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'''イチロー'''(本名:'''鈴木 一朗'''〈すずき いちろう〉、[[1973年]][[10月22日]] - )は、[[シアトル・マリナーズ]]に所属する[[プロ野球選手]]。ポジションは[[外野手]]。
 
'''イチロー'''(本名:'''鈴木 一朗'''〈すずき いちろう〉、[[1973年]][[10月22日]] - )は、[[シアトル・マリナーズ]]に所属する[[プロ野球選手]]。ポジションは[[外野手]]。
  
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2018年12月16日 (日) 19:25時点における版

[[Image:イチロー.jpg|thumb||300px|]] '''イチロー'''(本名:'''鈴木 一朗'''〈すずき いちろう〉、[[1973年]][[10月22日]] - )は、[[シアトル・マリナーズ]]に所属する[[プロ野球選手]]。ポジションは[[外野手]]。 [[日本プロ野球]]と[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]両方のシーズン最多安打記録を保持している。ハイペースで[[安打]]を量産することから「'''安打製造機'''」と称される。 == 経歴 == === アマチュア時代 === [[1990年]]、全国高等学校野球選手権大会に左翼手として出場。1回戦敗退(対[[天理高等学校|天理]]戦)。 [[1991年]]、選抜高等学校野球大会に投手として出場。1回戦敗退(対[[松商学園高等学校|松商学園]]戦)。 [[愛知工業大学名電高等学校]](愛工大名電)から[[ドラフト会議|ドラフト]]4位で[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)]]に入団。 === 日本プロ野球 === ; {{by|1992年}} - {{by|1993年}} : [[1992年]]7月12日の[[福岡ダイエーホークス]]戦で[[木村恵二]]投手からライト前へプロ初安打を記録した。 : 1992年は.366の高打率で[[ウエスタン・リーグ]]の首位打者を獲得しながらも、[[土井正三|土井監督]]や[[小川亨]]コーチなどの1軍首脳陣から[[振り子打法]]を否定され、足の速さを活かすようにと[[内野安打]]狙いのバッティングや[[山内一弘]]コーチ式の内角打ちを指示されるが、意見や指導が合わず、1軍に定着することはなかった。同年の[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]では同点の8回に代打決勝ホームランを放ち、MVPを獲得。賞金100万円を手にするが、全額を神戸市の養護施設に寄付した(2軍選手でこのことをしたのはイチローが初めてである)。 : 1992年と1993年でプレーしたウエスタン・リーグでは、2シーズンにまたがり46試合連続安打を記録(1シーズンでは30試合)<ref name="brcle"/>。1993年のウエスタン・リーグでは打率.371を残したが、1軍半であったため[[規定打席]]に少し足りず、もし規定打席に達していれば首位打者になる可能性があった(1993年のウエスタン・リーグ首位打者の打率は.346)。同年オフには[[ハワイ・ウィンターリーグ]]でヒロ・スターズというチームで優勝し、リーグ初のMVPに選ばれた。カウアイのヴィディンハ・フィールドで推定飛距離500フィート(152メートル)の本塁打を打ち、地元では「新幹線ホーマー」と呼ばれていた。 : 1993年、当時豪腕の名をほしいままにしていた[[野茂英雄]]からプロ初本塁打([[1993年]][[6月12日]]、[[長岡市悠久山野球場]])を放ったものの、その日に2軍降格を言い渡されるなど2軍生活を余儀なくされていたイチローは、同年の秋に、[[河村健一郎]]2軍打撃コーチと二人三脚で日本時代のイチローの代名詞ともなる[[振り子打法]]を作り上げた。 ; {{by|1994年}} : 監督に招聘された[[仰木彬]]はイチローの類い稀な打撃センスを見抜くと、[[登録名]]を当初の「鈴木」から「イチロー」に変更させ、1軍の2番打者に抜擢する。1軍打撃コーチの[[新井宏昌]]にも理解され、レギュラーとして活躍。4月末ごろには1番打者に定着し、日本新記録の69試合連続出塁、日本球界初となるシーズン200本安打の偉業を達成。最終的に210安打(日本記録)まで延ばし、この年から打撃の正式タイトルとなった[[最多安打]]の初代獲得者となった。[[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]新記録となる打率.385(後の[[2000年]]に自らパ・リーグ記録を更新)で[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]を獲得。打者としてはプロ野球史上最年少で[[最優秀選手 (野球)#日本プロ野球|MVP]]を手にした。 ; {{by|1995年}} : 主に1番打者を打ちながら、首位打者・[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]・[[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]・最多安打・[[最高出塁率|最高出塁率]]を獲得し、「五冠王」に。打点王と盗塁王の同時獲得は[[日本プロ野球]]史上初(現在も唯一)、全イニング出場での首位打者は[[1969年]]の[[王貞治]]に次ぐ史上2人目の快挙。リーグ3位タイの25本塁打で、[[本塁打#最多本塁打|本塁打王]]の[[小久保裕紀]]とは3本差であり、日本球界・メジャーリーグともに前例のない打撃タイトル独占([[三冠 (野球)|六冠王]])にあと一歩であった。そのほか、リーグ2位の[[長打率]]や当時のパ・リーグ記録となるシーズン18[[死球]]に加え、当時の日本タイ記録となるシーズン初回表先頭打者本塁打5本を残し、前年に自らが記録した69試合に迫る歴代2位の67試合連続出塁を記録。2年連続となる[[正力松太郎賞]]も受賞した。 ; {{by|1996年}} : 開幕から前半戦まで1番打者として出場し、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]第1戦では初回先頭打者初球本塁打(オールスター史上3人目、パ・リーグ選手では史上初)を放った。第2戦では投手として登板し、[[高津臣吾]]を遊ゴロに打ち取っている。後半戦からは打順を変更され、3番に固定。前半戦までは打率が1度も.330を超えない状態が続いたが、3番になってからは調子を上げ、固め打ちが目立つようになった。最終的に3年連続となる首位打者を獲得し、[[猛打賞]]を26回(日本記録)、1試合4安打を8回記録(達成当時、日本新記録。現在はパ・リーグ記録)した。[[9月23日]]の[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦では、延長10回裏にオリックスのリーグ連覇を決めるサヨナラ2塁打を放ち、前年のリーグ優勝時に果たせなかった「地元・[[神戸市|神戸]]での胴上げ」を実現させた。[[読売ジャイアンツ]]との日本シリーズ第1戦では、延長10回に[[河野博文]]投手から決勝本塁打を放つ。チームは[[オリックスバファローズ|阪急]]時代の[[1977年]]以来19年ぶりの日本一に輝き、優秀選手賞を受賞した。 ; {{by|1997年}} : この年以降は主に3番打者として出場。6月に209打席連続無三振の日本記録を樹立、その後の日本ハム戦で[[下柳剛]]投手から三振するまで216打席連続無三振をマークした。三振の少なさは高校時代から知られており、高校3年時の三振はわずかに3つである。 ; {{by|1998年}} : [[張本勲]]の4年連続を抜いて、日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成。同時に、5年連続・通算5回目となる最多安打を記録した(連続回数、通算回数ともにパ・リーグ記録。5年連続は[[長嶋茂雄]]の6年連続に次いで歴代2位、通算5回は長嶋茂雄の10回、[[川上哲治]]の6回に次いで歴代3位)。 ; {{by|1999年}} : [[4月20日]]、日本ハム戦で[[金村曉]]投手から本塁打を放ち、プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000本安打を達成。[[7月6日]]の[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦では[[松坂大輔]]投手から通算100号本塁打を打った。前半戦だけで19本塁打を記録するなど、1995年以来のペースで本塁打を量産していたが、[[8月24日]]の対日本ハム戦において下柳から右手に死球を受け、負傷。残りのシーズンを棒に振った。これにより、1994年の開幕戦から続けていた連続試合出場が、パ・リーグ歴代4位の763でストップした。 ; {{by|2000年}} : プロ野球歴代2位のシーズン打率.387を記録。開幕戦から4番に指名され、同打順で毎試合スタメン出場していたが、[[8月27日]]の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦で3回に三塁線へ[[ファウルボール|ファウル]]を打った際に右わき腹を痛め、途中交代。その後出場を果たしたのは、神戸でのオリックス本拠地最終戦である[[10月13日]]の1試合だけで、9回に守備固めとしての出場であり、打席には立たなかった。イチローが[[メジャーリーグ]]に挑戦するため日本球界を去ると記者会見をしたのが前日の[[10月12日]]であったため、この試合終了後、イチローはファンの大声援に手を振って応え、ファン一人一人と別れの握手をした。 1994年から2000年まで7年連続で首位打者、[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]、[[ゴールデングラブ賞]]を獲得。7度の首位打者は張本勲と並ぶ日本記録、7年連続首位打者は史上初。さらに、1994年から1996年までは連続[[最優秀選手 (野球)#日本プロ野球|MVP]]であり、3年連続MVPは他に[[山田久志]]しか達成していない快挙である。 === メジャーリーグ === ; [[2001年]] : [[ポスティング制度]]を利用して[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の球団、[[シアトル・マリナーズ]]に移籍する。メジャーリーグ移籍に関して本人は[[2000年]]に移籍と決めていたが、恩師である[[仰木彬]]監督に「もう1年だけ一緒にやろう」と引き留められ、断ることができずにチームに残ったという裏話がある。 : 当初は、日本人野手がメジャーで通用するのか疑問視する声が日米問わず多かった。