人名

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人名(じんめい)とは、ヒト個人の名前一般を指す概念である。現代日本での人の名前はからなるため姓名とも呼ばれるが、こうした構成を持たない社会も多い。他に、名前氏名などともいう。

概要

漢字文化圏において姓と、さらには日本における苗字は本来は互いに異なる概念だが、今日では同一視されている。日本でも、明治維新以前は氏(ウヂ:本姓)と苗字に代表される家名は区別されていた。名は名前とも呼ばれる。

人名は、呼ぶ側と呼ばれる側が互いを認識し、指示し、コミュニケーションをとる際に使われる。人は多くの場合、戸籍などに登録されるなどした、公式の名前(本名(ほんみょう))を持つが、それがそのまま用いられる場面は限られており、名前を元にした呼び名、あだ名敬称との組み合わせなどが用いられることも多い。非近代社会ではしばしば真の人名は霊的な人格と不可分のものとされ、本名を実際に他者が口にして用いることに強いタブーを持つ社会が多く見られた。

名前にはその主要な属性として、音と表記がある。例えば日本人の個人名が外国の文字で表記されることがあるが、これは一つの名前の別表記と考えることができる。逆に、漢字名の場合、場合によって読み方が変わることがある。こういった表記、発音の変化に対する呼ばれる側としての許容範囲は様々である。

名前と人間の関わりは古く、名の使用は有史以前に遡るとされ、姓などの氏族集団名や家族名の使用も西方ではすでに古代ギリシアなどにその形跡があるとされ、東方では代から後世につながる姓や氏の制度が確立されていることが確認できる。また、非近代社会においてはさまざまな理由で幼児に名前を付けない慣習が見られる地域が多かったが、1989年国連総会で採択された児童の権利に関する条約7条1項は、「児童は、出生の後直ちに登録される」「児童は、出生の時から氏名を有する権利……を有する(shall have the right from birth to a name)」と定めている。

人名の構造、使用とその多様性

人の名前は多くの文化で、2つかそれ以上の種類の部分からなる。

多くの場合、「所属を示す名前」と「個人を指す名前」の組合わせが用いられる(ここでは便宜上仮にそれを"個人名"と呼ぶことで説明する)。あるいはそのどちらか一種類だけの場合もある。その数や扱いについては様々な習慣・制度が見られる。(詳細は後述)

分かりやすい例としては、その個人が属する「(家族)の名前」と「個人の名前」の組み合わせである。 英語圏では、個人名+家族名 (given name + family name) の順に表記されることが多い(配置に着目しファーストネーム+ラストネームとも呼ばれるが、文脈に応じ逆順で表記されることや文化混合による混乱を避けるために、given nameなる呼称が選ばれる流れがある)。現代の日本の一例を挙げれば「鈴木 + 一郎」である。それぞれ、姓(せい)名(めい)などと呼ばれる。家族名はまた苗字名字とも呼ばれる。"個人名"の部分は「(な)」と呼んだり、なんら明確には呼ばずに済ませたりする。

(注) 日本語の人名では、英語の given name にあたる概念を、他の概念と明確に区別し、かつ肯定的に指し示す名称が成立していない。明治以前の今日より複合的で複雑な人名要素における「いみな(諱)(=忌み名)」などという名称には既に否定的な概念が含まれており(ただしそれ自体を忌避して否定的にとらえているのではなく、霊的人格との一体性という概念ゆえの神聖視により、みだりに用いるのを忌避しているのであるが)、その裏返しとして成立している「(あざな)」では正式の本名ではないという含意からのズレがあり、どちらも現代的な使用には向かない。また「(な、めい)」では、フルネームを指す可能性があり、明確な指示が困難になる。明治期に、法令によって人名の近代化を迅速に行った影響が今日も後を引いているとも、今日の日本人の人名構成様式が、まだ非常に浅い歴史しか持たないものだとも言える。そのため苦肉の策で日本人同士でも英語の表現を借用し「あなたのファーストネームは?」などと聞いたり、「下の名前は?」などと表現する事態が見受けられる。以下の説明では「名」(な)という言葉で"個人名"を指している箇所があるので注意されたい。)

構成要素の数

姓名の構成要素の数、すなわち、ある個人のフルネームがいくつの部分から構成されているかは、文化によって異なっている。アメリカ大陸の先住民族など、個人を指す名前のみを用いる文化もある。サウジアラビアのように、3代前にまで遡って4つの部分からなるフルネームを用いることが当たり前の文化などもある。ブラジルのように一貫していない場合もある(これは、姓を持つ習慣が普及しつつあるが、完全に普及しきっていないためであると考えられる)。

また、親子の間での姓をめぐる取扱いも文化によって異なる。子供が両親のいずれか、あるいは両方の名前を受け継ぐ習慣や制度があるかどうかは文化によって異なっている。受け継がれていくのは姓に代表される血縁集団名、家系名であるとは限らず、姓を持たない文化においては、「純一郎純也の息子、又次郎の孫」などといった形で名前が受け継がれていくこともある。インドでは逆に「純一郎、孝太郎の父」などといった形で、ある子供が生まれた時に与えられる名前に、さらにその子供の名前として使われるべき名が含まれているものもある。

構成要素の順序

姓名の構成要素の順序についても、民族・文化圏により異なることが知られている。日本中国朝鮮ハンガリーなどでは名前は姓→名の順をとり、フルネームで呼ぶ場合にはその順で呼び、フルネームを記す場合にはその順に記す。基本的には、その文化の言語においての修飾句と被修飾句の順による。これは、名こそが個人を表すものであり、姓はそれを修飾するものだと考えられるからであろう(名前空間も参照)。

名前を記す際などに、その一部を省略することも多く行われる。英語圏ではミドルネームはイニシャルだけが記されることが多くある。スペイン語圏では、複数部分からなる姓の一部が省略されることがある。

名前の変更

基本的には、人名は通常、慣習や法などによって決まっている部分(姓)や生まれた時に両親などによって与えられ、それ以後変わることのない部分(名)のいずれか、またはその組合わせからなることが多く、生涯を通じて変わらない文化も多い。だが、ここにも例外がある。

例えば、婚姻や婚姻の解消に際して、夫婦間の姓の変更が行われる文化がある。婚姻やその解消は親子関係の変更を含むこともあるため、子の名前の変更を伴うこともある。

婚姻以外にも、人生の節目において名前を与えられたり改めたりする場合がある。一部のドイツ人の間では洗礼に伴ってミドルネームが与えられ、以後はファーストネームではなくその洗礼名が頻繁に用いられることになる。日本でも、豊臣秀吉のように武士が元服や出世とともに姓名を変えるケースがあった(日吉丸→木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉)。

名前の由来

名前の由来についても、文化的多様性や共通性があることが知られている。

大雑把に分けると、その文化圏で用いられている言語で何らかの意味を考えて付ける文化と、その文化圏で伝統的に用いられている名前から選んで付ける文化に人名選択の傾向が分かれている。

例えば、今日のヨーロッパなどのユダヤ教・キリスト教社会では親の名前の一部を子の名前に付けるとか、尊敬する誰か他の人の、既にある名前を取って付けられることが多い。ユダヤ人の間には、生まれた子に死んだ親戚の名前を付ける風習があった。ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒は、聖書などの聖典に登場する古代の人物の名前(ポピュラーネーム)を子に付ける者も多い(アブラハム、イブラーヒームなど)。キリスト教社会の洗礼名が特にこの性質を強く持ち、宗派によっても異なるが、聖人あるいは聖書やキリスト教の歴史の中で重要な働きをなした人物の名が選ばれる。

