中野富士見中学いじめ自殺事件

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中野富士見中学いじめ自殺事件(なかのふじみちゅうがくいじめじさつじけん)とは、1986年東京都中野区で起きた男子中学生の自殺事件である。俗に「葬式ごっこ事件」とも言われ、学級担任いじめに加担するなど日本で初めていじめ自殺事件として社会的に注目された事件である。

事件の概要[編集]

1986年2月1日深夜、東京都中野区立中野富士見中学校(2009年3月閉校、2009年4月より第一中学校と共に南中野中学校へ統合・再編)2年の男子生徒が、父の故郷である岩手県盛岡駅ビルのショッピングセンターフェザン地下のトイレで首を吊って死んでいるのを見回りの警備員に発見された。床には「このままじゃ生き地獄になっちゃうよ」と記された遺書が残されていた。

男子生徒は、2年生に進級した後に級友グループから使い走りをやらされるようになった。 生徒は祖母にこのことをもらした。それに対して祖母は使い走りをきっぱり断るように言ったという。やがていじめに遭うようになり、それが徐々にエスカレートし、日常的に暴行を受けるまでになった。さらに、そのいじめグループらの主催によって学校でその男子生徒の「葬式ごっこ」が開かれることとなる。その「葬式ごっこ」には担任教師ら4人が荷担し、寄せ書きを添えていた。荷担の理由として「どっきりだから」といじめていたグループに説明されたから記載したと釈明した。それがきっかけとなり男子生徒は学校を休みがちになり、のちに自殺することになった。

担任教師らは自分の身を守るために、担任を行っていた生徒らに対し自殺した生徒について口止めするように言っていたことも発覚。他にもいじめを知っていながら教育委員会などに対し報告も行わなかったり、自殺後に開かれた聞取調査では自殺した生徒に原因があるかのような発言まで行っていた。同年4月に保身に走っていた担任教師に対し事件後に発覚した学習塾でのアルバイト行為などにより諭旨免職の処分が下り、校長と4人の教師に対し減給などの処分が下り、校長と2人の教師が自主退職した。

また、この自殺事件で同学校の生徒の精神面も不安定となり、授業中に自殺した生徒の名前を挙げながら同級生と喧嘩をした挙げ句、教室を飛び出し教師ともみ合いになった生徒が暴行容疑で逮捕される事件も起こった。ちなみにこの際、教師は生徒が教室を飛び出す直前まで生徒同士の喧嘩を見て見ぬふりをしていた。

この事件はマスメディアにより大々的に報道され、初めていじめ自殺事件がクローズアップされた事件でもある。報道により学校や教師の自宅、いじめに荷担していた生徒の自宅に嫌がらせが発生した。これ以外にも被害者である生徒の遺族の自宅まで嫌がらせが発生し、遺族が二次被害を受けることとなった。

同年4月に警視庁はいじめに荷担していた16人を傷害および暴行容疑で書類送検。同年6月に男子生徒の遺族が遺書で名指しされた生徒2名とその両親らと東京都と中野区に対し、東京地方裁判所損害賠償訴訟を起こす。同年9月、東京地方裁判所によりその名指しされた生徒2名に保護観察処分を下す。1994年3月27日、東京地方裁判所は「葬式ごっこはいじめと認めないが、自殺直前に行われた暴行が自殺となった」としていじめそのものを否定。更には遺書に記されていた内容について遺族と生徒との間に問題があったことを示唆していると述べ、被告らに400万円の賠償命令を下す。いじめを認めない東京地方裁判所に納得出来ない遺族により控訴。1994年5月20日、東京高等裁判所は「葬式ごっこなど、普通の人なら苦痛に感じるはず。それが止められなかった学校にも責任がある。但し、いじめと自殺との因果は不明である」と述べ、被告らに1,150万円の賠償命令を下した。