トヨタ・コースター

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コースター(COASTER)は、トヨタ自動車が製造するキャブオーバー型のマイクロバス及び派生車種のライトバン[1]である。

概要

ビッグバン(1ナンバー)やキャンピングカー(8ナンバー)としての登録も多く、テレビ放送局などでのロケバスとしても多く用いられている。また、日産・シビリアン同様、コミュニティバス用として導入している国内事業者もある。日本国内での用途廃車後、途上国中古車として輸出されるケースが多い車両でもある。

輸出仕様につり革非常口、降車ブザーなどを備えた路線仕様も存在し、香港において運行されているミニバス(Public Light Bus)のほとんどがコースターLPGを使用している。また、香港向けに開発された1BZ 型 4.1 L LPGエンジン搭載車も、3代目から日本で発売され、コースター / リエッセ IIに設定され幼稚園バス等で使用されている。

欧州では、ポルトガルサルバドール・カエターノがコースターのシャーシに独自の車体を架装し、オプティモの名で販売している。

乗車定員10名以下に構造変更[2]すれば、3ナンバー登録も可能である。

前史

1956年-1962年

トヨペット・ルートトラックのはしごフレームにバスボディーを架装したものがコースターの始祖にあたる。

当初は、毎年のようにシャシが改良され、それに伴い型式(かたしき)も変更された。同一フレームがトラック、ルートバン、バスなどで共用されていた。

他社も含め、当時はマイクロバスではなく、ライトバスと名乗っているものが多いようである。

  • 1959年昭和34年) トヨペット ダイナ(RK95) バス仕様 RK95B
  • 1961年(昭和36年) トヨペット RK150B
  • 1962年(昭和37年) 旧アラコ製の RK160B 登場。車名はトヨペット・マイクロバス。12人乗りと15人乗りの2タイプ。

トヨタ・ライトバス K170B系(1963年-1969年)

1963年(昭和38年)3月、ダイナのモデルチェンジに合わせ、3R-B型ガソリンエンジン搭載のトヨタ・ライトバス RK170B系が発表された。

170系ダイナでは、バスボディーを架装しやすいよう、スタウトと共通のものから、直線的なフレームに一新されており、ボディーもこれまでより大型のものを新規に設計・開発した。ライトバスの型式は、末尾がB (BUS) とされ、22人乗りがRK170B、25人乗りはRK170B-Bとなった。また、日本のマイクロバスとしては初めてとなる、オルタネーター交流発電機日本電装製)を装備していた。

当型式の丸型テールランプとバックアップランプは、2000GTにも流用されている。 以後、コースター登場まで、3度のマイナーチェンジを経る。

トヨタ車体の歴史には、マイクロバスRK160B型(現コースター、旧アラコ製)、トヨタ自動車の歴史ではこのRK170B トヨタ・ライトバス(現・コースター)、とそれぞれ記されており、RK、JK系のバスモデルがコースターにつながったことが示されている。

なお、少数ながら、スタイルの異なるトヨペット整備製の車体を架装したモデルも、傍系として併売されていた。

J型ディーゼルエンジン搭載のJK170B系を追加。

1965年(昭和40年)6月サブエンジン方式クーラー搭載モデルを設定。このエンジンにはパブリカ700用のU型が流用され、最後列の座席を廃した床下に収められた。大型のクーラーボックスをも備えており、外観では屋根上のクーラーダクトと、リアの通気用メッシュが特徴となる。

1966年(昭和41年)2月、パブリカの800cc化に伴い、クーラー用サブエンジンが2U-B型となる。

1966年(昭和41年)2月、エンジンを1900ccの5R型へ変更、型式がRK171Bとなる。

歴史

初代・U10系、B10系(1969年-1982年)

1969年昭和44年)2月、コースターという名前では初代となるRU18型が登場する。従来どおり、ダイナの姉妹車として開発されており、型式の「U」もダイナと共通である。最前部の屋根のみ少し高くされ(ハイルーフを除く)、運転席と左側最前列席への移動性が向上している。運転席ドアを装備するとともに、ラップアラウンド形状(U字型)のバンパーをいち早く採用した。