しかし、これらの社会で受け継がれてきた名前も、古代においてそうした人名を考案した社会においては、そこで用いられた言語で何らかの意味を考えて付けられたものだったのである。例えば、旧約聖書に由来する人名はヘブライ語の(例:ヨハネヤハヴェは「恵み深い」)、古代ギリシア人に由来する人名はギリシア語の(例:ピリッポス=「馬を愛する」)、中世初期のゲルマン人指導者に由来する人名はその時代のゲルマン語派の諸言語の(ウィルヘルム=「意思と兜」)意味を持っている。

漢字文化圏の日本では、漢字の意味と訓読した時の意味の両方を考慮して命名することが多い(例:水野勝成(かつなり→勝つ成り・備後福山藩始祖、日向守)が、尊敬する誰かの名前にちなんでその名前を付けることもある。同じ漢字文化圏でも逆に、韓国人の名のように、他人が持っている名を避けるケースもあり、むしろ漢字文化圏全体の伝統はこちらが主流である。特に昔の中国では、皇帝の姓や名前に用いられた字を使った命名をすることは重大なタブーであった(避諱・ひき)。その為、代字が多数作られ(例:乾隆帝の名“弘暦”を避けて、弘→宏、暦→歴)異体字が増える原因の一つにもなった。

また、姓に代表される血縁集団名、家系名の由来にも様々なものがあることが知られている。生まれた土地の名、職業、性格や容姿などの特徴などと結び付いている例が多くの文化に見られる。日本では元来は姓と苗字は別のものであり、苗字の多くは地名と結び付いている。例えば田中、山本、小林、中村などであり、これはその家系が所領や名田などとして権利義務を有した土地の名を家名にしたことが多かったためである。英語圏ではMcDonald(ドナルドの息子)やJohnson(ジョンの息子)のように始祖に当たる人物の息子という形の家名や、Smith(鍛冶屋)のようにその職業にちなんだ家名、Longfellow(のっぽ)のように祖先のあだ名にちなんだ家名が目立つ。同じく「子孫」を表すMc(マクドナルド、マッカーサーなど)はスコットランド系、O'(オブライエン、オコーナーなど)はアイルランド系に多数見られる姓の接頭語である。

その他の多様性

また、家系名や個人名の多様性も文化によって大きく異なる。

日本人の苗字の種類は10万とも20万ともいわれ、世界で最も苗字の種類が多い民族とされる。 一方、中国人の姓は500以下であるとされる。最近の中国科学院の調査では、李・王・張・劉・陳がトップ5とのことで、特に李(7.4%),王(7.2%),張(6.8%)の3つで20%強(約3億人)を占める。ベトナム人は、最も多い3つの姓で90%を占める。(百家姓参照のこと) 韓国人の姓は、金()・李()・朴()・崔()・鄭()の5種類で55%にのぼり、「石を投げれば金さんに当たる」「ソウルで金さんを探す(無駄な努力のたとえ)」などという成句もある。

一方、韓国人は子の名を付ける際に、基本的に他の誰も持っていないオリジナルな名を与える(ただし、ある程度の流行はある)。 これに対して、ドイツでは「すでに存在する名前」しか受理されない。 フランスにおいても、ナポレオン法典の時代には、新生児の名は誕生日ごとに決められた聖人の名前から選ぶこととされていた。

さらに、多くの文化においては、正式な名前とは別に愛称敬称などがあり、そのパターンは文化ごとに異なっている。そうした呼称は名前を省略したり変形して用いる場合もあり、名前ではなく帰属や当事者間の関係(父と子など)を用いる場合もある。

人名と文化、社会

人名をめぐる習慣や制度は一般的に、次のような文化的・社会的事象と結び付いている傾向にある。

  • 個人・家族・帰属についての考え方(とりわけ姓をめぐる習慣や制度)
  • 価値観。人にとって何がよい性質であるか(とりわけ名をめぐる習慣や制度)

また、こうした姓名についての知識は次のような場面で活用される。

  • 歴史研究や家系図の作成などに際しての資料の解釈、記録された名前と個人の対応付け
  • 犯罪捜査
  • 戸籍・名簿などの管理・作成。それに関連したコンピュータ・データベースの構築

日本における人名をめぐる文化、制度、歴史

言葉としての特徴

今日の日本人の名前は、典型的には、苗字が漢字2文字、名が漢字2文字からなる。ただし法的制限などがあるわけではなく、苗字・名とも漢字1文字や3文字のものも多い。研究者の間で確認されている限りでは、苗字は漢字5文字のものが最長である。漢字5文字からなる苗字は、その種類もごく限られている。名においては、女性には平仮名も比較的多く見られる。片仮名は、男性には時代を通じて稀であるが、女性においては戦前には比較的よく使われた。戦後になって使用される例は減ったが、近年では個性的な名前を望む風潮から使われる例が増えている。

一般的な例)

  • 1文字苗字:東、西、南、北、乾、巽、辻、森、林、谷、原、岡、星、耀(あかる)、桂…など
  • 2文字苗字:佐藤、鈴木、田中、山本、高橋、中村、渡辺、小林…など
  • 3文字苗字:長谷川、佐々木、五十嵐、久保田、佐久間、小笠原、大久保、小野寺…など
  • 4文字苗字:勅使河原(勅使川原・てしがわら)、小比類巻(こひるいまき)、長宗(曽)我部(ちょうそかべ)…など
  • 5文字苗字:勘解由小路(かでのこうじ)、左衛門三郎(さえもんさぶろう)、正親町三条(おおぎまちさんじょう)…など  
※読み方は代表的なものを記載。

苗字・名どちらも比較的独自の語彙があるため、ある人の姓名を聞いて、それが人の姓名だとわかるのが普通である。また、苗字か名かいずれかを聞いた場合、「わかな」「はるな」「みなみ」などのごく稀な例外を除いて、それがどちらであるかを区別することも比較的易しい(これは、例えば英語でRyan Douglas Scottのように姓にも名にも用いられる語がかなり多くの人の人名に使われていることと対照的である)。

しかし、姓名を聞いた時にそれがどのような文字で書かれるかについては必ずしも分からない場合が多い。これは同じ読みのものがたくさん存在するという漢字の特徴にちなむ。 また、漢字で書かれた名前から正しい読み方が特定できない場合もある。これは、馴染みの薄い読み方(難読人名)であるために起こることもあるが、単に2つ以上のよく知られた読み方があるために起こる場合もある。日本の漢字は読み方が多いためこのようなことが起こりやすい(例えば、「裕史」という名はひろし、ひろふみ、ゆうし、ゆうじ、などと最低4通りの読みがある/字面通りの読みである必要はないので、実際にそれ以上存在する)。そのため、各種の申込書・入会書・願書・申請書などに名を記す時に振り仮名の記載を求められる場合が多いが、法的にそれを証明する手段が乏しい(名前の読みまで記したものが殆どない)。これは、戸籍が読みではなく字を基準にした制度であるためで、同じ戸籍内の者に「異音同字」の名前をつけることは出来ない(稀に夫婦で同名というケースもあるが、これは問題ない)。ちなみに「異字同音」の名前は可。

苗字の大半は地名に基づいているため、地名に多い田・山・川・村・谷・森・木・林・瀬・沢・岡・崎などの漢字を含むものが名字の多数を占める。

僧侶の名前などは音読みとなる場合が圧倒的に多い。文筆家の号も音読みのことが多く、藤原俊成(としなり・しゅんぜい)や藤原定家(さだいえ・ていか)、藤原家隆(いえたか・かりゅう)のように、本来訓読みでも音読みで読み慣わしている例もある。(→有職読み

