また、千歳第一堰堤は日本では唯一となる重力式バットレスダムという型式である。現在では上流の千歳第一・第二堰堤、下流の千歳第四ダムと共に、土木学会による土木学会選奨土木遺産に発電所と一緒に指定される貴重な土木文化財でもある。千歳第一から第五までの発電所群を総称して、一般的には千歳発電所と呼ぶ。この後、羊蹄山を水源とする尻別川にも尻別第一・第二発電所が建設された。さらに1928年には千歳川の支流である漁川に恵庭発電所(出力2,150キロワット)が完成し、王子製紙の主力工場である苫小牧工場の操業を支えた。

事業の変遷

その後王子製紙は水力発電事業も手掛けることになり、1926年には送電事業で提携していた札幌水力電気株式会社を買収、同年末に「北海水力電気株式会社」を設立した。さらに1928年には雨竜川の電力開発に着手したのを機に子会社として「雨竜電力株式会社」を設立。北海道帝国大学の演習林を購入して雨竜発電所の建設に着手した。現在でも人造湖の広さ日本一である朱鞠内湖を形成する雨竜第一ダムである。こうして王子製紙は工場操業の原動力である水力発電開発に本格的に参入し、物資輸送のための森林鉄道・軌道を各所に敷設した。かつて深川市名寄市を結んだ深名線はその一つでもある。

だが建設に着手したばかりの1939年、戦時体制強化の一環として電力国家統制策が取られ、「電力管理法」が施行されたことにより雨竜電力は北海水力電気とともに半官半民のトラスト(事実上国営)である日本発送電に強制的に吸収され、解散を余儀無くされた。雨竜発電所と雨竜第一・第二ダムは1944年に完成したものの、何れも日本発送電に接収されている。これにより王子製紙は雨竜川の電源開発から手を引き、終戦後も携わることは無かった(事業は1951年の日本発送電分割により北海道電力が継承している)。ただし千歳川の水力発電所群に関しては王子製紙が日本発送電に対し必死の折衝を行ったことで、例外的に接収を免れている。日本発送電の強制接収を免れたのは日本軽金属の水力発電所と王子製紙の千歳発電所のみであったと「王子製紙社史」には記されている。

戦後、過度経済力集中排除法の指定を受け分割され、苫小牧製紙として再発足を余儀無くされた後も千歳発電所は基幹施設である苫小牧工場に電力を供給し、王子製紙の復活を影で支えた。千歳発電所群は老朽化の進行に対処するため改築や修繕が行われ現在に至るが、尻別川系統の尻別第一・第二発電所は2006年に廃止され、自社所有の発電所施設をはじめ送電線(王子尻別線)、鉄柱、鉄塔類が撤去された。

現在では千歳川系統と呼ばれる千歳発電所群(千歳川に五箇所、漁川に一箇所)が苫小牧工場を支えている。民間企業がダムを含む水力発電施設を有している例はJR東日本や日本軽金属などごく少数に限られているが、王子製紙はその中でも古くから水力発電を自前で行う企業であり、特定規模電気事業者の指定を受けている数少ない民間企業でもある。千歳第一発電所の見学は可能であるが、重要な発電施設であり貴重な土木遺産でもあるその他のダム・発電所群は金網で厳重に管理されており、立入ることは出来ない。

(注)千歳第一・第二・第五堰堤は構造的にはダムではあるが、高さが15.0m以下であるため、河川法の規定によりダムとは見なされず、堰(せき)の扱いとなる。

専用線

モータリゼーションが発達する以前の大規模工場には、製品や原料などを輸送するために、周囲の鉄道駅から鉄道路線専用線あるいは専用鉄道)を引き込むことが多かった。トラック輸送への転換などによる輸送方式の変更に伴い、1970年代後半から1990年代前半にかけて多くが廃止・撤去されたが、現在でも3工場で、コンテナによる製品発送などで使用されている。以下は現存する工場の一覧で、括弧内は路線が接続する路線名および駅名である。

また、かつて専用線・専用鉄道が使用されていた工場は以下の通り。

これらの他にも、苫小牧工場から支笏湖方面へ抜け、旅客やダム建設資材などを輸送した軽便鉄道(通称「山線」)が存在した。

環境汚染と裁判

王子製紙は、多くの環境汚染問題を引き起こしてきた。製紙工場排水からの環境汚染問題などのように、製紙工場は環境対策を重要視していなかった時代があった。日本における過去の国内の田子の浦のヘドロや江戸川の水質汚染が製紙工場等からの排水によるものといわれており、社会問題となっている。現在では、王子製紙が廃液を流していた水域におけるヘドロと呼ばれる部分の底質汚染について、公害防止事業費事業者負担法等による環境法規制の下で対策が取り組まている。一方で、データ改ざんや公害隠匿など、悪質な事例は後を絶たない。ちなみに、こうした環境汚染の行われる工場周辺には、自社で働く工場勤務者の社宅などが集中しており、このために住民の健康被害が報告されていないのではないかという懸念もある。

  1. 廃棄物の違法埋め立てと土壌汚染
    • 長野県の王子製紙所有地売却後に地中より、汚泥・インキ・焼却灰などの産業廃棄物廃掃法を違反して敷地内に埋め立てされていることが確認された。さらに廃棄物とその周辺から、ダイオキシンPCBフッ素六価クロムホウ素ヒ素が土壌環境基準値を超えて検出され、土壌汚染の発生が確認された。これらにより土地の買主であるセイコーエプソン株式会社から、廃棄物の除去費用などの損害賠償約6億4000万円の支払を求めて提訴されている。王子製紙側は、裁判を通じて立場を明確にするとしている。
    • 愛知県桃花台内にあった中間処理施設に対し、王子製紙春日井工場などから出る産業廃棄物を10年以上委託していたが、その処理施設が廃掃法違反より、同社敷地内に埋め立てていた。これにより、地盤沈下や土壌汚染が発生している。土地を購入した愛知県、造成を行ったUR都市機構、および廃棄物の排出者責任について注目されている。
  2. グループ会社(王子コーンスターチ)による公害発生の隠蔽
    • 王子コーンスターチ千葉工場(市原市)は、平成14~16年にかけて、化学的酸素要求量(COD)、浮遊物質量(SS)、ノルマルヘキサン抽出物質含有量、窒素含有量、含有量、排水量の全ての項目において、分析記録データ(測定回数・分析結果)を、約6,300回改ざんし、千葉県・市原市へ報告していた。この内、COD、SS、排水量については、水質汚濁防止法の排水基準および公害防止協定の基準値を超過し、公害を発生させていたにも係わらず、これを隠蔽していた。
  3. NOxのデータ改ざんなどの問題
    • 2007年には6つ工場で、2004年7月から今年6月にかけて、大気汚染防止法や地元との協定で定める窒素酸化物(NOx)の基準値を超えたばい煙を排出していたと発表した。このうち富士工場においては、基準値を下回るようにデータを改ざんして県などに報告していた。

スポーツ

苫小牧工場にアジアリーグアイスホッケー所属の「王子製紙アイスホッケー部」があり、春日井工場には社会人野球の「王子製紙硬式野球部」がある。2004年に硬式野球部は「都市対抗野球」で初優勝という快挙を成し遂げる。

関連項目

参考文献

  • 財団法人日本ダム協会 『ダム年鑑 1991』、1991年
  • 民衆史ブックレットNo.1 『朱鞠内と強制連行・強制労働』、空知民衆史講座、1996年

外部リンク