あるマリナーズの[[番記者]]は、日本でのイチローのビデオを見て、「ピッチャーが投げるすべての球に反応して動き、バッターボックスでふらついているようにも見えた。球をたたくように打ち、すぐさま走り出すスタイルは、メジャーリーグの投手と野手が相手では歯が立たないだろうと思われた。そのうえ、パワーもなさそうだった」と述べ、当時のマリナーズの監督だった[[ルー・ピネラ]]も、「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30、まあ得点は稼いでくれるだろう」とそこまで大きな期待はしていなかった。「51」という背番号をつけることになったときにも、当時のマリナーズには「背番号51」は[[ランディ・ジョンソン]](1998年まで在籍)の番号というイメージがファンの間で認識されていたために、「ランディの功績を台無しにする」「ランディを侮辱している」という理由であまり好意的には見られてはいなかった。その後の活躍で、このことを取り沙汰するファンは誰もいなくなった。前述の番記者も、シーズン開幕から1か月半後の『[[シアトル・タイムズ]]』紙に、「お詫び」のコラムを掲載している。 : 開幕戦でいきなりマルチヒットを放ち、その後も順調にヒットを積み重ねた。[[MLBオールスターゲーム]]でのファン投票では337万票を獲得し、日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となるなど、アメリカにおいても評価されるようになる。この年、[[1930年]]の[[ビル・テリー]](ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、メジャーリーグのルーキー最多安打記録を更新(この年の両リーグ最多安打でもある)するとともに、[[アメリカンリーグ]]の[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]]・[[最優秀選手 (野球)#アメリカメジャーリーグベースボール|MVP]]・[[首位打者 (MLB)|首位打者]]・[[盗塁#アメリカメジャーリーグ|盗塁王]]となった。首位打者と盗塁王を同時に獲得したのは[[1949年]]の[[ジャッキー・ロビンソン]]以来2人目、新人でアメリカンリーグの打撃部門を制したのは[[1964年]][[ミネソタ・ツインズ]]の[[トニー・オリバ]]以来2人目。安打試合数の135試合は[[ロジャース・ホーンスビー]]、[[チャック・クライン]]、[[ウェイド・ボッグス]]、[[デレク・ジーター]]ら4人と並ぶメジャータイ記録で、[[単打]]192と打数692はアメリカンリーグ新人記録。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには[[1975年]]の[[フレッド・リン]]のみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソン、[[ビンス・コールマン]](盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、[[マーク・マグワイア]](本塁打王)以来6人目である。当時、イチローの安打数が200を超えたあたりから、メディアでは「ルーキー最多安打記録」が話題になったため、リーグ機構が[[1947年]]に制定したルーキー資格を基に、過去の打撃記録を調べ直した結果、当初[[1927年]]の[[ロイド・ウェイナー]]の「223安打」と思われていたルーキー安打数記録が、1911年に[[ジョー・ジャクソン (野球)|ジョー・ジャクソン]]が記録した「233安打」に訂正される事態も起きている。 : そのほかにも、リーグ2位の得点(127)を残し、得点圏打率(.445)、2死得点圏打率(.460)、2死得点圏出塁率(.558)、走者ありでの打率(.420)では両リーグを通じて1位を記録した。新人王・MVP・首位打者・盗塁王・[[シルバースラッガー賞]]・[[ゴールドグラブ賞]]を同時に手にしたのはメジャーリーグ史上、イチローのみである。記録的な活躍でチームのプレーオフ進出に貢献し、日本の一流打者がメジャーリーグでも通用することを証明した。 ; [[2002年]] : 投手から警戒されるようになり、リーグ最多の27敬遠を記録する。[[四球]]も前年の30から68に倍増した。リーグ4位の打率を残し、208安打を打つも、最多安打にはあと1本及ばなかった。 ; [[2003年]] : 5月にはメジャー通算500本安打を達成。7月には、新人から3年連続でオールスターファン投票両リーグ最多得票を獲得。これは、新人からという注釈を外しても[[ケン・グリフィー・ジュニア]]以来史上2人目の快挙であり、メジャーリーグのスター選手の地位を確固たるものにした。 ; [[2004年]] : 84年間破られることのなかった[[ジョージ・シスラー]]の257安打を5本上回る262安打を記録した。同時に打率.372を残し、メジャーでは3年ぶり2度目の首位打者にも輝いた。ジョージ・シスラーの記録は年間154試合の時代の記録で、イチローは160試合目での到達であったため、米国内では少なからず疑問視する見方もあったものの、この記録は内外で高い評価を受け、アメリカでは多くの新聞でその偉業を称える記事が掲載され、『[[USAトゥデイ]]』紙にも[[バリー・ボンズ]]が700号ホームランを打った時以来の全面広告でメジャーリーグが祝福の意を表した。史上8人目となる[[コミッショナー特別表彰]]を受け、[[アメリカ野球殿堂]]には特別ブースが用意された。日本からは[[正力松太郎賞]]特別賞が授与された。その際「打撃の神様」の愛称で知られる川上哲治に、「精神的にも技術的にも、『野球の神様』と言えば彼じゃないかと思う」と賛辞を送られている。2度目の[[国民栄誉賞]]の授与も打診され(2度とも辞退)、アジアの国々や野球に関心の薄い[[イギリス]]でも異例の取り扱いで新聞等のメディアがその記録達成を伝えた。 : 得点圏打率(.372)、得点圏出塁率(.484)、2死得点圏打率(.472)、2死得点圏出塁率(.600)、走者あり打率(.364)、走者あり出塁率(.439)、対左投手打率(.404)、敬遠数(19)、出塁数(315)でもリーグ1位を記録。7月にシーズン2度の月間50本安打を達成、[[ジョー・メドウィック]]以来68年ぶりの快挙を成し遂げる。8月に球団記録の[[アレックス・ロドリゲス]]の月間54本安打を更新し、68年ぶりにロイ・ウェザリーの月間56本安打のタイ記録に並んだが、月間67本安打の[[タイ・カッブ]]には届かなかった。正式な記録ではないが、[[7月18日]]から[[8月17日]]の間にヒットを67本打っている(この間の打率は.508)。通算4度の月間50本安打は[[ピート・ローズ]]に並び(メジャー記録はジョージ・シスラーの10度)、他に、2か月連続50本安打とシーズン3度の月間50本安打の記録を更新。9月、ビル・テリーの連続4シーズン918本安打も更新した。 ; [[2005年]] : メジャーでは自己最多となるシーズン15本塁打を記録した。通算記録では日本人選手として初めてメジャーリーグ1000本安打に達した。これは出場696試合目での達成であり、[[1933年]]の[[チャック・クライン]](683試合)、[[1932年]]のロイド・ウェイナー(686試合)に次いで1900年以降3番目のスピード記録となった。 : 5年連続100[[得点]]30[[盗塁]]は6年連続の[[ジョー・モーガン]]、タイ記録の[[リッキー・ヘンダーソン]]に次いで3人目(19世紀の記録を入れると[[ビリー・ハミルトン]]の10年連続が最高)。史上初のデビューから5年連続200本安打という記録も達成した。5度の200安打100得点30盗塁はタイ・カッブ以来89年ぶり、連続記録としては史上初。チャック・クラインの連続5シーズン通算1118安打を抜いた。 ; [[2006年]] : 5月、メジャー通算200盗塁を達成、その翌日には日米通算400盗塁を達成した。6月、日米通算2500本安打を達成。[[7月26日]]に戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274本安打を抜いた。[[8月16日]]に[[ロジャース・ホーンスビー]]が持つ連続6シーズン最多安打1296本を超え、8月29日にはメジャー通算400[[マルチヒット]]を928試合目で達成。これは6年目ではメジャー最速。9月には19世紀以降最多となる[[ウィリー・キーラー]]の連続6シーズン通算1313本安打を抜いた。[[9月7日]]に日米通算800マルチヒットも達成。[[9月9日]]にはジョージ・シスラーが持つ6シーズン最多安打1317本安打を超え、一週間後の[[9月16日]]、[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦でメジャーリーグ史上3人目となる6年連続200安打を達成した。この試合において三盗を成功させたことで33連続盗塁成功となり、アメリカンリーグ新記録も達成。満33歳になるこのシーズンに自己3番目の記録となる45盗塁を残し、盗塁成功率.957を記録した。1シーズンの連続盗塁成功は39まで伸ばしたが、ビンス・コールマンの1シーズンのメジャー記録である44連続盗塁成功には及ばなかった。メジャー通算100[[故意四球|敬遠]]と日米通算200敬遠も達成した。 ; [[2007年]] : [[5月3日]]、41連続盗塁成功を達成して、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新(従来の記録は、[[ティム・レインズ]]の40)。5月16日にアメリカンリーグ記録を45まで伸ばす。5月18日の対エンゼルス戦、7回裏に先頭打者のイチローがヒットで出塁。この場面でベンチからヒットエンドランのサインが出て、イチローはヒットエンドランのタイミングでスタートを切るが、2番打者の[[ホセ・ビドロ]]がサインを見落として投球を見送り、ヒットエンドランに失敗。これが盗塁死扱いになってイチローのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録は「45」でストップし、ビンス・コールマンの連続盗塁成功50のメジャー記録更新は目前で逸した。[[7月5日]]、56試合中53試合に安打を放ってジョージ・シスラーやタイ・カッブに並ぶも、56試合中56試合に安打を放ったジョー・ディマジオや56試合中54試合に安打を放ったデレク・ジーターには及ばなかった。[[7月8日]]、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続7シーズン通算1479本安打を抜いた。 : [[7月11日]]、7年連続で出場した[[MLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]において[[サンディエゴ・パドレス]]所属の[[クリス・ヤング]]投手からオールスター史上初のランニングホームランを放った。同試合ではこのランニングホームランを含む3打数3安打2打点を記録し、[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]MVPを受賞した。