名前を聞いたり見たりした場合に、その名前の主が男性であるか女性であるかを見分けることは比較的易しい場合が多いが、『ユウキ』『ヒロミ』『ツカサ』『カオル』など、旧来から男女両方に使われる名もある。但し、女性的に見える名前が男性に付けられる事はある(例:蘇我馬子小野妹子平国香正親町三条実愛一条忠香(明治天皇の岳父)などの歴史上の人物や、吉田照美の様に「~美」を付ける男性もいる。「~美」は男女が非常に判り辛い)。 男性の名には一般的に「健」「武」「大」「俊」など力強さや雄大さを連想させる文字がよく使われ、「~介」「~之」「~太」と続く名前が多い。生まれた順番に郎・朗を付けて「一郎(太郎)」「二郎(次郎)」「三郎」などとすることは昔に比べ少なくなったが、前に漢字を付し「健一」「浩二」「慎太郎」とすることは現在でも散見される。 女性の名には「~奈」「~香」「~美」という名が多く、「優」「舞」「愛」「香」などの可愛らしさ・優しさを連想させる文字や、花の名前(「桜」「桃」等)がよく使われる。「~子」で終わる名前は少なくなってきている。また、男性に比べ名前が平仮名である割合が多い。

一般的に男性・女性にそれぞれ力強さ・優しさを求めるといった大仰な意味で名付けが行われることは少なく、どちらかといえば響きの良さ・慣例が重視されることが多い。

また近年では『レオ』『サラ』など本来外国語・外国人名であるものも用いられだし、この割合も年々高まってきている。中でも『ジョウジ(ジョージ)』『ナオミ』『エリカ』『リサ』などは、今や日本人名として広く定着している。

姓の継承と変更

婚姻により夫と妻が新たな戸籍を作る際には、その姓(苗字のこと。法制度上は、「」と称していることに注意)として夫・妻いずれかの結婚前の姓を付けるものとされており、結果として結婚後の両者の姓は統一される。どちらの姓を採るかはその夫妻の決定に委ねられるため、単純に考えれば双方5割前後となるはずだが、旧民法家制度の下で妻は嫁として夫の「家」に入ってその姓を名乗るもの、という意識が広まった結果、新民法の下でも95%以上の戸籍で夫の姓を採用している。この制度については1990年代半ば頃から見直しの気運が高まっており、「夫婦別姓」問題として議論されている。結婚後も夫婦別姓を採用することの利点として、姓を変える側(通常女性)が一方的に蒙る社会生活における煩雑さや不便が避けられること、結果の平等の視点にたち男女平等の精神に即したものであること、などが指摘されている。反対意見として夫婦の絆を弱めるものだとの意見や、夫婦の間に生まれた子供の苗字をどちらにするかの問題などがある。

養子縁組の場合は養親の姓を名乗ることになる。

近世以降、現代の日本における姓の動向については、特に記事 「」 に挙げる。

名付け

現代の日本では、上述したように、正式な名前は姓と名からなる。これは戸籍に登録されており、新生児は出生後14日以内(国外で出生があった時は3ヶ月以内)に登録する(戸籍法第49条)。

名前は親や祖父母などが考えて決める場合が多い。子供の名前を集めた本や姓名鑑定など占いの類を参考にする場合もあるが、出生当時の社会情勢が子供の名付けに反映されることも多い[1]

例えば、昭和10年代では戦時体制下を反映して男性の名前に「勝」「勇」などの名が上位に見られるが、戦後昭和21年以降になると「勝」は上位10位から姿を消す。昭和50年代以降は有名スポーツ選手やテレビドラマなどの主人公名が上位に見られるようになる(例えば、荒木大輔が高校野球で大活躍した時期には「大輔」が流行した。松坂大輔もその一人とされる)。女性の名前から「○子」が少なくなるなどの変化が見られる。また、皇室の影響を受ける場合も多く、今上天皇明仁)が皇太子時代に成婚した際は「美智子」という命名が流行し、続いて皇太子徳仁親王生誕の際には浩宮にちなんで「浩」という漢字を付けることも流行した(浩之・浩子など)。

姓名の使用

死亡すると、仏式の葬儀を行い、戒名浄土真宗では法名)(例:○○大居士、○○居士(大姉)、○○信士(信女)、釈○○)を付けられる者も多い。日蓮正宗では男子が出家得度して僧侶となった場合、師匠から道号が付けられ、これまでの名を改め道号が名前となる。能化に昇級すれば日号(朝山日乗など)が名前となる。

以前から芸能人作家は、芸名ペンネームを用いる者が多かったが、近年ではインターネットの普及によってそれ以外の人々が ハンドルを使用することも普通に行われている。

正式な姓名は、人が互いを呼び合う際にはほとんど用いられることはない。あだ名、名、姓や名に「さん」「ちゃん」などを付けたもの、肩書きや続柄に関係したもの、二人称代名詞などが代わりに用いられることが多い。上記のハンドルを実社会で使う例もしばしば見られる。

一般に、呼称をめぐる習慣は非常に複雑であり、簡潔に説明することは困難である。当事者間の年齢や血縁や仕事上の関係、社会的な文脈などによって大きく変化するが、そうした文脈の制約条件だけからは一意的に決まらないことが多く、個人的な習慣や好みなども影響する。さらに、方言などと絡んだ地方差も認められる。また、歴史的には、日本語の一人称の一部は時代の経過とともに二人称として用いられるようになる傾向がある。「手前」(てまえ)はかつて一人称であったが、現在ではそこから転じた「てめえ」が二人称である。「自分」はかつて陸軍における一人称であったが(陸上自衛隊でも使用されている)、関西地方では近代以降に二人称として用いられている。このことから、日本語を学ぶ外国人が最も苦しむのが二人称であり、日本の商習慣も相まって非常に難解とされる。

日本人の姓名の歴史的変遷

この項では、いわゆる日本民族としての日本人の姓名の変遷について記述する。沖縄あるいはアイヌは異なる歴史を持っており、これについては後述する。 歴史的には、古代の律令国家の時代には庶民も姓(セイ)を持っていたことが現存する当時の戸籍から明らかである。しかし、この姓(セイ)は、古代社会である一つの氏(ウヂ)集団(氏族組織)の一員であることを意味するものであり、今日の苗字と同義の姓(セイ)とはその性質を大きく異にする。支配者層の姓(セイ)である氏(ウヂ)には、氏姓の制により、朝廷とその氏(ウヂ)との関わりを示す姓(カバネ)が付された。例えば、今日藤原鎌足として知られる藤原朝臣鎌足(ふじわらのあそんかまたり)では、藤原が氏(ウヂ)=姓(セイ)、朝臣が姓(カバネ)、鎌足がとなる。

しかし、平安時代になると古代から中世への社会変動の中で古代的な氏族組織は衰退して行き、新たに社会の上層から次第に「」を単位とする組織化が進行した。そして古代的な姓(カバネ)は朝廷との関わりにおいてのみ温存されていくことになった。例えば、摂関家の近衛家などは朝廷との関わりにおいては藤原氏という姓(セイ、本姓)を名乗り、摂政関白を家業として継承する家としては近衛という名(のちの苗字に相当)を名乗ったのである。こうした家名の中で、領主身分を獲得した武士によって用いられ始めたのが今日の苗字である。

在地社会ではいったん古代豪族に率いられた伝統社会が崩壊した後、貴族や大寺社の寄人(よりうど)となることなどを通じて、それに応じた姓(セイ)が各々賦与されるようになり、百姓身分であっても藤原・紀・秦・清原といった古代豪族や朝廷貴族と同じ姓を名乗るようになった。その上で、律令戸籍に見られた姓(セイ)とは異なる形で、すなわちより実利を重視する形で新たに氏(ウヂ)集団が形成されようになった。しかし、鎌倉時代末期あたりを境に百姓身分も安定した婚姻関係を基礎に継続的な家組織を持つようになり、氏(ウヂ)集団への依存度が減少した。この頃から庶民が姓(セイ)を名乗る習慣は消滅していき、代わって、独立的な家名としての苗字を名乗ることが一般的になった。

