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2014年5月18日 (日) 01:59時点における最新版

カール・ブラント(Karl Brandt、1904年1月8日 - 1948年6月2日)はドイツの医師。ドイツの政治家アドルフ・ヒトラーの主治医だった人物。1939年から精神障害者・身体障害者などの安楽死計画「T4作戦」の責任者となり、多数の人間を安楽死に追い込んだ。親衛隊における最終階級は親衛隊中将及び武装親衛隊中将(SS-Gruppenführer und Generalleutnant der Waffen-SS)。医学博士号(Dr.med)所持。

経歴[編集]

ドイツ帝国帝国直轄州エルザス=ロートリンゲンに属していたエルザス地方のミュールハウゼン(Mülhausen)で生まれる(現在はフランス領である)。ドレスデン大学イェーナ大学フライブルク大学ミュンヘン大学ベルリン大学などに在学して医学を学び、ベルリン大学在学中の1928年に州医師試験に合格した。1929年にフライブルク大学から医学博士号(Dr.med)を贈られる。1930年に医師免許を取得。

1932年3月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に参加する(党員番号1,009,617)。はじめ突撃隊に入隊。1933年8月15日にヒトラーの副官ヴィルヘルム・ブリュックナーが自動車事故を起こして大けがをした際に彼の手術と看病に当たった。そのことが総統アドルフ・ヒトラーの耳に入り、ヒトラーは彼を医師にしようと決意した。

1934年3月1日に親衛隊に移籍が命じられるとともに、総統付医師(Leibarzt des Führer und ReichsKanzlers)に任命され、ヒトラーのそば近くに仕えるようになった。1934年7月29日に正式に親衛隊に入隊(隊員番号260,353)。1936年から1940年にかけて親衛隊本部に勤務。1939年10月頃、フィリップ・ボウラーとともにT4作戦の監督に任ぜられた。1943年からは戦傷者・空襲負傷者の治療の余裕を作るため、「治療しても仕方がない精神病患者」を安楽死させる計画が実行された。この計画はブラントの名をとってブラント作戦と名付けられている。

しかし1944年10月5日、ハンス・カール・フォン・ハッセルバッハ医師(Hans Karl von Hasselbach)とともにテオドール・モレル医学博士がヒトラーに処方していた薬に反対する報告書をヒトラーに提出したことで信任を失い、マルティン・ボルマンから総統付医師職の解任を告げられた。家族をベルリンから離したりしたこともあり、ヒトラー自身もブラントに怒りを募らせていた。1945年4月16日にはゲシュタポに逮捕されてその翌日に死刑判決を受けるが、数日後、カール・デーニッツの指令で解放される。

戦後、イギリスに逮捕され、アメリカ軍によるニュルンベルク継続裁判医者裁判にかけられた。ここで、彼は冷凍実験等について尋問されるが、それでも意志を曲げず「ヒトラーの命令通りに執行した」と自己弁護をするが、侵略戦争などの計画、実行と戦争犯罪と非人道的犯罪の罪により有罪となった。判決は死刑だった。医学の研究の為に献体の旨を申し込んだが、却下された。1948年にランツベルク刑務所で他の6人(フィクトール・ブラック、ヴァルデマール・ホーフェンヴォルフラム・ジーヴァスルドルフ・ブラントカール・ゲープハルトとヨアヒム・ムルゴウスキー)と絞首刑に処された。

絞首刑に処される前にこう残した。おそらく冒頭の「ある国家」はアメリカを指しているのだと推測される。

「どうしてあらゆる観点からみて人体実験の最先端にある国家が、なぜその国家が只々その実験を真似てみた他の国家を疑い裁こうとする神経を持てるのか。安楽死でさえも!ドイツとその長引いてしまった惨状を見てみろ。それは、もちろん、この国家が広島と長崎の件で罪深いという事でさえ、自国の無比の道徳に呑み込まれてしまうほど小さなことだから驚く事は無い。(ドイツは)法律を決して歪めたのではない、正義なんて元々無かったんだ!これっぽちの正義もな。やはり権力がすべてを独裁してしまう。そして、この権力は被害を蒙ることを願っている。私たちはなんて被害に遭うことになるんだろうか。私もなんて被害者だ。」

「土壇場の上に立つことは何も恥ずかしいことではないんだ。これは、政治的復讐以外の何物でもないのだから。私は他の市民みたいに御国の為に戦ってきたのだから…」

しかし、この続きは頭巾を被せられて声が遮られ、記録班に聞き取れなかったという。

キャリア[編集]

階級[1][編集]