5R型ガソリンエンジンのほか、J型ディーゼルエンジンも設定され、レントゲン車などの架装に対応して発電用サブエンジンの搭載も可能であった。

1977年(昭和52年)2月、マイナーチェンジ。フレームを補強、ホイールベースも15mm延長され、型式がRU19となる。ブレーキマスターシリンダーがタンデムとなり、真空倍力装置一体型となる。5Rエンジンは圧縮比のアップなどで5ps・1kgmの出力向上。外観ではフロントグリルの意匠、外板色や塗り分けを変更。

1977年(昭和52年)6月、ダイナのフルモデルチェンジに先んじ、B10系に型式変更。ダイナから分離され専用型式(かたしき)となったため、運輸省の認可上はモデルチェンジとなるが、外観が踏襲されているため従来型との判別は難しい。

ライトバス時代を通しても初となる、カタログモデルとしてのハイルーフが設定されている。2U型エンジンを用いたサブエンジン方式のクーラーは廃止され、経済性や騒音面を重視し、乗用車等で一般的なエンジン直動式コンプレッサーとなっている。大きな車室の冷気をまかなうためのコンプレッサーは非常に大型となり、ベルト駆動では信頼性に欠けるため、トランスミッションケース横から長い補助シャフトで動力を伝えるPTO式を採用している。この補助シャフトのアイディアは、初代エスティマスーパーチャージャーの駆動にも応用されている(エスティマの動力取り出しはPTOでは無く、クランクプーリーとベルトによる。)。

車両総重量とクーラーコンプレッサーの負荷を考慮してエンジンには若干の余裕を持たせ、3200ccの2B型ディーゼルと、2200ccの20R型ガソリンが新たに設定された。2B型は、ランドクルーザー40系排出ガス規制用として、1979年(昭和44年)に日本国内向けのみに搭載されるまで、しばらくはコースター専用であった。

2代目・B20、30系(1982年-1992年)

1982年(昭和57年)5月、フルモデルチェンジされ2代目が登場する。このモデルより、ロングボデーやオートマチックトランスミッション(1985年10月)もラインナップされる。

全車の前輪に、トーションバー・スプリングを用いたダブルウィッシュボーン式サスペンションが新たに採用された。又、スタンダード、幼児車を除き、角形4灯ヘッドライトが採用された。

直列6気筒エンジンがメインとなり、ランドクルーザーに搭載されていた、直列6気筒OHV、4000cc、過流室式の2H型ディーゼルエンジンと、その直噴ターボ版の12H-T型(1985年(昭和60年)10月追加)がコースターにも設定された。他に、4気筒OHV・3400cc・過流室式ディーゼルの3B型、4気筒OHV・3700ccの直噴ディーゼル14B型(1988年8月追加)、4気筒OHC・ 2,400ccガソリン22R型と合わせ、5機種のラインナップとなった。

客用ドアは、従来からの折り戸に加え、国産マイクロバスでは初となるグライドドアを設定、どちらも自動・手動切替式とした。また、EXグレードにはエアサスペンションを採用した。

他社に先駆けて、これら一連の装備の採用で、コースターの商品性は大きく向上した。

1984年(昭和59年)8月、一部改良が行われる。また、普通貨物登録の「ビッグバン」を追加。普通免許(当時)での運転が可能なよう座席を9名とし、車室後半を1.25t積みの荷室に充て、バックドアは荷役に都合の良い観音開きとした。2007年6月以降は運転免許制度改正に伴い、ロングボデーは車両総重量が5tを超えるため、新普通免許での運転は出来なくなった。

1987年(昭和62年)5月、一部改良が行われた。

1990年平成2年)1月、マイナーチェンジ。6気筒ディーゼルエンジンをH系から、OHC・4,200cc過流室式の1HZ型と、同じく直噴式ターボ過給の1HD-T型へ変更し、平成元年排出ガス規制に適合(型式の排ガス記号:U-)。ボデーのカラーリングも変更された。

3代目・B40、50系(1992年-)