庶民がを名乗っていた中世前期までは、例えば清原氏を名乗る百姓の女性ならば名前は清原氏女(きよはらうじのむすめ)などと記され、婚姻後であっても出自する氏の構成員としての地位を保っていた。しかし庶民が苗字を名乗る中世後期になると、庶民の女性も童名のままながら「ねね」「やや」「とら」などより独立した存在としてその存在を記録に残されるようになった。その一方、女性は婚姻後は出自の家ではなく婚家の家組織に従属するという習慣も明瞭となってきた。枕草子を書いた清少納言は、父清原元輔が少納言であったことから清原の「清」を取って名付けられている。しかし、時代が移り変わるに連れて、関白の母を大政所、正妻を北政所、江戸時代の征夷大将軍の正妻を御台所と呼ぶように、女性は婚家の夫・子供の視座から呼称されるようになる。

また、東アジアではアニミズム的な背景により実名(:いみな)を他人が呼ぶことの禁忌があったため、同等者や目下の者が呼ぶために通称が発達した。例えば太郎、二郎、三郎といった誕生順(源義光を新羅三郎と呼ぶ等)や、武蔵守、上総介といった律令官名がよく用いられた。 なお、およそ公家武家を問わず諱については先祖代々の通字を用いることが多い(鎌倉北条氏の「時」、足利氏の「義」、織田氏の「信」、徳川氏の「家」など)。偏諱(へんき)といって主君の諱の一字拝領をすることが栄誉とされた他(北条高時足利高氏・足利尊氏後醍醐天皇“尊治”)、烏帽子親の一字を受けることが多かった(北条高時は高氏・尊氏の烏帽子親である)。また、家祖あるいは中興の祖として崇められるような家を飛躍させた祖先にあやかり、祖先と同じ諱を称する先祖返りという習慣もあった(伊達政宗など)。また偏諱にも2通りあり、代々の通字を与える場合と通字ではない方の字を与える場合があり、前者は特に主家に功績のあった者や縁者、後者はその人物と個人的な主従関係を現す場合が多い。例えば、豊臣秀吉の場合、前者として小早川秀秋宇喜多秀家、後者には田中吉政堀尾吉晴大谷吉継などがある。さらに、何度も改名することもあり、上杉謙信は、長尾景虎上杉景虎関東管領山内上杉氏から姓を授かる)→上杉政虎上杉憲政の偏諱)→上杉輝虎足利義輝の偏諱)→上杉謙信と目まぐるしい。江戸時代には、将軍からの偏諱を受ける家が決まっていたこともある(島津氏伊達氏など)。更に、隠居や人生の転機、自尊心・虚栄心に、名を音読みや僧侶風・文化人風名に改める風習も未だ残っている(例:島津忠良→島津日新斎、柳生宗厳→柳生石舟斎、細川藤孝→細川幽斎、森田必勝(まさかつ・ひっしょう)佐藤孝行(たかゆき・こうこう)、芸能人でも見られ、二代目・市川猿之助→猿翁、八代目・松本幸四郎→白鸚、など枚挙に暇が無い。

つまり、明治維新以前の日本では、特に社会の上層に位置する場合はなおさら、一人の成人男性は氏(本姓)・家名の2つの一族名、諱と通称の2つの個人名を持っていたことになる。ここで気をつけなければならないのは、これらを組にして呼ぶ時の組合わせが決まっていたことである。例えば、忠臣蔵で知られる大石内蔵助はフルネームを記すと「大石内蔵助藤原良雄(おおいしくらのすけふじわらのよしたか)」であり、家名(名字)が大石、通称が律令官名で内蔵寮の次官を意味する内蔵助、氏が藤原、諱が良雄となる。この例に示されるように、家名には通称が、氏には諱が組み合わされ、家名に直接諱を組にすることは正しくなかった。例えば今日、織田弾正忠平朝臣信長(おだだんじょうのちゅうたいらのあそんのぶなが)は「織田信長」と通称されるが、同時代的には「織田弾正忠」あるいは「織田弾正忠信長」と呼ばれても、「織田信長」という呼び方は呪詛の時など特殊な場面を除くとほとんど用いられなかった。もちろん、朝廷の公文書に記される時は「平朝臣信長」が正しい書式となった。

また賜姓という姓を授ける習慣もあった。例えば豊臣秀吉の賜姓による羽柴○○(徳川家康の羽柴武藏守大納言、前田利長の羽柴肥前守など)・豊臣○○(真田信繁など)、江戸幕府の外様大名の宗家への、松平賜姓による松平○○守(前田利常の松平筑前守、後の前田家の松平加賀守、島津家の松平薩摩守、毛利家の松平長門守など)と名乗らされていたなどである。(幕末戊辰戦争後に元の姓に復帰。)


ここで明治維新以前の日本人男子名の構成要素を漢文表現と比較すると次の箇条書きのようになる。前者が日本における固有表現、後者が漢文表現である。

  • 家名・苗字 →氏(シ)
  • 通称・あざな→
  • 氏(ウヂ) →姓(セイ)・本姓
  • 姓(カバネ)→対応なし
  • 諱(イミナ)→諱

本姓・氏(ウヂ)は父系の血統を示すので、養子に入っても変えることはできないのが本来の原則であった。しかし、後世になるほどこの原則はそれほど厳密には適用されなくなり、他家の名跡を継いだ場合などの、他家の本姓に変わる例外も少なくなくなった。例えば、長尾景虎は、長尾氏は平氏なので平景虎だが、上杉氏の名跡を継ぎ上杉輝虎(上杉謙信)となった後は、上杉氏の姓の藤原から藤原輝虎となった。女性の場合、本姓はもちろん婚姻後も変わらず、家名は女性が自らの名前に冠することは通例ではなかったようである。中国でも同姓族集団の解体と氏の発生が起きたが、これは日本の同姓族集団の解体と家名の発生とは並行現象ではなく、中国での氏の扱いは父系血統を示す姓の扱いに近い。ただし、日本でも中国でも姓概念と氏概念の混同、日本における固有概念と中国の漢文概念の混同がしばしば見られ、実際の用例に当たるに際して注意を要する。

また、朝廷と関わりが生じるような階層でなければ実生活で諱を使うことは滅多になかったため、周囲の者が諱を知らなかったり、後世に伝わらないことも起こった。西郷吉之助平隆永(さいごうきちのすけたいらのたかなが)の名前が明治維新に際し、周囲の者が父の諱「隆盛」を彼のものと誤解して朝廷に奏上してしまったために、以後新政府の公文書ではそのまま「平朝臣隆盛」、戸籍令以降は「西郷隆盛」と呼ばれるようになってしまったのが良い例である。

江戸時代には苗字は厳密に武士や武士から苗字を許された者の特権的身分表徴となり、公式な場で家名を名乗るのも武士や公家などの支配階級に限られていた。しかし百姓身分や町人身分であっても、村や町の自治的領域内では個々の家に属した上でそれらの構成員となっており、当然のことながら家名を有した。こうした百姓や町人の家名は私称の苗字とも呼ばれる。ただし、村や町を支配した武家政権はその内部の家単位の組織編制には立ち入らなかったため、彼等が個々の百姓や町人を呼ぶ場合は家名を冠せずに百姓何某、町人何某と呼んだのである。また町人の場合は大黒屋光太夫など屋号を苗字の代わりに使うこともしばしばある。東日本では百姓も屋号を名乗ることが多かったが、八左衛門などといった家長が代々襲名する名乗りを屋号とすることが多く、これをしばしば私称の名字と組にして用いた。しかし、武士や公家は姓と苗字を持っていたが、苗字を私称した百姓や町人は私称した苗字を持つだけで姓は持たなかった。