[[7月17日]]には、1901年以降最多となるビル・テリーが持つ連続7シーズン最多安打1487本安打を超え、[[8月17日]]に19世紀以降最多となる[[ジェシー・バーケット]]が持つ連続7シーズン最多安打1526本安打を超えた。[[9月3日]]の[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦では[[ロジャー・クレメンス]]投手から本塁打を放ち、7年連続200安打(史上3人目)を達成。センターとしてシーズンを過ごしゴールドグラブ賞を受賞したが、シーズン途中でコンバートなくライトとセンター両方でゴールドグラブ賞を獲ったのは、[[アンドレ・ドーソン]]以来であった。 : [[マグリオ・オルドニェス]]([[デトロイト・タイガース]])との激しい首位打者争いに敗れはしたものの、リーグ2位の打率.351を記録。リーグ9位の出塁率.396に加え、リーグ2位(125打席以上)の得点圏打率.397、リーグ1位の二死得点圏打率.431、満塁では13打数8安打、打率.615という驚異的な勝負強さを発揮し、2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。この年、ゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を同時に受賞した選手は、アメリカンリーグではイチローと[[プラシド・ポランコ]](デトロイト・タイガース)のみである。 ; [[2008年]] : [[6月7日]]、戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続8シーズン通算1666本安打を抜いた。[[6月11日]]にメジャー通算300盗塁を達成し、5日後に日米通算500盗塁を達成。[[6月21日]]には1901年以降最多となるポール・ウェイナーが持つ連続8シーズン最多安打1680本安打を超え、[[7月27日]]には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーが持つ連続8シーズン最多安打1719本安打を超えた。[[7月30日]]、[[テキサス・レンジャーズ]]の[[ルイス・メンドーサ]]投手からレフト前に安打を放ち、日米通算3000本安打を達成。日本選手での3000本安打は[[張本勲]]以来2人目の快挙である。2175試合目に達成したため、2135試合で達成したタイ・カッブには及ばなかった。 : [[9月17日]]、[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦でショートへの内野安打を放ち、8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが[[1894年]]から[[1901年]]にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成した。[[9月26日]]の[[オークランド・アスレチックス]]戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200本安打100得点を8回記録したのは[[ルー・ゲーリック]]以来2人目、連続記録としては史上初(19世紀の記録を入れるとウィリー・キーラーも達成している)。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了し、メジャータイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。 ; [[2009年]] : [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]]に出場し、打撃不振に苦しむも、決勝戦で値千金の決勝打を放ち、日本代表の連覇に大きく貢献した。大会終了後はマリナーズに合流してオープン戦数試合に出場したが、極度の疲労により体調を崩し、[[4月3日]]に精密検査を受けた結果、胃に出血性の[[潰瘍]]が認められ、自身初の[[故障者リスト]](DL)入りとなった。 [[Image:Ichiro Suzuki and Barack Obama.jpg|thumb|200px|left|[[2009年]][[7月14日]]、[[セントルイス]]の[[ブッシュ・スタジアム]]内でのイチローと[[バラク・オバマ]]米大統領(右)。]] : [[4月15日]]のエンゼルス戦で、[[張本勲]]と並ぶ生涯通算安打の日本記録となる3085安打目を満塁本塁打で記録。同時に日米通算1000[[打点]]も達成した。当日は「ジャッキー・ロビンソン・デー(詳細は[[ジャッキー・ロビンソン]]を参照)」だったこともあり、普段は背番号51のイチローも、この日だけは背番号を42に変更して出場した(なお、当日はイチローに限らず、選手や監督、コーチも背番号を42に変更して出場している)。翌日[[4月16日]]には3086安打目をライト前に放ち、記録を更新した。 : [[7月28日]]、[[トロント・ブルージェイズ]]戦にて3対3の同点で迎えた9回、2アウト満塁の場面で[[スコット・ダウンズ]]から自身メジャー初となるサヨナラ打を記録した。[[9月8日]]、メジャー通算2000本安打を[[アル・シモンズ]]の持つ最速記録1390試合に次いで史上2番目の速さとなる1402試合目で達成。[[9月15日]]にはメジャー史上初となる9年連続200本安打を達成した。[[9月17日]]、[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦にて延長14回の場面で自身メジャー2度目のサヨナラ打を記録した。さらに翌日の[[9月18日]]、[[ニューヨーク・ヤンキース]]戦にて1−2で迎えた9回裏、2アウト2塁の場面で[[マリアノ・リベラ]]から自身メジャー初となる逆転サヨナラ本塁打を記録した。[[9月26日]]、トロント・ブルージェイズ戦での5回、1死三塁のチャンスで回った第3打席、[[デビッド・パーシー]]が投じた2ストライクからの外角球を見逃すと判定はストライク。この判定にバットでボールの通過地点を示すなどして抗議したイチローは、日米通じて自身初の退場処分を受けた。 :[[ジョー・マウアー]]と首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.352を記録。メジャー史上初の4年連続最多安打、自身3度目の最多敬遠を記録し、2007年以来3度目となるシルバー・スラッガー賞を受賞した。シーズンを通じての「100得点」「30盗塁」の連続記録は途絶えたが、「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」については9年連続と伸ばした。 2015年 マリーンズに移籍した 10月4日。96年のオールスター以来の投手として出場した。みんながやらせようと計画して投手にした 2016年 6月16日。ビートローズの記録更新した === 世界大会 === [[Image:IchiroWBC.jpg|thumb|200px|WBC日本代表でのイチロー]] * [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回WBC]] 「[[オリンピック]]はあくまでもアマチュアのための大会。自分はプロ」という考えで、[[オリンピック]]などへの参加を断り続けていたが、2006年に初開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック]]にはメジャーリーグ主導によるプロの初の世界大会とあって進んで参加した。1次リーグこそ本調子でなかったものの、2次リーグ、準決勝、決勝と試合が進むごとに調子を上げ、アメリカ戦では先頭打者本塁打を記録。決勝の対キューバ戦では、中押しのきっかけとなる2塁打と、1点差に詰め寄られた後に突き放すタイムリーヒットを放った。マリナーズでは考えられない感情・闘志むき出しのプレイを見せつつ日本チームを牽引し、優勝に貢献した。最終的に一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録し、打率.364(33打数12安打)、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球を残して外野手部門の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック#優秀選手・MVP|ベストナイン]]に選ばれている。 * [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]] 2009年に開催された[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回大会]]でも、引き続き日本代表に選出。この大会では、開幕前の練習試合から全く安打が出ず、開幕後も打率.200前後という絶不調の状態に陥り、マスコミなどからはバッシングも受け、"国民の心配事"とまでささやかれた。それでも[[原辰徳]]監督は全試合でイチローを1番に起用し続け、最終的にイチローもそれに応える。決勝の韓国戦で、6打数4安打、延長10回に[[林昌勇]]から決勝の2点タイムリーを放つ大活躍。大会全体では打率.273(44打数12安打)ながらも最後の最後で日本の連覇に大きく貢献した。その後のトロフィー授与式や祝勝会では、普段クールなイチローも笑顔を絶やすことはなかった。 === イチロー、日米通算4000安打!「半泣きに」22年目で偉業達成 === 2013年8月21日。[[ヤンキース]]4―2[[ブルージェイズ]](21日・ニューヨーク) ヤンキースのイチロー外野手(39)は「2番・右翼」で出場し、4打数1安打だった。内容は左前打、一ゴロ、遊ゴロ、遊飛。打率は2割7分4厘。1回に左前打を放ち、プロ22年目で日米通算4000安打を達成した。 大リーグで4000本の大台に達したのは4256本の最多安打記録を持つ[[ピート・ローズ]]と、4191本で日本では球聖として知られる[[タイ・カッブ]]の2人で、到達したのはローズが[[1984年]]、カッブが[[1927年]]。ともに40歳を過ぎていた。イチローは日米両国での通算記録で偉業を成し遂げた。 [[1992年]]にプロ野球[[オリックス]]に入団。[[1994年]]に初のシーズン200安打を達成し、日本での9年で1278安打。[[2001年]]から挑んだ大リーグのマリナーズでは、1年目に242安打で[[ア・リーグ]]最優秀選手と新人王を同時受賞。[[2004年]]にはシーズン最多安打の大リーグ記録を更新する262安打を放ち、10年まで10年連続200安打をマークした。 [[2009年]]には[[張本勲]]のプロ野球最多安打記録3085本を日米通算で更新。[[2012年]]7月にヤンキースへ移り、メジャー13年で2722安打を重ねた。 イチロー外野手「とにかく早い段階で打ちたかった。その通りになり、ほっとしています。