1992年(平成4年)12月、フルモデルチェンジ。大型の新CIを擁した、フラッシュサーフェイスボディーにモデルチェンジ。ホイールベースは、標準の3200mmとロングの3935mm の2種、全長はそれぞれ6255mmと6990mmとなる。バスには標準ルーフとハイルーフがあり、ビッグバンはハイルーフのみが設定されている。バスは標準で後面にトランクリッドを持ち、室内とつながっている。左右非対称の観音開きバックドアはビッグバンに標準で、バスではオプションとなる。

客用(左側)ドアは従来どおり折戸プラグドアの2種類で、定員最大積載量はバスが20(スーパーラウンジ) / 26 / 29名で、幼児車は大人3名+幼児39名 / 大人3名+幼児49名、ビッグバンは9名+貨物1,250kgとなっている。バスのロングに冷蔵庫を装備した場合は定員が1名減となるほか、上級グレードは後席からの前方視界を確保するため、床が後に向けて階段状に高くなるファインビューフロアを採用した。

ビッグバン標準ボディは新設普通免許で運転が可能だが、ロングボディは車両総重量が5005kgとなり、規格をわずかにオーバーするため中型免許(8トン限定含む)が必要となる。

エンジンは1HZ型1HD-FT型15B-FT型の他、仕向け地により、3RZ-FE型ナイジェリア)、14B(アフリカ大陸)も設定された。

幼児車は当初丸形4灯ヘッドランプであったが、後に異型2灯に変更されている。但し、輸出向けモデルには丸形4灯が多数設定されている。

最小回転半径はロングホイールベースが6.5m(ローザは6.4 - 7.5m、シビリアンは6.6m)、標準ホイールベースが5.5m(ローザは5.7 - 6.1m、シビリアンは6.0m)。

1995年平成7年)4月、平成6年排出ガス規制適合と同時に4気筒、4.1 L の15B-FT型エンジン搭載のシリーズ初の4WD追加[3]

1996年(平成8年)5月日野自動車レインボー ABの後継としてリエッセ II (Liesse II)としてOEM供給を開始した。これと同時に、日野自動車からリアエンジンリエッセの相互OEMを受け、コースターRとして販売されていたが、現在はトヨタ自動車から日野自動車への供給のみで、コースターRの販売は終了している。

1997年(平成9年)、一部改良が行われた。

1999年(平成11年)、一部改良が行われた。平成10年排出ガス規制適合。4気筒エンジンは15B-FT型から15B-FTE型に変更されて4WDのみの設定となり、6気筒エンジンは1HD-FT型から1HD-FTE型に変更された。また、衝撃吸収式ステアリングコラムとホイールに変更された。

2000年(平成12年)10月、第34回東京モーターショーに「ハイブリッド遊覧バス」が出品された。後述のハイブリッド仕様がベースで、テーマパーク内での輸送を想定しているため、客席部は開放構造で窓ガラスが無い。また車椅子にも対応している。

2001年(平成13年)8月マイナーチェンジが行われた。平成12年騒音規制適合、フロントグリルのデザイン変更、リアターンシグナルランプレンズのクリアー化など。

2002年(平成14年)3月、日本仕様にもLPGエンジン1BZ-FPE型が設定される。但し5MTのみ。

2004年(平成16年)7月、新短期規制に適合させるため、国内での1HD、1HZの各6気筒ディーゼルエンジンと、B系4気筒ディーゼルエンジンが廃止され、ディーゼルエンジンは全て日野自動車製N04C-T系となり、車両型式記号はXZBとなる[4]

2005年(平成17年)12月、一部グレードに6速AT車追加。

2007年(平成19年)7月24日、マイナーチェンジが行われた。ディーゼルエンジン新長期排出ガス規制に適合、ATを全車6速に変更、MTは6速が廃止され、全車5速化された。同時に、ヘッドライト、コーナーマーカー、フロントグリル、シート表皮などが変更され、サイドに方向指示器が追加された。

2009年(平成21年)7月2日、一部改良(発売は8月3日より)。パワードアロックを助手席ドア、センタードア、バックドアにも装着して利便性を向上すると共に、メーターパネルを一新した。