明治維新によって新政府が近代国家として国民を直接把握する体制となると、新たに戸籍を編纂し、旧来の氏(姓)と家名(苗字)の別、および諱と通称の別を廃して全ての人が国民としての姓名を公式に名乗るようになった。この際、今まで自由だった改名の習慣が禁止された。明治以降の日本人の戸籍人名において、氏は家名の系譜を、名は諱と通称の双方の系譜を引いている要素が大きい。例えば夏目漱石の戸籍名である夏目金之助の金之助は通称系、野口英世の英世は諱系の名である。

沖縄における姓名の歴史的変遷

史料から見る限り、1392年に帰化したといわれる閩人三十六姓及びその子孫である久米村士族を例外として、第一尚氏王統が成立するまでの王名を初めとする人名のほとんどは「琉球語/琉球方言」によると推測される名のみであり、姓ないし氏があったことは確認できない。尚巴志王三山を統一し朝貢すると、国姓として「尚」を賜り、以後の王は中国風の姓名をもつようになった。中国風の姓名は「唐名(からなー)」と呼ばれ、以後士族一般に広がった。

これに対し、第二尚氏王統成立後、士族はその采地(国王より与えられた領地)の地名を位階称号に冠して呼ばれる慣習が一般化し、さらに日本風の「名乗り」(前節の「諱」に相当、ただし全て音読みで読まれる)を持つことが普通になると、「采地名」+「位階称号」+「名乗り」が別の呼称システムとして確立した。これを「大和名(やまとぅなー)」と呼ぶことがある。「采地名」の人名化は日本における「氏」(苗字)の起源と並行するが、日本のように「采地名」が固定化した「氏」になることはなく、采地の変更にともなって変わりうる一時的な呼称にとどまった(王の世子中城を所領とし、常に「中城王子」と称した。つまり「中城」という「采地名」は王世子のみに与えられる称号であり、継承されない)。また、それまでつけられていた「琉球語/琉球方言」による名は「童名(わらびなー)」とカテゴライズされ、公共領域からは排除されていった。

このようにして、同一人物が「大和名」と「唐名」の双方を持つようになったため、後世、特に近代以降にそれ以前の歴史上の人物を呼ぶ場合、人物によって通用する名前が異なる現象が生じている(主に久米村士族が「唐名」で呼ばれる)。例えば羽地朝秀(唐名:向象賢)は「大和名」が、蔡温(大和名:具志頭文若)は「唐名」の方が通用している。

薩摩藩の琉球侵攻以後、「大和めきたる」風俗の禁止に伴い、多くの地名(したがって「采地名」)の漢字が日本本土に見られないものに置き換えられたため、本土と語源が共通する「采地名」も異なる漢字で書かれるようになった。

琉球処分後、日本の戸籍制度が沖縄にも適用されると、国民皆姓制度の導入と姓名の単一化が迫られた。士族、及び分家として「采地名」をもっていた王族はすべて「大和名」(「采地名」+「名乗り」)を戸籍名としたが、尚泰王のみは「采地名」をもたなかったため、王とその直系の子孫のみは(「采地名」をもっていても)「尚」を姓とし、「唐名」を戸籍名とした。このため、王族出身者でも「大和名」を名乗った分家(伊江家、今帰仁家など)では姓名の形式がより「本土風」であるのに対し、「尚」家の多くの男子は今も原則として漢字一字をもって命名されている。また、全体として王族、士族出身者の名の読みには音読みが根強く残っている。

その後、独特の漢字遣いをする姓を「本土風」の漢字に置き換える改姓を行ったり、逆に同じ漢字を使いながら読みを標準語に近づけるなど、日本本土への同化傾向が見られる。

先島諸島においても、尚真王による征服以前に分立していた領主の名前には、領地名を名に冠したと考えられるもの(石垣島の平久保加那按司)、名だけが伝えられているもの(石垣島のオヤケアカハチ与那国島のサンアイイソバなど)など、独特のものがある。

なお詳細は沖縄の歴史琉球の位階尚氏と向氏沖縄の名字を参照。

諸文化の人名をめぐる習慣

世界中、歴史上の諸文化における名前の扱いについて体系的に整理した包括的な研究資料などは現在のところ存在しないと思われる。だが、個別の事例については少なからぬ量の情報が入手可能である。以下ではそのようなさまざまな文化における姓名をめぐる習慣について、特徴的と思われる事例を紹介する。

イスラム圏の名前

アラブ人の伝統的な名前はクンヤ(「某の親」)、イスム(本人の名)、ナサブ(「某の子」)、ニスバ(出自由来名)、ラカブ(尊称・あだな)の要素から成り立っている。

クンヤ
クンヤは「アブー=某」(某の父)、「ウンム=某」(某の母)という形を取る。ただし、初代正統カリフアブー=バクルはクンヤで名が知られるために、アブー=バクルの名をイスムに用いる場合もある。歌手のウンム=クルスームも、クンヤによる名前が知られている例である。
イスム
イスムは本人の名である。男性にはムハンマドウマルウスマーンアリーなどイスラム初期の指導者の名や、イブラヒーム(アブラハム)、ムーサ(モーゼ)、イーサ(イエス)など預言者たちの名のほか、神のもつ99種の別名に奴隷を意味する「アブド」をつけたアブドゥッラー(神の僕)、アブドゥッラフマーン(慈悲深き方の僕)などの名も好まれる。女性にはハディージャファーティマなどムハンマドの家族に由来する名前や、ヤスミーン(ジャスミン)、ズフラ(美)、ヌール(光)など女性らしさ・美しさを表す名前がよくつけられる。
ナサブ
ナサブは「イブン=某」(某の息子)、「ビント=某」(某の娘)という形を取る。また、某(本人の名)・イブン=某・イブン=某・…と本人の名の後にナサブを連結して先祖をたどる表現もできる。イブンはビン、ブンと言うこともあり、イラクなどでは、元イラク大統領サッダーム・フセインのように「ビン」が省略されて、ナサブ(この場合はフセイン)をイスム(この場合はサッダーム)の後ろに直接連結する(イラクの例の詳細は後述)。
ニスバ
ニスバは出身地・所属部族・所属宗派に形容詞形語尾「イー」を付けた形を取る。マグリブ出身ならばマグリビー、アフガニスタン出身ならアフガーニーとなる。
ラカブ
ラカブは本人のもつ尊称である。例えばアイユーブ朝の建設者ユースフ・ブン=アイユーブはサラーフッディーンのラカブを持ち、このラカブが転訛した「サラディン」の名がよく知られている。

以上からわかるように、本来アラブ人には親子代々が継承する姓は厳密には存在しないが、部族民や上流階級などの成員で、祖先がはっきりしている者は、ナサブやニスバやラカブが『家名』のように用いられることもある。日本や欧米の人々には一般に姓と見なされているオサマ・ビン=ラディンのビン=ラディンは、何代前もの先祖某の名を使った「ビン=某」がいわば『家名』のようなものとして用いられた例にあたる。

現在はスンナ派シーア派北アフリカ地域とアラビア半島地域とで異なるというように、集団・地域による傾向に大きな差が存在する。

例えばサウジアラビアではパスポートに記載される名前は、「本人の名(イスム)、父の名によるミドルネーム(ナサブ)、祖父の名によるミドルネーム(ナサブ)、『家名』(先祖のナサブ、ニスバ、ラカブなど)」という順に表記される。

イラクの場合は、元大統領サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(Saddām Husayn al-Tikrītī)はティクリート出身のフセインの子サッダームと読み解ける。サッダームの長男ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(Uday Saddām Husayn al-Tikrītī)はティクリート出身のフセインの息子サッダームの子ウダイ、サッダームの次男クサイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー(Qusay Saddām Husayn al-Tikrītī)はティクリート出身のフセインの息子サッダームの子クサイとなる。ウダイとクサイの例からわかるように、地名によるニスバは必ずしも当人の出身地を表すのではなく、父や祖先の出身地を表す場合もあるので注意が必要である。

