平将武

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平 将武(平 將武・たいら の まさたけ、生年不詳 - 天慶3年(940年))は、平安時代中期の武将平良将の子で平将門の弟。「相馬六郎」と称す。『尊卑分脈』では七男で将為の兄であるが、『常陸大掾譜』では将為の弟となっている。将門私授伊豆守。

概説[編集]

本朝世紀』の「天慶元年(938年)11月3日の条」によると、駿河伊豆甲斐相模の四ヶ国に将武の追捕令が発せられており、将門がをおこす以前から伊豆・相模辺りを拠点に猛威を奮っていたとみられている。将門が「新皇」を僭称すると伊豆守に任ぜられるが、天慶3年(940年)2月14日、将門が平貞盛藤原秀郷らとの戦いによって敗死すると勢力は一気に瓦解し、将武も討たれ同年3月7日甲斐国飛駅は「将武誅殺」を朝廷報告した。

関連項目[編集]