あんなふうにみんなが喜んでくれるなんて思わなかったので、半泣きになりました」 普段、めったに記者会見を開かないイチローだが、この日の会見は1時間近くにも及び、大記録達成の心境を語った。 試合は記録達成直後に中断し、一塁ベースを回ったイチローの周囲に、チームメートの祝福の輪が広がった。4000本打ち続けて初めての経験。 「僕のためだけにゲームを止めて、時間を作ってくれる行為はとても想像できるわけがない。うれしすぎてやめてほしいと思った」。 これまでの節目にはなかった笑みが、満面に広がった。それでも、イチローの脳裏にいい思い出はほとんどない。 「4000の安打を打つには、8000回以上は悔しい思いをしてきている。それと常に自分なりに向き合ってきた。誇れるとしたらそこではないか」。 日米通算打率は3割3分0厘。倍以上の確率で凡退している計算になる。プロだからこそ、失敗の記憶を大切にしてきた。 ==== 関係者コメント ==== ヤンキース・ジラルディ監督 :「驚くべき偉業だ。彼がどれだけ努力し、どれだけ長く、いい状態を維持してきたかの証しだ」 ヤンキース・黒田 :「すごく感動したし、日本の野球をあらためてリスペクトしてもらえた瞬間だと思う。それを証明したのがイチローさん。同じユニホームを着てこの瞬間に同じグラウンドに立てたことは素晴らしいこと」 ヤンキース・リベラ :「日米にまたがっていても4000安打は多い。イチローはプレーするためでなく、成功するために米国に来た。常に最高であろうとするのがイチローだ」 [[ケン・グリフィー]]氏(元[[マリナーズ]]) :「イチローが技術を完成させるため、どれだけの時間と努力をかけたかを考えてほしい。4000安打とは、とても本当とは思えない数字だ」 [[長嶋茂雄]]氏 :「日米ともずばぬけた成績で、偉業というほかありません。自分自身の生涯安打と比較しても、気が遠くなるような数字です。けがが少なく、いつもゲームに出ているからこそ達成できた記録であり、コンディションに細心の注意を払っているイチロー選手の努力のたまものでしょう。常にグラウンドにいることは、最高のファンサービスであり、まさにプロ中のプロといえましょう」 [[ソフトバンク]]・[[王貞治]]球団会長 :「メジャーで13年間、レギュラーを続けることは並大抵の努力でできるものではありません。常日頃から野球をする準備ができているからこそであり、その姿勢は全ての選手の見本となるものであり、素晴らしいの一言に尽きます。4千安打を達成しても、さらなる高みを目指してチャレンジし続けることでしょうし、1本でも多くのヒットを積み重ねてほしいですね」 [[松井秀喜]]氏 :「おめでとうございます。日本のプロ野球でもメジャーリーグでも圧倒的な速さでヒットを積み上げてきたイチローさんにしか到達できない数字だと思います。今後もファンの方々を喜ばせてください」 [[レンジャーズ]]・[[ダルビッシュ]] :「おめでとうございます。すごいことだと思います。(僕などが)何も言うことはないですよ」 [[レッドソックス]]・上原 :「今後、日本人が誰も達成できないような素晴らしい記録だと思う。できれば自分から打ってほしかった。記録もすごいが、日本とアメリカでけがをしないでプレーし続けていることが超一流」 [[マリナーズ]]・岩隈 :「すごい数字。この先、イチローさんを超えてくる人がいるのかと思います。ないでしょうね。日本人の誇り。準備の仕方が人とは違う。だからそういう結果が残せる。存在的にも別格」 [[田口壮]]氏(オリックスで同期入団) :「人一倍野球が好きなのだと感じる。野球をやる上でこれぐらいやるのが当たり前という部分が、自分を含めて並の選手に比べるとはるかに大きい。まだまだ体が動いているし、今後どうなっていくのか楽しみです」 広島・[[新井宏昌]]打撃コーチ(オリックス時代に指導) :「(4千本目も)しっかりと安打にする打ち方ができている。とんでもない数字。現地であれだけ評価されたのは、認められたということ。どこまで伸ばしてくれるのか楽しみ。5千本も不可能ではないかもしれない」 == イチローとシアトルのファン結ぶ言葉のない会話(2013年) == 車に揺られながら、イチローは[[セーフコ・フィールド]]に向かう途中、見慣れぬ窓の外の風景に目を奪われていた。 「景色が違う。ダウンタウンからこっち(セーフコ・フィールド)に来るのは初めてだし、そもそもダウンタウンはあまり知らないから」 10分程度の移動時間で気付いたこと。「あんなに[[スタバ]](スターバックス)があるなんてことは、12年いても知らなかった」 === 客足伸びず消化試合のような雰囲気 === 6月6日、イチローが、昨年7月にヤンキースに移籍してから初のシアトル遠征を迎えた。日米のメディアはそのことをそれなりに話題にしたが、ファンとは温度差があったよう。 まもなく午後7時。試合開始まで、あと10分と迫っていた。それなのに客の入りが悪い。スタンドはガラガラだ。結局、試合が始まっても客足は伸びず、シーズン終盤の消化ゲームのような雰囲気の中でゲームが行われたのである。 かつてヤンキースが来ると、マリナーズが厳しいシーズンを送っていてもセーフコ・フィールドにファンがあふれたもの。しかも今回は、イチローが約10カ月半ぶりに戻ってくるというのに。 暖かな天候にも恵まれ、ファンが球場に足を運ぶのをためらう理由があるとしたら、エリック・ウェッジ監督の采配がつまらないという以外にない。残念ながら観客数はわずか1万8776人にとどまり、今季の平均観客数(2万106人)さえ下回った。 === シアトルの観客は「品がいい感じ」 === その物理的な影響を捉えれば、盛り上がりとしてやや寂しく、イチローも「めっちゃ、おとなしかったです」と話した。ただ彼自身は、別のことも感じていた。 「テンションが東(東海岸)と全然違う。品がいいっていうか、そういう感じが、久しぶりに(シアトルに)来て。それはそれで、すごいなあ」 熱狂的なヤンキースファンに対し、マリナーズのファンはどこか引いて見ているところがある。そんなことを言っているのだが、その静かな対応に、むしろ温かみを覚えたようだ。 「ボリュームとかトーンは別として、質としては」 === 特別な場所であることは変わらない === それに対しイチローは、「感謝の気持ちを自分なりに、心の中で唱えながら」打席に入ったという。 そして改めて思った。「(ここは) 気持ちよくやらせてもらえる。意図的な嫌がらせとか、全くないから。相手としてくると、それがより鮮明になる」 イチローにとっての特別な場所。そのことはこれからも変わらないのだろう。球場に向かう車の中でラジオを聞いていると、スポーツラジオ局のパーソナリティーが、こんな話をしていた。 「イチローが来ても、さほどファンは大きな声援を送らないだろうし、そのためにわざわざ来ることはない。イチローはもう過去の人だ」 さらに言う。「彼は英語で自分の考えていることを伝えようとしなかった。インタビューは常に通訳を使っていた。だからファンは、親近感を覚えないんだ」 === ファンとの間に言葉の壁はあるか === 人そのものが少なく、結果として大きな声援がなかったということに関しては、その通りとなった。空席が目立ったことは、それはイチローのせいではないにしても、取り方によっては、そうとも取れる。 ただ、言葉の問題についてはどうだろう。 イチローに対する声援に、彼が言うようにボリュームやトーンは低くとも、言葉の壁など存在しただろうか。そもそも言葉が、必要なのか? 考え方は人それぞれだが、むしろイチローとシアトルのファンには、言葉のない会話が成立しているように見えた。これまでも、そして今回も。 === 「イチメーター」おばさんとの交流 === 8日朝、球場近くのカフェにいると、イチローのユニホームを着ている子供がいた。7,8歳の男の子だろうか。その横にいた母親と目が合うと、「イチローの大ファンなんです」と教えてくれた。 「今日もこれから、球場へ行くんですよ。この日をずっと楽しみにしていたから」 少なくともその男の子とイチローは、言葉などなくてもつながっているはずだ。もっとも、言葉でも会話が成立している。 ライトスタンドの最前列でイチローの安打を数え、「イチメーター」おばさんとして有名になったエイミー・フランジさんは、イチローと球場で交わしたやり取りをこんな感じでツイッターにつづっていた。 「元気でしたか?」(イチロー) 「元気ですよ」(フランジさん) 「日本で有名ですよ」(イチロー) イチローは、彼女が用意した帽子やカードなども受け取ったそうである。また8日の試合後には、イチローが九回、彼女にボールを投げようとしたものの届かず、フェンスの手前に落ちると、イチローがゲラゲラ笑ったという様子がツイートされていた。 === 「見ている人は分かってくれている」 === さて、ファンはイチローとの4日間を堪能した。では、イチローにとってこのシアトルでの4日間とはどんな時間だったのか。 9日の試合が終わってからイチローに聞けば、「それを説明するのはやぼったい気がしますね」と言った。 「去年は説明する必要がありましたけど、わざわざ(誰かを通して)伝える必要はないと思います。見ている人は分かってくれていると思いますから」 この4日間がイチローにとっていかに大切なものであったか。それはあえて言葉にしなくてもファンらは理解してくれているだろう、という思い。そこには、確信めいたものがあった。 この日、すでに紹介した親子のほかにも、客席には“イチローが帰ってくる”ということで観戦している人もいた。そのことを最後に伝えるとイチローはほおを緩めて言っている。 「であれば、僕はうれしいですね」 == 選手としての特徴 == === 打撃 === [[Image:Ichiro homerun.jpg|thumb|left|220px|イチローの5号本塁打<br/>2005年6月17日の[[ニューヨーク・メッツ]]との試合にて。投手は[[石井一久]]。]] 現役プロ野球選手としては小柄なほうで、本塁打数も歴代[[シルバースラッガー賞]]受賞者の中でも最も少ない部類に入る。ただし、本塁打に関しては、前マリナーズ監督の[[ボブ・メルビン]]がケーブルテレビ局・[[ESPN]]に「(試合前の)彼の打撃練習を見てみなよ。いつも山ほど(ホームランを)打っているよ」と語っているように、[[ウェイド・ボッグス]]と同じくあえて試合では単打狙いに徹していると言われる。コラムニスト・[[木本大志]]は、イチローが内野安打を打った時と本塁打を打った時では軸の位置に違いがあることを言及している。イチロー自身も『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙に「僕にとって、フライを打ってから『あぁ、多分ホームランになるな』と思うシチュエーションになった事は一度もない」と語っていることから、本塁打は意図的に打っている事が汲み取れる。実際それは記録上にも現れており、日本時代の1000本安打目を始め、節目の安打は本塁打が多く、メジャーでの通算本塁打のうち3分の1以上が初回先頭打者本塁打である。2007年のオールスター後のインタビューでは「(打率が)2割2分でいいなら、40本(打てる)と言っておきましょう」と冗談混じりながら語っている。 イチローのバッティングスタイルは、変化球を打ちにいき、直球を“詰まりながら”内野と外野に落とす。