非アラブのイスラム教徒の間では、ペルシア語で「息子」を意味する「ザーデ」、トルコ語で「息子」を意味する「オウル(オグル、オール)」の語を、ナサブに該当する部分に用いる他は、概ねアラブ人の名と似通った名が伝統的に使われていた。しかし、トルコイランではそれぞれ1930年代に「創姓法」が制定され、全ての国民に姓をもつことが義務付けられたため、上流階級はアラブと同じように先祖の名前や出自に由来する『家名』を姓とし、庶民は父の名、あだ名、居住地名、職業名や、縁起の良い言葉を選んで姓をつけた。この結果、両国では姓名は「本人の名」・「家の姓」の二要素に統合された。例えば、トルコ人レジェップ・タイイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)はレジェップ・タイイップが名、エルドアンが姓であり、イラン人マフムード・アフマディーネジャード(Mahmūd Ahmadīnejād)はマフムードが名、アフマディーネジャードが姓である。

また、旧ソ連のアゼルバイジャントルクメニスタンウズベキスタンタジキスタンキルギスタンカザフスタンロシアに住むチェチェン人などのイスラム教徒は、長くロシア人の強い影響下にあったために、スラブ語の父称を用いたスラブ式の姓が一般的である。例えば、アリーから創られた姓はアリエフ、ラフマーンから創られた姓はラフモノフと言い、ソビエト連邦解体後もそのまま使われている。

中国人の名前

中国人の名前は典型的には漢字1文字の姓(氏)と漢字1文字または2文字の名からなり、「父方の姓」「その父系血族の同世代に共通の漢字(輩行字)」「子に特有の漢字」という順に表記される(現在では輩行字に従わない命名もある)。例えば毛沢東には二人の弟がおり、それぞれ毛沢民、毛沢覃という名であったが、この三人に共有されている「沢」が輩行字である。漢字1文字名には輩行字がないことになるが、その場合でも同世代で共通の部首をもつ字のみを名付けることがある。元来姓は父系の血統を示すので原則としては夫婦別姓であるが、女性は結婚に伴って、夫の姓を名乗るようになることがある。夫の姓に続けて自分の姓を書く(従って漢字4文字になる)場合もある。二文字の姓(複姓)もあり、諸葛・上官・欧陽・公孫・司馬などが有名である。

また、歴史を遡れば姓と氏は別のものであった。代には周王の一族は「」、太公望呂尚の子孫である公の一族は「姜」、後に始皇帝を出した公の一族は「嬴」といった姓を持ったが、これは漢族形成以前の部族集団の呼称とでもみるべきもので、族長層だけがこれを名乗った。こうした族集団の内部の父系血族集団が「氏」であった。例えば周代の姫姓諸侯である晋公の重臣であり、後に独立諸侯にのし上がった氏は姫姓であって周の族長層に出自するが、氏は韓であった。しかし戦国時代になると社会の流動性が高くなり、それによって姓はその根拠となる族集団が形骸化していった。また姓を持たず氏のみを持つ非族長層も社会の表舞台に立つようになっていった。そして代になると古代の姓の多くが忘れられ、氏が姓とも呼ばれて両者が混同される形で父系の血縁集団を示す語として用いられるようになったのである。前漢の皇帝を出した劉氏も姓を持たない階層に出自した。

さらに伝統的に下層階級以外の男性は目上の者だけが呼んでよい名(「」とも言う)と別に同等者や目下の者が呼ぶ「(あざな)」という呼び名を持った。現在は字の風習は廃れつつあるようである。

韓国人・朝鮮人の名前

韓国人・朝鮮人の名前は中国の影響を受けて、典型的には漢字2文字または3文字(まれに4文字)からなる。統一新羅の時代以前は今とまったく違う名前を用いていた。日本書紀や古事記に見られる朝鮮半島系の渡来人の名は中国式の名ではなかったことからもわかる。

例えば、高句麗王朝末期の貴族、泉蓋蘇文は今日の韓国では漢語発音で「チョン・ケ=ソ=ムン」と呼ばれているが、日本書紀の「伊梨柯須弥」という表記から当時の高句麗では「イリ・カスミ」と発音したことが知られている。「イリ」は高句麗語で泉を意味すると言われており、日本語の訓読みに類似した表記方法、「カスミ」を「蓋蘇文」とするのは漢語の発音を用いて高句麗語を表現した、日本の万葉仮名に類似した表記方法と考えられる。

現在の姓名体系は統一新羅の時代に中国式を真似たものである。姓は基本的には漢字一文字であるが、皇甫などの二字姓(複姓)も少数だが存在する。これとは別に、祖先の出身地(本貫)を持ち、同じ姓・同じ本貫(同姓同本)を持つものを同族と見なす。この同族意識はかなり強固なものであり、かつては同姓同本同士の結婚は禁じられていた。ただし、同姓でも本貫が違う場合は問題ない。現在、朝鮮半島内で最も多いのは金海金氏(釜山広域市付近の金海市を本貫とする金氏)である。族譜(족보)という先祖からの系図を書いたものがあるが、女性の名は族譜に記載されない。族譜は李氏朝鮮ごろに党争の激しくなったころから作られ始めた。族譜の中で始祖のころの系図は伝説に依拠していたり、古代の偉人に結びつけただけのものが多く、信憑性はあまりない。

名が漢字2文字の場合、同族で同世代の男子が世代間の序列を表すために名に同じ文字を共有する行列字という習慣がある。行列字は陰陽五行説に基づいて決められる。つまり「木・火・土・金・水」の入った字を順番に付けていく。たとえば、ある世代で木の入った字(根、桓)、次の世代は火の入った字(煥、榮)、次の世代は土の入った字(圭、在)……と続く。十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を使うこともある。ある世代で名前の漢字二文字のうち前の字を行列字にしたら、次の世代は後の字を行列字にする。

現在では姓名はハングル表記であり、名の部分に関しては漢字では表記できない固有語を用いる例もある(日本語のように固有語に漢字を当てる訓読みの慣習を有さない故)。在日韓国・朝鮮人は韓国・朝鮮式の本名のほかに日本式の通名を持っている場合が多い。

モンゴル人の名前

モンゴル人は縁起の良い言葉や仏教的な言葉を選んで子供を名付ける。姓にあたるものはないが、氏族(オボク)の名称が姓に近い役割を持ち、中国の内モンゴル自治区では氏族名を姓として中国式に姓名で表記することがある。例えば、チンギス・ハーン家のオボクはボルジギン氏族(孛儿只斤氏)であるため、内モンゴル出身のチンギス・ハーンの子孫はボルジギン・某(孛儿只斤某)と称する。

これに対し、モンゴル国ではロシアの影響で父の名を姓の代わりに使い、本人の名の前に置く。例えば、朝青龍明徳の本名ドルゴルスレン・ダグワドルジは、ダグワドルジが本人の名、ドルゴルスレンが父の名である。