2011年(平成23年)8月22日、一部改良。高圧コモンレール式燃料噴射システムや高性能触媒DPRを改良した新型ディーゼルエンジンN04C-UP型(バス「GX」・バス「EX」の6速AT車はN04C-VF型)を搭載し、排出ガスのクリーン化を図ったことで、平成22年(ポスト新長期)排出ガス規制をクリアした。

3枚折り戸仕様、ロングボディのリアオーバーハングをさらに引き伸ばした「スーパーロング」、逆に標準ボディのリアオーバーハングを縮めた「超ショート」等の特注・受注生産となる仕様もある。ボディーの伸縮は、固定窓の幅に合わせ、それぞれ約700mmづつとなっている。標準ボディと超ショートの最小回転半径は上記の通り5.5mで、トレッドが狭いため6.1 - 6.3mを要するハイエーススーパーロングよりも小さく、さらに超ショートでは旋回時のリアのせり出しも少なくなり、高さを含む駐車スペースと道幅さえ許せば使い勝手に優れる選択となる。この特徴により、超ショートはキャンピングカーのベースとして愛好家の一部から支持されている。また、中米エルサルバドル向けに後方部にドアを追加した2ドア仕様も生産されている。

2024年現在、20年以上にわたって大きな変更もなく生産されているロングランモデルである。

ハイブリッドEV

1500ccの5E-FE型エンジンを発電用に使ったシリーズハイブリッド車もHZB50系の改造車扱いでラインナップされていた。運転席・助手席の後部に機器を増設しているため、吸気口が外観のアクセントとなる。 1997年3月に発売開始、車両本体価格が約1,500万円と非常に高価なため導入例が少なく、北海道では極寒期の出力減衰という事情もあり、2007年のマイナーチェンジで生産・市販を中止した。導入例としては札幌市の紅葉の名所である豊平峡ダムへの観光客送迎用バス(札幌リゾート開発公社)や東京電力横浜火力発電所見学者用が挙げられる。

生産工場

販売店

特記事項

都心循環バス(BU10、BB10系)

東京都交通局の実験的な試みで始まった、ビジネスや買い物客を想定した、低運賃都心循環バスにコースターハイルーフが採用された。1973年昭和48年)2月、クリーム色に水色の帯の美濃部カラーでデビューした。1980年(昭和55年)9月にK-BB11型に代替され、全廃時の都電を彷彿とさせる、黄色地にえんじの帯へ変更された。大型の方向幕とも相まって、都営バスのなかでは異彩を放つものであった。現在の100円バスと同様のコンセプトであったが、利用客が少なく、1983年(昭和58年)8月に廃止された。その後車両は岩手県の東磐交通に売却され、都営時代のカラーのまま路線バスとして使われ廃車となったが、解体されずに倉庫となり現在に至る。後にこの塗色は、一般の都営バスにも波及したが、都の調査の結果、利用者には不評であったため、短期間で緑とベージュの組み合わせへと変わっている。

国際科学技術博覧会(2代目)

1985年(昭和60年)3月国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)会場内の巡回バス(愛称・ポレポレバス)として採用される。この車体については、乗務員が停留所で運賃収受や車椅子の乗降補助を容易にするため、左ハンドルに設定され、側面の乗降口は運転席のすぐ後ろと、最後部の2箇所に設けられた。また、バリアフリー対策として、オプションの車椅子乗降用リフトも8台中4台に取り付けられた。

車名の由来

脚注

  1. ビッグバン
  2. ジャンボタクシー等
  3. 高機動シャーシメガクルーザーも同様)を流用し、ハブリダクションを省いたフルタイム4WDである。コースターでは、トランスファーも1速となった。仕様はロングボデーハイルーフ・4速ATで、発売当初は4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション・4輪シングルタイヤだったが、その後、車両価格を抑え、リプレイスタイヤの購入費用を抑えるため、後輪は標準車のホーシングを流用したダブルタイヤリーフリジッドサスペンションに変更された。2004年のB型エンジン廃止と同時に生産を終了した。
  4. オーストラリア香港マカオ向けもN04Cに変更されたが、排出ガス規制のないアフリカでは1HZ、14Bが継続設定された。

関連項目

外部リンク