または、あえて相手投手の決め球を狙って打ちにいく。アメリカのメディアに「走りながら打っている」、「走りながら打つ忙しい選手」などと言われるように、左打者でスイングから走り始めるまでの一連の動作が速い分、一塁への到達時間が短い。バッティングフォームが「打った直後、すでに右足が一塁を向いている」ためである。そのため、俊足と相まって他の選手ならばアウトになるような内野ゴロが安打になることが多い。日本時代は全安打の約16%、メジャーでは全安打の約23%を内野安打が占めており(2009年シーズン終了時点)、内野安打の多さは突出している。さらにこのような[[内野安打]]は「狙って打っている」と語っており、イチローの高打率は、内野安打を打つ技術に裏打ちされている。 「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視し、[[四球]]を望まず積極的に打ちにいくタイプで、[[三振]]・四球ともに少ない。ただ敬遠の数は多く、年10回以上されることが多々あり、通算でも200個を超えている。書籍『イチローイズム』では、著者の「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で、3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」という質問に対し、「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えている。2005年は年間最多安打記録を更新した翌年だけに打率4割を期待する声も強かったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙はイチローのバッティングスタイルを考慮し、4割の大台達成よりもむしろ[[ジョー・ディマジオ]]の持つ56試合連続安打記録を塗り替えるほうが現実的との見解を示した。 打席に入ると背筋を伸ばし、やや後傾気味に重心を取り、右手でバットを垂直に揃え、左手を右上腕部に添える動作を、1996年シーズンから必ず行うようになった。これは眼の焦点をスコアボードに合わせた後、バットへ焦点を変えることによって、ボールに対する[[視力#静止視力・動体視力|動体視力]]を一時的に上げる効果があるとも言われている。この特徴的な動作と、バットコントロールの巧みさからイチローのバットはメジャーで「[[wikt:en:magic wand|magic wand]](『魔法の杖』の意)」と称される。メジャーリーグ移籍直後は日本より数段速いと言われるメジャーの直球に対応するため、ハイキックをやめて[[オープンスタンス]]を採用するなど、止めどなく変化を続けるバッティングフォームであるが、2004年シーズン中である6月24日の夜に行ったフォーム改造で、「小さい頃に野球をやっていた時に感じたのと、近い感覚が戻ってきた」と語っている(この時、なにかが降りてきたかのようにフォーム改造を思いついたことから、一部で「シスラーが憑依した」とも言われた)。このシーズン、メジャー記録となる262安打を放っている。2005年からは、四球の数こそ増えないものの、待球により、球数は増えている。2007年からは内角対策のために猫背になることがある。2008年は自分のストライクゾーンを狭めて悪球打ちをせず、ストライクゾーンに来た球だけを振るようにしたことにより、四球が若干増えた。 2001年のメジャーデビュー当初、元マリナーズのチームメイトであった[[ジョン・オルルド]]はイチローの打撃について5通りの打ち方をすると評した。1つ目はランニング・ワン・ハンダー(半分走りながら片手で打つ)、2つ目はザ・リーナー(ボールに寄りかかりながら打つ)、3つ目はフィストカフ・スイング(なぐりつけるように流し打つ)、4つ目はチップ・スイング(ゴルフのチップショットのように打つ)、5つ目はパワースイング(力で引っ張るバッティング)であるという。 === 守備 === [[Image:Ichiro at defence.JPG|thumb|left|180px|守備につくイチロー<br/>2001年7月8日の[[ロサンゼルス・ドジャース]]との試合にて。]] 2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった<ref> 米スポーツ専門誌『スポーツ・イラストレイテッド』webサイト2006年9月13日付。参考までに、2位が[[ブラディミール・ゲレーロ]]の32%、3位が[[ホセ・ギーエン]]の8%である。</ref>強肩に加え、「'''レーザービーム'''」と称されるコントロールのいいスローイングのため、他球団からは最もタッチアップしにくい外野手に挙げられている。コントロールの良さは、マリナーズのCMのメイキング映像で、外野からキャッチャーミット目がけて指定したコースにカーブを投げ、ストライクになっている事からも窺える。記録には出ないファインプレーも魅力の一つになっている。この守備はメジャーでも高い評価を受け、[[ゴールドグラブ賞]]を2001年〜2009年の9年連続で受賞している。広範囲な守備と強肩のため、イチローの守備範囲に納まる打球は三塁打が二塁打になったり、犠牲フライが併殺外野フライになったりする。この事からイチローの守備する右翼は、その背番号と超常現象がよく確認されるというネバダ州の米軍秘密地区に掛けて、「[[エリア51]]」と呼ばれていた。 前述の「レーザービーム」は、2001年4月13日の[[オークランド・アスレチックス]]戦で、ライトヒットで三進を試みた一塁走者の[[テレンス・ロング]]を正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであった[[リック・リズ]]が「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことに所以する。日本では「レーザービーム」という表現が定着しているが、アメリカにおいては特段そのように呼ばれる事はない。インパクトのある送球を全般的に''"the Throw"'' と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている。 2005年5月2日の[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]戦の7回表で、[[ギャレット・アンダーソン]]が打ったホームラン性の球を、フェンスをよじ登ってキャッチした。[[スパイダーマン]]のように壁を駆け上がって捕ったとアメリカメディアが報道したため、「スパイダーマンキャッチ」と称された。 高校時代は投手をしていたが、登板のない時などは[[外野手]]もやっていた。夏の甲子園に出場した際には[[左翼手|左翼]]を守っている。プロ入り後、210安打を放った1994年からは[[本西厚博]](のちに[[谷佳知]])、[[田口壮]]とともに当時日本一と言われたオリックス外野陣の一翼を担った。日本時代は主に[[右翼手]]を務めたものの、[[中堅手]]を任されることも多々あり、一つのポジションに定着することはなかった(1998年は左翼手で20試合以上スタメン出場している。[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]や[[日米野球]]戦でも左翼を守ることがあった)が、1999年シーズン以降は右翼手に固定された。メジャー移籍後もほとんどの試合で右翼を守っており、休養時などは[[指名打者|DH]]として出場することもある。2006年シーズン途中から中堅手にコンバートされ、2007年は中堅手でもゴールドグラブ賞を受賞している。2008年のシーズン途中から右翼に戻り、同年、2009年と続けてゴールドグラブ賞を受賞している。 === 走塁 === [[Image:Suzuki Ichiro runs to homeplate.jpg|thumb|230px|三塁を駆け抜けるイチロー<br/>2007年9月22日の[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]との試合にて。]] 1995年と2001年に最多盗塁のタイトルを獲得し、メジャーでは毎年30盗塁以上を記録している。盗塁は成功率を重視し、盗塁数を増やすことはそれほど重視していないとコメントしており、特に2006年頃からはクイックモーションや警戒の不充分な相手投手を選んで盗塁するスタイルをとっている。盗塁数に関しては、年間30から40の間が理想だともコメントしており一時は年間70盗塁を超えるペースであったが、中盤から極端に企図数が減り、最終的に40台に終わっている。マリナーズ首脳陣からは、自分の判断で自由に盗塁できる権利(いわゆる「グリーンライト」)を与えられている。 「走塁は打撃や守備よりも難しい」と口にしており、その理由として、「打撃は成功率が良くて3割強だが、走塁は成功率が10割に近くないといけない」こと、「走塁は、野手の肩や芝生の状態などといったことをすべて考え、それらを踏まえた上で瞬間的な判断をしなければならないから難しい」ことなどを挙げている。 怪我のリスクを最小限に抑える目的から、ヘッドスライディングはほとんどしない。一塁へのヘッドスライディングは最も嫌うところであり、これを行った[[ソフトバンクホークス]]の[[川崎宗則]]に対して苦言を呈し、話題になった。盗塁や進塁の際アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングから急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度な[[フェイント]]を見せることがある。2005年5月15日の[[ボストン・レッドソックス]]との試合では、本塁突入の際ホームベース前で急停止した後、外野からの返球を受けてブロックの体勢に入っていた捕手[[ダグ・ミラベリ]]の背中を飛び越そうとするプレーを見せた。 ホームベースから走って1塁までの到達する時間は約3.7秒であり、メジャートップクラスである。 === 評価 === [[Image:Ichiro Suzuki.jpg|thumb|170px|試合に臨むイチロー<br/>2008年、[[アトランタ・ブレーブス]]との試合前にて。]] [[Image:Ichiro on base.JPG|thumb|170px|リードをとるイチロー]] アメリカの野球専門誌『ベースボール・アメリカ』に掲載された大リーグ30球団の監督による「Best Tools」投票で、イチローは2003年に「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最速ベースランナー」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「最もエキサイティングな選手」の7部門でトップに輝いた。2006年の投票では、「最もエキサイティングな選手」「最もバントが上手い選手」で1位、「最高の打者」「最高の走者」で2位、「最も俊足のベースランナー」で3位に選出された。