ベトナム人の名前

ベトナム漢字文化圏に属しており、人名も漢字1ないし2文字の姓と漢字1文字から2文字(まれに3文字)の名からなる構造面では中国と共通しているが、各字の機能面からみるとかなり異なっている。名のうち1字目の字は「間の名(tên đệm、ミドルネーム)」と呼ばれ、末字の名と一体化しておらず、また中国の輩行字、朝鮮の行列字のような世代の区別に使われることもない。目上に対しても呼びかけに使われるのは末字の名のみであり、「間の名」は含まれず、また姓を呼びかけに使うことはめったにない(姓を呼称に使うのはきわめて例外的な高い敬意を表すときに限る。典型例がホー・チ・ミンを「ホーおじさん」と呼ぶ場合である)。たとえば「ゴ・ディン・ジエム(Ngô Đình Diệm、呉廷琰)」は、姓が「ゴ」、「間の名」が「ディン」、「呼びかけの名」は「ジエム」である(「ジエム政権」とはいうが「ゴ政権」とはいわない)。「間の名」に使われる字は男性で「Văn(文)」女性で「Thị(氏)」などある程度決まっているが、由緒ある家系では支派の名の区別に使われることがある。この場合支派の名は「姓」+「間の名」で弁別され、世代を超えて継承されるため、時として両者があわせて2字姓(複姓)であるかのように扱われることもある。なお名付けに使われる語は必ずしも漢字名に限らず、庶民の間では固有語による名付けがかなり存在している。また少数民族の名前には上記の説明にあてはまらない固有のシステムをもつものがある。

インドシナ半島の名前

ベトナムを除いて、伝統的にこの地域では姓はない。しかし、カンボジアラオスでも旧宗主国フランスの影響で父の名などを姓として名のうしろに付加するようになった。
ミャンマーには今も家系に共通の姓はなく、必要な時には両親いずれかの名と自分の名が併用される。また、名を付ける際には、その子が生まれた曜日によって頭文字を決める。

タイに関しては、タイの名前を参照のこと

インドネシア・マレーシアの名前

この両国でも姓は義務づける法はないが、スマトラ島のバタック人や、マルク諸島(モルッカ諸島)、フロレス島などでは氏族名を姓のように用いる。ジャワ島のジャワ人とスンダ人の多くは名しか持たないが、貴族の家系は姓を持っていて名のうしろにつける。イスラム教徒のマレー人、アチェ人、ジャワ人、スンダ人はアラブ式に父の名による呼び名を持ち、名のうしろにつけて姓のように使う場合もある。

フィリピンの名前

フィリピンのキリスト教社会では、名前は西洋式に「名、ミドルネーム、姓」の3つの部分からなる。その場合、未婚者および男性は母親の旧姓を、結婚して夫の姓となった女性は自分の旧姓をミドルネームとしていることが多い。ミドルネームはイニシャルのみを記す場合と、そのまま書き表す場合がある(例:グロリア・マカパガル・アロヨ)。姓は植民地時代にスペイン人の姓から選んで名乗ったため、スペイン語姓が主流であるが、華人系の姓も多い。名は旧来のスペイン語の名前に加えて、英語その他主にヨーロッパ系の名前が自由につけられている。

キリスト教圏の名前

キリスト教圏では、姓についての慣習は各国語圏で異なるが、名については聖人天使に由来する名前が好んで付けられる。例えば、「マイケル」(英語)・「ミシェル」(フランス語)・「ミヒャエル」(ドイツ語)・「ミケーレ」(イタリア語)・「ミゲル」(スペイン語)・「ミハイル」(ロシア語)・「ミカ」(フィンランド語)は、すべて大天使ミカエルに由来する名である。その他、聖書に登場する人物の名が多い。ポール・パウル・パオロ・パブロ・パヴェル(聖パウロ)、ルイス・ルートヴィヒ・ロドヴィコ・ルイージ・ルドヴィクス(聖ルイ)、ジョン・ハンス・ヨハン・ヨハネス・ジャン・ジョヴァンニ・フアン・ジョアン・イヴァン・ヨアニス・ヤン・ショーン(使徒ヨハネ)などなど。

また、古代ローマ人の名を由来とすることも多い(例:ジュリアス←ガイウス・ユリウス・カエサルの「ユリウス」の英語読み)。女性については、花などの名前を付けることも多い(例:ローズ←バラ)。

Counterparts of given namesの項(英語)も参照のこと。

スラブ系の名前

スラブ系の諸民族では個々の民族によって異なるが「名・ミドルネーム・姓」の3つの部分から成りミドルネームは父親の名前を基にして作るという人名の付け方を持つ民族が多く見られる。ここでは一例としてロシア語名を取り上げる。

ロシア人の名前をフルネームで表記する時は原語での順序は「名・ミドルネーム・姓」となる。但し公式文書等では「姓,名・ミドルネーム」と書かれる。ミドルネームは父称(ふしょう)といい父親の名前を基にして作るので性別を同じくする同父兄弟のミドルネームと姓は必ず同一となる。性別を同じくすると特にことわるのは、ロシア語には文法上のとして男性、中性、女性の三性がありロシア人のミドルネーム・姓は殆ど全ての場合個人の生物学上の性に依って男性形・女性形の異なる語尾を採る。

ロシア人の父称の付け方
父の名の語尾 父称
男性形 女性形
-a/-ja -ich -ichna/-inichna
-i/-ji -jevich -jevna
(子音) -ovich -ovna

父称は父親の名前にその語尾の音に応じた適切な語尾を付加して作られる(右表参照)。父称の男性形は男性のミドルネーム・女性形は女性のミドルネームに用いられる。

例えば父の名が1)Ilija(イリヤ)、2)Nikolaji(ニコライ)、3)Ivan(イワン)の三つの場合で父称男性形はそれぞれ1)Iliich(イリイチ)、2)Nikolajevich(ニコラエヴィチ)、3)Ivanovich(イワノヴィチ)となり父称女性形は1)Iliinichna(イリイニシナ)、2)Nikolajevna(ニコラエヴナ)、3)Ivanovna(イワノヴナ)となる。現代では「-イチ」の形が多くなっているが、中世までは「-シ」(「~の息子」という意味合い)という語尾を採る父称が多かった。

姓の部分は形容詞の変化に準じて男性形・女性形となる。-skij、-in、-jev、-ov等は地名などについてその場所に帰属する、又は出身である等を示してスラブ人の姓を造る接尾辞であるが、これらは形容詞男性形で対応する形容詞女性形語尾は、-skaja、-ina、-jeva、-ova等となる(-in, -jev, -ovは姓に限らず一般に名詞に付けて物主形容詞を造る接尾辞である)。こうして自分の名がニコライ、姓がカレーニンで父の名がイワンという男性の場合はニコライ・イワノヴィチ・カレーニンが正式なフルネームとなる。この人の姉妹で、アンナという女性の場合は、アンナ・イワノヴナ・カレーニナがフルネームとなる。またストラヴィンスキーなどの姓は女性の場合ストラヴィンスカヤとなる。ロストフ(Rostov)というような姓は女性だとロストワ(Rostova)となる。

ロシア語以外での人名の規則や傾向についてはロシア語名と異なる部分も少なくないが、基本概念は同じである。

スペイン語圏の名前

スペイン語圏では、姓は他の多くの国と同じ様に、基本的に父方から子へと父系相続で伝えられるのが基本となるが、個人の姓名を構成する部分の数は人によって異なる。名が最初に来る点では共通で、それに続く部分は父方の姓と母方の姓の一部または全部からなる。例えば「名、父方の祖父の姓、母方の祖父の姓」と3つの部分からなる名前がある。あるいは「名、父方の祖父の姓、父方の祖母の姓、母方の祖父の姓」「名、父方の祖父の姓、父方の祖母の姓、母方の祖父の姓、母方の祖母の姓」と4つまたは5つの部分からなる姓名を持つ場合もある。また、女性は結婚すると「名、父方の祖父の姓、 de+夫の父方の祖父の姓」で名乗るのが一般的となる。

ポルトガル語圏の名前

ポルトガル語圏では、姓名の構成はスペイン語圏によく似ているが、姓名に父方の姓と母方の姓を並称する場合は「名、母方の祖父の姓、父方の祖父の姓」の語順となり、スペイン語圏と反対である。