  • 1933年、突撃隊上級曹長(SA-Obertruppführer)
  • 1934年7月29日、親衛隊志願兵(SS-Anwärter)
  • 1934年8月1日、親衛隊二等兵(SS-mann)
  • 1934年8月1日、親衛隊曹長(SS-Truppführer)
  • 1934年8月14日、親衛隊少尉(SS-Sturmführer)
  • 1934年8月14日、親衛隊中尉 (SS-Obersturmführer)
  • 1935年7月、伍長(Gefreiter)
  • 1936年9月13日、親衛隊大尉 (SS-Hauptsturmführer)
  • 1936年11月、陸軍軍医候補生(Unterarzt.(Heer))
  • 1937年11月9日、親衛隊少佐(SS-Sturmbannführer)
  • 1939年8月5日、 親衛隊中佐(SS-Obersturmbannführer)
  • 1940年5月15日、武装親衛隊中佐(SS-Obersturmbannführer der Waffen-SS.)
  • 1940年5月27日、武装親衛隊軍医中佐(Oberfeldarzt der Waffen-SS.)
  • 1942年8月1日、武装親衛隊大佐(SS-Standartenführer der Waffen-SS)
  • 1942年9月3日、予備役軍医大佐(Oberstarzt d.R.)
  • 1943年1月30日、親衛隊少将及び武装親衛隊少将(SS-Brigadeführer und Generalmajor der Waffen-SS)
  • 1943年3月1日、予備役陸軍軍医少将(Generalarzt d.R.(Heer))
  • 1944年4月20日、親衛隊中将及び武装親衛隊中将(SS-Gruppenführer und Generalleutnant der Waffen-SS)

受章[2][編集]

脚注[編集]

  1. 『Leaders of the SS & German Police, Volume I』168ページ
  2. 『Leaders of the SS & German Police, Volume I』175ページ

参考文献[編集]

  • Michael D. Miller著『Leaders of the SS & German Police, Volume I』(Bender Publishing)(英語)ISBN 9329700373


アドルフ・ヒトラー
経歴 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - 国家社会主義ドイツ労働者党 - ミュンヘン一揆 - ヒトラー内閣 - ナチス・ドイツ - 権力掌握 - 長いナイフの夜 - ベルリンオリンピック - ミュンヘン会談 - 第二次世界大戦 - ヒトラー暗殺計画 - ベルリン市街戦 -
尊属 父・アロイス・ヒトラー - 母・クララ・ヒトラー - 祖母・マリア・シックルグルーバー
兄弟 異母姉・アンゲラ・ヒトラー - 異母兄・アロイス・ヒトラー - 妹・パウラ・ヒトラー
親族 姪・ゲリ・ラウバル - 甥・レオ・ラウバル - 甥・ウィリアム・パトリック・ヒトラー - 義姉・ブリジット・ダウリング
女性関係 妻・エヴァ・ブラウン - ヴィニフレート・ワーグナー - ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード - エルナ・ハンフシュテンゲル - レナーテ・ミュラー - マリア・ロイター
副官 フリッツ・ヴィーデマン - ヴィルヘルム・ブリュックナー - ユリウス・シャウブ - フリードリヒ・ホスバッハ - ルドルフ・シュムント - ハインツ・ブラント - ヴィルヘルム・ブルクドルフ - カール=イェスコ・フォン・プットカマー - オットー・ギュンシェ
側近 ルドルフ・ヘス - マルティン・ボルマン - エミール・モーリス - ハインツ・リンゲ - ヘルマン・フェーゲライン - ゲルダ・クリスティアン - トラウデル・ユンゲ - クリスタ・シュレーダー - エーリヒ・ケンプカ - コンスタンツェ・マンツィアリ
主治医 テオドール・モレル - カール・ブラント - ヴェルナー・ハーゼ - エルンスト=ギュンター・シェンク - ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー
影響を受けた人物 ディートリヒ・エッカート - フリードリヒ2世 - ルートヴィヒ2世 - リヒャルト・ワーグナー - アルトゥル・ショーペンハウアー - フィヒテ - シェリング - ヘーゲル - カール・マルクス - ニーチェ - カール・ルエーガー - ゲオルク・フォン・シェーネラー - ヒューストン・ステュアート・チェンバレン - ヘンリー・フォード
影響を与えた人物 戸塚宏 - 小村基 - 本村洋 - 松葉裕子 - 逝け惰性面 - ウーソキマスラの戯言 - ウマスラ - ウーソキマラ
関連人物 カール・マイヤー - エルンスト・レーム - エリック・ヤン・ハヌッセン - ハインリヒ・ホフマン - ローフス・ミシュ - ヘルマン・ラウシュニング - アウグスト・クビツェク - エドゥアルド・ブロッホ - ブロンディ(犬)
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関連項目 ヴァイマル共和政 - 非ナチ化 - ネオナチ - 総統閣下シリーズ