2007年の投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バンター」「ベスト・ベースランナー」「最もエキサイティングな選手」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」で1位に、「最速ベースランナー」で2位に選ばれるなど、メジャーリーグの監督から高い評価を受けている。2008年のメジャーリーグスカウトによる投票でも、「ベスト・ヒッター」「ベスト・バットコントロール」「守備部門ベスト外野手」「ベスト強肩外野手」「ベスト・ベースランナー」の5部門で1位に、「ベスト・バンター」「最速ランナー」「ベスト・スティーラー」でも2位に選ばれるなど高評価を受けている。『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』誌では、「イチローを首位打者候補に予想しないのは、[[タイガー・ウッズ]]を優勝候補から外すのと同じ」と評した。また、同誌は[[2005年]]のMLB特集記事において、イチローを「理想の1番打者」と評している。アジア系アメリカ人向けのニュースサイト「goldsea.com」は、2002年に「アメリカで最も感動を与えてくれるアジアのスポーツスター」のランキングを発表し、[[姚明]]([[NBA]][[ヒューストン・ロケッツ]])や[[野茂英雄]]らを抑えてイチローを1位に選出した。[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回WBC]]終了時には、米スポーツ専門ケーブル局『[[ESPN]]』のコラムニストがイチローを絶賛し、「イチローを見られるのは、私たちに与えられた特権」と評し、将来の殿堂入りについても言及した。[[MLB]]公式サイトは、2009年7月21日にイチローの特集記事を掲載し、、「日本人初の殿堂入りは決まったも同然」と位置付けた。 米国の野球ファンの間でもイチローの評価は高く、「メジャーで最高の選手」と評価する声もある。地元[[シアトル]]では非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けている。[[2007年]]には、シアトルの地元紙が企画したファン投票で、地元選手の人気第1位に輝いた。 2005年に[[スーパーボウル]]進出を果たした[[NFL]]チーム、[[シアトル・シーホークス]]でリーグMVPに輝いた[[ランニングバック|RB]][[ショーン・アレキサンダー]]をも凌ぐ快挙に、マルティネス球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたという。同年には、[[ESPN]]がウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、[[デレク・ジーター]]([[ニューヨーク・ヤンキース]])を抑えてトップに立った。更に、米国のスポーツ専門誌「Sporting News」が発表した、米大リーグ488選手らの投票によるオールスターにも、アリーグ外野手部門で選出された。発表した。翌[[2008年]]には、米4大ネットワークのひとつ、[[FOX]]が各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出し、三塁手の[[アレックス・ロドリゲス]](ニューヨーク・ヤンキース)、右翼手の[[ブラディミール・ゲレーロ]]([[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム]])らそうそうたる顔ぶれの中で、イチローがメジャー最高の中堅手に選出された。打者に不利な[[セーフコフィールド]]を本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、通算272盗塁(2007年終了時)を決めていることと合わせ、走攻守すべてを絶賛した。2007年の[[2007年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]でMVPを獲得した際には、[[ニューヨーク・タイムズ]]などの米主要メディアが、こぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」、「歴史をつくった」と賛辞を送った。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出され、女子[[テニス]]のウィリアムズ姉妹や、アレックス・ロドリゲスらと共に名を連ねた。 通算3,141安打の[[トニー・グウィン]]は、「彼のおかげで、みんながコンタクトヒッターの価値を再認識するようになった。」と高く評価し、7年連続200安打の記録を持つ[[ウェイド・ボッグス]]も、イチローの殿堂入りを期待してエールを送った。 [[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[捕手]][[ホルヘ・ポサダ]]はイチローをメジャーリーグでもトップ5に入る選手だと語り、同チームの[[王建民]]は試合開始前のイチローにサインを3つ頼んでいる。同じくヤンキースの[[アレックス・ロドリゲス]]は、2006年の[[2006年のMLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]の際に、イチローに対して「試合前の調整法を教えて欲しい」として、合同練習を申し込んだ。同僚の[[ジャロッド・ウォッシュバーン]]は「(イチローは)何でもできるから、もう何をやっても驚かない」「だが、(手の内を)全部見たと思っても、また違う何かをやってみせる」と寸評している。 [[小泉純一郎]]元首相は、[[2004年]]のシーズン最多安打記録樹立の際、「もうすごいの一語に尽きるね。これだけの偉大な選手はもう当分出ないんじゃないかな。天賦の才能に加えて、人一倍の努力。偉大だね。どんな称賛の言葉を言っても、言い過ぎることはない」と褒め称えた<ref>2004年10月2日付け 朝日新聞</ref>。また、[[明仁|今上天皇]]は、[[2001年]]の記者会見で、「イチロー選手を始めとする日本人選手の米国大リーグでの活躍はうれしいことでした」と述べ、[[2004年]]の記者会見では、「イチロー選手の大リーグで成し遂げた大きな成果も心に残ることでした。」と述べている。[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]]後は野球界のみならず政界などの各方面からもイチローを賞賛するコメントが発せられた。[[キューバ]]の[[フィデル・カストロ]]元議長は、決勝戦後に「イチローは世界最高の打者。」と絶賛した。 各種メディアでの調査等でも、イチローの高い人気が証明されている。マークスJPによる「最も好きなスポーツ選手」ランキングではあらゆる世代で2位以下を圧倒し1位となった。東京商工会議所が実施した新入社員の意識調査によると、「理想の社長」の項目で[[北野武]]と並んで1位、中央調査社による2007年の「最も好きなスポーツ選手」でも1位であった。また、2007年に[[オリコン]]が実施した「好きなスポーツ選手」の調査でも男性選手部門で1位、「世界に誇れる日本人」のランキングでも、男性部門で1位となった。「[[2008年]]に同じくオリコンが実施した「世界で活躍する日本人アスリート」のランキングでは2位以下に圧倒的な差をつけて1位になった。[[goo]]による「憧れの理想体型を持つ男性有名人ランキングでも1位であった。[[博報堂]]が行った「「アスリートイメージ評価調査」では、「好感が持てるアスリート」で1位となり、総合ランキングでも1位となった。[[2009年]]には、[[学校法人産業能率大学]]が新入社員を対象に実施した『理想の上司』のアンケートでは、「男性上司」の部門で1位の座に輝いた。 マリナーズの低迷も重なり、独自の野球観と孤高な態度がチームワークを乱すとの不満が度々表面化している。2008年6月には、[[カルロス・シルバ]]の「『ヒットが2本出れば、まずまずなんじゃないですかね。今日はこんなもんでしょ。自分の役目は果たせました』なんて言ってる奴がいる」(If I get my two hits, it's OK. That's my day. I made my day.)という発言が、「イチローを批判している」と解釈され、日米のメディアで物議を醸すことになった。[[2007年]]5月のタンパベイ・デビルレイズ(現[[タンパベイ・レイズ]])戦前には、イチローは“自分勝手な(selfish)”選手だとの声がチーム内で聞かれ始めたことを受けて、当時の監督[[マイク・ハーグローブ]]が急遽ミーティングをして沈静化しており、[[2008年]]には『[[シアトル・タイムズ]]』紙が、「“信じ難い人数のチームメートがイチローを嫌って”おり、彼らが『イチローを”殴り倒してやりたい(wanting to knock him out)”』と話していたのを耳にした」と言う内部者の話を掲載している。。それを知った当時の監督[[ジョン・マクラーレン]]によってミーティングが開かれ、未遂に終わったというが、記事掲載当時の監督代行[[ジム・リグルマン]]と[[J.J.プッツ]]がこれを否定し、イチローを擁護した。しかし、翌年になって、リグルマンは同紙の取材に対し、チーム内でイチローに対する敵意が存在することに驚いたことを明かし、この件に関してメディアが騒ぎすぎだと主張した。 チームメイトの[[ライアン・ローランドスミス]]は、「イチローはクラブハウスでとても尊敬されている(Ichiro is very very respected in the clubhouse)」と述べ、「真のプロフェッショナル」、「特別な選手」として絶賛すると共に、イチロー批判を行った選手を非難している。2009年に新加入した[[ケン・グリフィー・ジュニア|ケン・グリフィー・Jr]]、[[マイク・スウィーニー]]のベテラン2選手からも人望が厚く、イチローが体調不良でダウンした際には、グリフィーとスウィーニーがストッキングを上げる「イチロースタイル」の着こなしを見せ、イチローの早期回復を願った。スウィーニーは「彼がいないのはとても寂しいこと。」と語っていた。元監督[[ジョン・マクラーレン]]は、グリフィーとイチローの関係がマリナーズのクラブハウスに平和と一体感を呼び戻すのに重要な役割を果たすだろうと述べた。[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]終了後には、ESPNが「WBCで新たなイチローが姿を現した」と題した記事を掲載し、「チームの雲の上の存在にならずに、歯車として働いた。」として、チームリーダーとしての新境地を見せたイチローを評価した。 2009年シーズンは、グリフィーの存在によりチームメイトとも打ち解け、[[ドン・ワカマツ]]監督は前年に存在したイチローに対する敵意は消滅したと語った。2009年7月、イチローはシアトル・タイムズ紙の独占インタビューに応じ、「昨年のクラブハウスの、イチローへの反感」については、「正直言って、僕はよくわからない。去年から今年にかけて、僕自身は何も変わっていない。言えることは、新しい選手が入ってきたということ。