ドイツの名前

18世紀ドイツにおいては、洗礼の際にミドルネームが与えられることがあった。(必ず与えられたわけではない)もしミドルネームが与えられた場合には、その人はそのミドルネームで知られることになり、ファーストネームは余り用いられなかった。しばしば教会の記録などでもファーストネームが省略され、ミドルネームとラストネームだけが用いられた。また、ある一家の男の子達が全員ヨハネスというファーストネームを持つ、というようなこともあった。この場合でも、洗礼と共に各人に別々の名前が与えられ、その名前が用いられるようになるため、問題がなかったとされる。また、女性のファミリーネームを記録する際には元の名前の最後にinを付す習慣があった。(例えば「Hahn」が「Hahnin」と書かれる。)また、一家で最初に生まれた男の子には父方の祖父の名を、一家で最初に生まれた女の子には母方の祖母の名をつけることがしばしば見られた。「花の咲く土地」を意味すると思われる姓Floryに、他にもFlori、Florea、Florey、Flurry、Flury、Florie、など似た姓が数多くある。これはその姓を持っていた人々が文字を書くことができず、名前を発音することはできても綴ることができなかったため、筆記を行った人によって異なる綴りになったと考えられる。

英語圏の名前

英語圏の姓名は多くの場合、3つの構成要素からなる。ファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームである。ファーストネームはギブンネーム(given name)とも呼ばれ、ラストネームはサーネーム(surname)、ファミリーネーム (family name)などとも呼ばれる。

ラストネームは、日本における姓とほぼ同じもので、父系の家系を通じて受け継がれる。稀に、母のラストネームが父のラストネームとハイフンでつながれて子に受け継がれることなどもある。

ミドルネームはファーストネームと同時に親が名付けるもので、多くの場面でイニシャルだけの省略系が用いられる。(ミドルイニシャルと呼ばれる。)稀に、ミドルイニシャルだけを持ち、ミドルネームがない場合もある。ハリー・S・トルーマン大統領はその一例であり、このようにイニシャルだけを与えることはアメリカ南部に見られた風習だとされる。なお、ミドルネームが無い場合もある。

西欧社会では女性は結婚と共にそれまでの姓を夫の姓に換えることが普通であったが、アメリカでは、20世紀中ごろから女性が結婚後も姓を変えない風習がひろまりつつある。また、両者の姓を併記するカップルもいる。

古代ローマ人の名前

古代ローマの自由人男性の氏名は多くの場合3~4の部分からなっていた。個人の名前、氏族の名前、家族の名前、および添え名である。例えばガイウス・ユリウス・カエサルは、「ユリウス氏族のカエサル家のガイウス」という名であった。このうち個人名のバリエーションは少なく、20種類ほどに限られていた。また個人名はバリエーションが少ないこともあって略して記されることも少なくない。以下はその対応。

  • ガイウス - C 
  • マルクス - M
  • ルキウス - L
  • ティトゥス - T
  • ティベリウス - Ti
  • プブリウス - P
  • クィントゥス - Q
  • デキムス - D
  • グナエウス - Cn
  • アウルス - A
  • ヌメリウス - N(またはNum)

自由人女性には個人名はなく、氏族名の女性形やあだ名で呼ばれていた。例えばクラウディウス氏族の娘はクラウディアと呼ばれ、ユリウス氏族の娘はユリアと呼ばれた。

養子の場合にはもとの姓を家族名の後ろにつけた。例えば、オクタウィアヌスの場合「ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス」がカエサル家に養子となった後は「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス」となった。

沿え名は国家に功績のある場合などに元老院の決議などにより与えられた。多くアフリカヌス、ゲルマニクスなど勲功を上げた土地の名にちなんで与えられた。また出身地の名称からとられることもあった。こうした添え名は一代限りのものも多かったが世襲を許され、家族名として用いられるものもあった。

オランダの名前

オランダでは前置詞 van を含んだ姓 (surname) が多く見られる。van は英語 of あるいは from の意味を持ち、出身地を示すが、現代ではもともとの意味はほとんど失われている。英語圏で見られるようなミドルネームは持たない。複数の個人名 (given name) を持つこともあるが、日常的に用いるのはそのうちの1つだけであり、ほとんどの場合はファーストネームを使う。そのため大部分の人はファーストネーム・サーネームの組み合わせで広く知られることになるが、フルネームで最も良く認識されている場合もある。貴族の家系では Huyssen van Kattendijke などの複合姓 (double surname) を持つこともあり、この場合 Huyssen はファーストネームではないことに留意する必要がある。ナイトに対応する称号として ridder が知られる。

ファーストネームが複雑な場合には省略した通称で呼ばれることもあり、例えば Hieronymusch が通称 Jeroen などとなる。大きな契約や結婚、IDカードなど以外には通称を用いるのが普通である。複数の個人名を持っている場合、通称も複数個からなるものを用いることがある。

その他の国や地域

  • インドについては、インド人の名前を参照。
  • アイスランドでは、家系に共通の姓はない。姓名は通常、子供の名と、父の名の語尾に接尾語を加えた名の2つの部分からなる。接尾語は、男の子には息子を意味するソン(son)、女の子には娘を意味するドッティル(dottir)を父の名の後に付すという形をとる。電話帳では、ファーストネームにより検索することになる。
  • トルコでは、1934年に導入された創姓法によって、国民全員が姓を持つことが義務付けられた。
  • フランスではナポレオン法典によって子供につけられる名前が聖人の名前などに限定されたことがある。Jean-PaulやJean-Lucのような2語からなるファーストネームがフランスで一般化したのは、そのような状況の中で名前に独自性を持たせようとした当時の工夫のためである。フランスでは子供に付けられる名前が少なく(アラン、フィリップなど)、同じ名前の人物が多数いるという状況で、苦情が絶えない。
  • ギリシャ人は長男に父方の祖父の名をつける、などの習慣がある。また「~の息子」を意味する「~プーロス」という姓が用いられることも多い。(例:「ステファノプーロス」=「ステファノスの息子」→ギリシャ系アメリカ人で米TVコメンテーターのジョージ・ステファノポロス等が有名)。また古代ギリシャ人では姓は一般化せず、姓が普及したのは有力貴族が成長してきた9世紀の東ローマ帝国時代以降のことである。

人間以外の名前

犬や猫などのペットには通常、人名と同様の個体固有の名前が与えられる。日本では犬の「ポチ」猫の「タマ」などが比較的典型的な名前として知られている。アメリカでは犬には「Dude」が多い。これらの名前からわかる通り、ペットの名前は人間の名前とは明らかに異なるものである場合も多い。 だが、最近「ペットは家族の一員」という考えが広まるにつれ、人間と同様の名前をつけるケースも多くなっている、

また、日本には茶道具、刀剣や船などに人名に類似した固有名をつけてきた伝統があり、今日でも産業用ロボットにも個体固有の名前を与えることがあるが、これは欧米などに見られないものであるとされる。これは日本人の工場労働者がロボットを敵対視しないため、と説明されることが多い。

関連項目

参考資料

参考文献

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  • 梅田修 『世界人名ものがたり―名前でみるヨーロッパ文化』講談社現代新書 講談社 1999年 ISBN 4061494376
  • 梅田修 『ヨーロッパ人名語源事典』大修館書店 2000年 ISBN 4469012645
  • 梅田修 『世界人名ものがたり―名前でみるヨーロッパ文化 』講談社現代新書 講談社 1999年 ISBN 4061494376
  • 辻原康夫『人名の世界史』平凡社 2005年 ISBN 4582852955

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関連書

  • 紀田順一郎 『名前の日本史』 文藝春秋 ISBN 4166602675
  • 阿辻哲次 『「名前」の漢字学』日本人の“名付けの由来”をひも解く 青春出版社 ISBN 4413041283

出典

  1. 明治安田生命保険の調査結果サイトも参照
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