そして、監督も新しくなった。去年あったことは、もう存在しない」と語った。 === 人物、プライベート === * '''ファンおよびマスコミへの対応(その1)''' :普段はメディアの取材に積極的に応えることはないが、[[糸井重里]]との対談で、「僕はゲームの後にその日の試合のことについて語ることを、あまりしていません。それは真剣に見てくれている人々のことを考えると、いい加減なことを言えないからです。適当にあしらうことはできないんです」と語っている。「オフになってからは『イチローは何を考えているのだろう』という質問に答えることにしています」との言葉どおり、オフの特別番組やロングインタビュー等には積極的に応じている。同対談では「一時的な注目ではなく、何年も僕に興味を持ってくれる人達とは、もう一生の付き合いだと思っているんです」とも語っている。 * '''ファンおよびマスコミへの対応(その2)''' :メディアへの接し方については、「メディアと選手というのは戦っています。お互いが緊張しなくてはいけないし、お互いが育て合う関係だと思います。ですから妥協はしたくないのです」とインタビューで発言している。そのため、メディアと選手とが馴れ合っているような関係を快く思っていない。 * '''ファンおよびマスコミへの対応(その3)''' :若手時代は今と違ってむしろ[[マスコミュニケーション|マスコミ]]に対して好意的で、[[バラエティ番組]]にもよく出演し、明るく喋っていた。急変したのは評論家・[[永谷脩]]が事実無根の文章を書いて発表して以降である。 * '''インタビューでの発言(その1)''' :打席に入る前にバットを正面に立てる動作について、2003年のインタビューで「集中するための儀式。[[ゴルフ|ゴルファー]]が行う一連の動作と同じ。自分の形を作って、まず自分を落ち着かせる。自分のペースに持っていくということです」と答えたことがある。インタビュアーの「バットを立てたとき何を見ているのか」という質問に対しては、「最初にバットを見て、それからピッチャーの後ろのほうをぼんやり見ている。それからピッチャーを見る。今の形になったのは、1998、1999年ごろ。いろいろ試してみて、これがしっくりきたんです」と答えている。 同インタビューで「もし、野球というスポーツがなかったら、どんな人生を歩んでいたか」という問いに対し、「組織の中で自分を殺して生きていく事はできないタイプなので、自分で何かをやっていたと思う。何かは分かりませんが。[[サラリーマン]]は勤まらないでしょう」と語っている。 * '''インタビューでの発言(その2)''' :テレビ番組『[[ICHIRO-VERSUS]]』(2008年3月19日放送)の“憧れ”という問いに「ドラゴンズのユニフォームを着た全ての選手」と答えていることから、中日ドラゴンズに対しての幼いころからの憧憬を、今もなお持ち続けていると思われる(子供のころの好きな野球選手に[[田尾安志]]を挙げている)。 * '''栄誉について''' :[[国民栄誉賞]]を2度打診された初の人物であり、同じく2度断った初の人物でもある。 * '''ゴルフについて''' : 集合時間の1時間前には現地に到着していることが常で、待ち時間の間に入念にウォーミングアップを行う。イチロー本人の弁では、何事も常にベストの状態で臨みたいからだという。このことについて彼と交流がある[[佐々木主浩]]は、「イチローはゴルフも全力で挑むから嫌い」とからかい混じりに語っている。なおゴルフの腕前は人並み程度らしく、メジャー移籍1年目にテレビで行われた対談の席で佐々木から「少しは上手くなったのか」と質問されたイチローは「佐々木さんはアメリカで頑張ってたら知らないんでしょう。何だったら今度一緒にコース回りましょうよ。上手くなっててびっくりしますから」と苦笑交じりに反論する一幕があった。 === オリックス時代 === * '''会いたい前田さん''' :プロ入り以来「一番会いたいのは“前田さん”」と話していた。[[広島東洋カープ]]の[[前田智徳]]のことである。1994年にオールスターゲームに出場した際、前田との初対面を果たし握手を交わしたイチローは、満面の笑みを浮かべていた。その前田から掛けられた言葉は「お前、内野安打ばっかりじゃ面白うなかろう」だった。また背番号「51」は、奇しくも前田がカープ入団時に付けていた番号である。 * '''投手イチロー''' :[[1996年]]の[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター戦]]の9回2アウト、打者[[松井秀喜]](当時[[読売ジャイアンツ|巨人]])のところで、パ・リーグの仰木彬監督は、スピードガンコンテストで146kmをマークしたことのあるイチローを投手に起用。イチロー対松井の夢の対決を期待したファンが大歓声を送った。セ・リーグの[[野村克也]]監督が[[代打]]に[[高津臣吾]](当時[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]])を送り、結果はショートゴロであった。これはオールスターをファンにとっての最大のエンターテイメントと考える仰木監督と、選手にとっての栄誉ある舞台と見る野村監督との考え方の食い違いによるもので、野村監督は野手を投手として送り込むのは、対戦する打者にとって最大の侮辱と捉えていた。後日これに関して野村監督は「ふざけている」とコメントした。 ** '''投手イチローのいるゲームソフト''' :このエピソードを反映してか、1997年に[[バンダイナムコゲームス|ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)]]から発売された『[[プロ野球ファミリースタジアム|ファミスタ64]]』において、オールスターモードでイチローを投手として登板させるという[[裏技]]が搭載された(同時期に投手・打者の二刀流として話題になった[[嘉勢敏弘]]も同様の裏技が搭載された)。『[[超空間ナイター プロ野球キング]]』では野手で唯一、変化球(カーブ)が使える。 ** '''白けた''' :上記の事例に関してイチロー本人は長年沈黙を守っていたが、比較的近年になって「松井とマウンド上で対戦できるしびれる場面に水を差されて、一気に白けた」と当時の胸の内を明かしている。 * '''イチローシート''' :1996年から2004年まで、[[神戸総合運動公園野球場]]にイチロー・シートを毎年20席(約140万円分)設置し、神戸の野球少年を招待していたが、2004年の球界再編騒動でオリックスブルーウェーブが大阪近鉄バファローズを吸収合併。オリックス側は05年以降のイチローシートの購入を求めていたが、自分の育った球団はブルーウェーブでありバファローズではないという理由で購入を拒否した。 * '''慈善活動''' :1998年には出身地の[[愛知県]]に社会福祉のために1000万円、兵庫県には震災復興のため1000万円を寄付。2000年には豪雨によって被害を受けた愛知県にトレーナー、パーカーを合計1000枚、Tシャツ500枚(計1300万円相当)を贈るなど慈善活動にも熱心である。 * '''スペアリブ''' :1999年のシーズン前に[[星野伸之]]、[[戎信行]]と一緒に[[シアトル・マリナーズ]]の春季キャンプに参加した。そのときに食べた[[スペアリブ]]に[[食中毒|あたって]]しまい、体調を崩して結果が思うように出せなかった。以来、口に入れるものは疑うようにしている<ref>『イチローの流儀』の112頁を参照。</ref>。この時の腹痛は熱い[[ほうじ茶]]を飲んで治したという。このシーズンに通算1000本安打を達成した際、当時マリナーズに所属していた[[ケン・グリフィー・ジュニア]]は「メジャーでも通用する。唯一君の前に立ちはだかるものはほかならぬスペアリブだよ」とコメントを寄せている。 * '''三塁手イチロー''' :1999年の試合では、選手が足りなくなり、三塁の守備位置についたことがある。守備機会はなかった。 * '''悪球打ち''' :2000年[[5月13日]]の[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦(グリーンスタジアム神戸)、1回裏の打席で[[後藤利幸]]の投じたワンバウンドの悪球を打ちにいき、ライトに運んでヒットにした。 * '''バースに迫る打率(その1)''' :2000年シーズン、79試合目を終えた時点でも打率.401を残すなど高打率を維持し、[[規定打席]]に到達して以後も.390台をキープ、最も高いときで.398を記録していた日もあった。しかし、その後徐々に下がっていき、打率.3873のときに故障して戦線離脱した。そのままシーズンを終えたが、あと1打席に立って1本安打を放った後で故障していた場合、打率.3888でシーズンを終了していたことになり、[[1986年]]の[[ランディ・バース]]が持つシーズン歴代最高打率(.3885)を超えていた。 ** '''バースに迫る打率(その2)''' :210安打を放った1994年は、主に1番打者として全試合打席に立ち続けながら、50試合目以降からシーズンを終えるまで常に打率.380以上を維持した。特に63試合目には打率を4割台に乗せ、69試合目まで7試合4割を継続している。70試合目以降は.380台後半から.390台後半のあいだをうろつき、規定打席に到達した後も.390台を推移し、126試合目を終えた時点でもバースの打率を超えていた。しかし、127試合目、128試合目で共に5打数無安打に倒れ、打率を.380台前半まで下げた。これが響き、最後の2試合でそれぞれマルチヒットを放ったものの、結局バースの打率には届かなかった。 * '''オリックスの51番''' :イチローの退団後、オリックスでは背番号51は誰もつけていない。 === マリナーズ時代 === * '''道徳教材''' :2004年、小学5年生の道徳副読本の題材に登場、連続試合出場の「継続」の大切さを伝えた。 * '''30年発言''' : 2006年の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]1次リーグを前にした公式会見の場で発言した「対戦した相手が、向こう30年は日本には手は出せないな、という感じで勝ちたいと思う」が、韓国ではなぜか「(韓国は)30年間日本に勝てないようにしてやる」といったような発言をしたように歪曲され報道された結果「挑発的な発言」と捉えられ、イチロー本人や日本チームに対する激しいバッシングが起きた。第2回大会の日韓戦では打席に入るたびに激しいブーイングを浴びせられた。 * '''2006WBC決起集会''' :また2006年の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]では、[[ボブ・デービッドソン#2006 ワールド・ベースボール・クラシックにおける判定問題|疑惑の判定]]で敗れたアメリカ戦の後に決起集会を開いてチームを鼓舞した。その際、出席者全員分の食事代を一人で全額負担した<ref>TBS系のスポーツ番組で[[西岡剛 (内野手)|西岡剛]]が語った内容より。</ref>。 * '''ファッション誌のモデル''' :2006年4月28日に日本で発売された、フランスの最高級ファッション誌『ロフィシェル』日本版6月号に、モデルとして出演した。 * '''マリナーズの顔''' :2007年に[[ESPN]]が行った「マリナーズの顔は誰?」というアンケートで投票総数3万4166票中、96%の票を集めて1位に選ばれた。 * '''レストランの予約とMVP''' :2007年のオールスターゲームにおいてランニングホームランを決めた後、イタリアンレストランの予約を入れていたために球場から出て帰ろうとしたところ、スタッフから「MVPに選ばれるかも知れないから帰るな」と引き留められて球場にとどまり、MVPを受賞した。 * '''無断広告''' :2007年11月27日、写真入りの広告を無断で使用されたとして、[[台湾]]の広告代理店に[[損害賠償]]を求めていた[[訴訟]]の[[控訴審]]判決が、[[中華民国司法院|台湾高等法院]]で下された。同院は「台湾ではニューヨーク・ヤンキースの[[王建民]]投手(台湾出身)の[[知名度]]に及ばない」などとして、500万[[台湾ドル]](約1700万円)の支払いを命じた1審判決を大幅に減額し、100万台湾ドル(約340万円)の支払いを言い渡した。 * '''マリナーズのベストナイン''' :2008年1月、マリナーズの公式サイトが発表したチームの歴代ベストナインで、「右翼手」で選出された。 * '''内野守備''' :2008年8月17日、同点の9回裏1死2,3塁という場面でメジャー移籍後初めて内野(二遊間)の守備位置についたが([[5人内野シフト]])、四球で満塁になったところで外野に戻り、守備機会はなかった。 * '''ユンケル専用''' :[[佐藤製薬]]の[[ユンケル黄帝液]]を長く愛飲しており、テレビ番組では[[利き酒]]のようなことをユンケルでやっていた。また、|※表書きする為の出典探してます。Cyclops特注で作った専用ケースに詰めて遠征時には必ず持っていくという。ユンケルを飲むのは試合開始1時間前に飲んでいる。このことは、WBCの優勝会見で川崎選手が明かしている。 * '''長者番付''' :米国のスポーツ専門誌『スポーツ・イラストレーテッド』が発表した「スポーツ選手長者番付」によると、2006年度の年収は2250万ドル、2007年度の年収は2400万ドルである。 * '''体脂肪率''' :徹底した自己管理で、34歳になった現在でも20歳代の頃と変わらぬ[[体脂肪率]]6〜7%を維持している。 * '''通訳の件''' :インタビューなどで全く英語を話さず通訳を通しているため、日本のみならずアメリカのファンから「英語を習得できていないのか」とよく批判されている。しかし、英語でファンやチームメイトとコミュニケーションをとる姿が多く映されており、アメリカ代表として来日した2002年の[[日米野球]]戦の記者会見でも、[[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ジェイソン・ジアンビ]]に「アメリカ代表なんだから英語で答えろよ」とからかわれ、「shut up!(うるさいよ!)」と笑って即答している。通訳を通すのは、ファンや記者によりわかりやすく正確な英語で伝えるためであるとのことである。 === その他 === * '''幽霊の正体''' :イチローが高校生であったころ、母校・[[愛知工業大学名電高等学校|愛工大名電]]に近在の神社では夜ごと幽霊が出るとの噂が立っていたらしいが、その正体は、素振りをするイチローであったという話が残されている。 * '''マイペース''' :『[[ジャンクSPORTS]]』で[[パンチ佐藤]]が語ったところによれば、夜中にどこからか物音がするため目を覚ましたところ、寮内にあるトレーニングルームでイチローが黙々と[[ウェイトトレーニング]]をしていたという。また佐藤は新人時代のイチローをたびたび外食に同行させていたが、イチローは焼肉を食べた後に[[アイスクリーム]]を時間をかけて味わう習慣があった。そのあまりのマイペースさに呆れた佐藤は「お前待ちなんだ!」と公衆の面前にも関わらず怒鳴りつけてしまったと語っている。 * '''ルーキー時代の計画''' :1992年当時、オリックスの2軍打撃コーチであった[[河村健一郎]]は、イチローら新人選手たちにレポートを提出させた。イチローは「12年間で2000本安打を達成する」と書いていたという。そのレポートから12年後の2004年、イチローは日米通算2000本安打を達成している。 * '''投手に憧れ''' :高校時代に交通事故(自転車での通学中に車と接触している)による怪我が原因で投手から野手に転向した。この事からか投手というポジションへの強い憧れを公言しており、『[[週刊ベースボール]]』誌で組まれた[[松井秀喜]]との対談の席で松井から「今でもピッチャーに未練はあるんですか」と尋ねられた際には「それはもう、むちゃくちゃある」と答えている。 * '''松井秀喜との接点''' :上記の対談で明らかになった事であるが、高校時代から松井秀喜とは接点があり、両者ともに1軍メンバーとして対戦している(イチローが一学年上にあたる)。愛工大名電高校と[[星稜高校]]両校の野球部には長年交流があり、年に数回合宿も兼ねた練習試合を行っていたためであった。イチローは当時1年生にして4番を任されていた松井に「すごく飛ばすらしいじゃない。もう(ホームランを)何本打ってるの?」と尋ねたところ、松井に「10本くらいですかね」とさらりと返答され、「すごい奴もいるもんだな」と内心驚いたという。一方、松井は上記のエピソードを憶えていなかったようであるが、星稜高校の部長(一般のクラブでいう顧問の先生)が「あいつ(イチロー)すごいな。絶対プロになるよ」と驚嘆していた事は鮮明に憶えていると語っている。 * '''[[清原和博]]との交友''' :清原が晩年の仰木彬に師事したという共通点から知り合う。イチローいわく「一時期好ましくない印象もあったけど、会って食事をしたらとても好感の持てる人だった」とのこと。合同練習で和やかに練習したり、清原が軟骨移植手術のリハビリ中に'''清原の名前が入った背番号3'''のマリナーズのユニフォームを送るなど、親交は深い。全日程が終わった直後にも関らず引退試合にも駆けつけ、清原もセレモニーで謝意を述べた。 * '''[[マナカナ]](三倉茉奈、三倉佳奈)との交友''' :マナカナとは、マナカナが11歳当時のハウス食品のCMで共演して以来の付き合いであり、毎年数回食事を共にしたり国際電話をする仲である。マナカナは「ハワイでの撮影で仲良くしてもらい『日本へ帰ったらご飯食べに行こうよ』と言われていたが、社交辞令ではなく本当に連絡があって驚き喜んだ」との旨を語っている。 * '''林檎のイチロー''' :[[シンガーソングライター]]の[[椎名林檎]]は、自らが作詞した『スーパースター』という楽曲について、イチローをイメージして制作したと発言している<ref>『[[ICHIRO MONDOW]]』や『[[僕らの音楽-OUR MUSIC-]]』の番組内にて。</ref>。 * '''少年そのもの''' :元チームメイトの[[エドガー・マルティネス]]は、イチローのことを「少年そのもの」と評している。 === 記録など === * 1994年[[6月12日]]の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦で、10回裏二死満塁の場面からサヨナラ[[振り逃げ]]を達成した。日本プロ野球史上唯一の記録である(2008年シーズン終了時点)。 * 日本時代のオールスターでは、初出場の1994年第1戦から2000年第3戦まで連続フルイニング出場しており、1996年の第2戦以外、すべての試合で安打を記録している。1995年は前半戦を十冠王(安打、本塁打、打点、盗塁、塁打、得点、死球、得点圏打率、出塁率、長打率)で折り返した。このことを同年のオールスター第1戦で実況が話題に出し、聞いた解説の[[江川卓 (野球)|江川卓]]は笑っていた。 * 日本での通算打率は.353であるが、4000打数以上が条件である通算打率へのランクインには381打数足りない。日本に復帰した場合、381打数で3安打すれば通算打率は.3203(4000打数1281安打)となり、通算打率1位の[[レロン・リー]](.3200)を上回る。 * 得点圏に強く、日本時代の通算得点圏打率が.365、通算満塁打率は.363を誇っている。日本では通算118本の本塁打を記録している。満塁本塁打は8本あり、14.7本に1本の割合は通算満塁本塁打が7本以上の選手の中では歴代1位。[[駒田徳広]]と並ぶ6年連続満塁本塁打のプロ野球記録も持っている。メジャーでは通算得点圏打率.351、通算2死得点圏打率.366、通算満塁打率.473、通算満塁長打率.703と、それぞれ現役1位の記録を残している。また、左打者ながら左投手を得意にしており、日本時代の対左投手通算打率が.371、メジャーでの対左投手通算打率は.354を記録している(いずれも2007年シーズン終了時点)。 * 早打ちの傾向が顕著であり、カウント別最多安打は日米ともに初球で、0-1のカウントでの安打が2番目に多い<ref name="brcle"/>。 * スロースターターであり、メジャーでの4月通算打率は.294で、4月から9月までの月間別通算打率の中では自己最低を記録している。メジャーのシーズン歴代最多安打記録を樹立した2004年も、4月の打率は.255であった。5月になると途端に打撃の調子が上がる傾向にあり、メジャーでの5月通算打率は.364で、4月から9月までの月間別通算打率の中では自己最高を記録している(2008年シーズン終了時点)。 * 20試合以上連続安打を、メジャーで通算7回記録している(現役1位。メジャー記録は8回。日本時代にも4回マークしている(日本記録)ため、日米通算では11回記録している。 * 日本時代とメジャーでそれぞれ5回記録している最多安打は、すべて両リーグ最多安打である。メジャー移籍後は、安打数でリーグ3位以下になったことが1度もない(最多安打を逃した年の安打数はいずれもリーグ2位)。 * メジャー移籍後は長期欠場が1度もなく、21世紀以降では、メジャーの現役選手中もっとも多く試合に出場している選手である(2008年シーズン終了時点。 * 日米通算のため参考記録ながら、2004年5月21日(現地時間)に30歳6か月で2000本安打を達成している。[[榎本喜八]]の31歳7か月を抜いて日本人最年少記録であり、1465試合での到達は[[川上哲治]]の1646試合を抜いて日本人最速記録である。2008年7月29日(現地時間)に日米通算3000本安打を達成したが、2175試合、34歳9か月での達成はいずれも[[張本勲]]の2618試合、39歳11か月を大幅に上回る早さである。 2016年6月16日にビートローズの記録更新した == 特筆 == === 家族 === 妻は元・[[東京放送|TBS]][[アナウンサー]]の[[福島弓子]]。[[柴犬]]を飼っており、非常に可愛がっている。名を「一弓(いっきゅう)」と言い、命名は、自身と妻の名「一朗」「弓子」から一文字ずつを採って「[[wikt:ja:一|一]](いつ)」+「[[wikt:ja:弓|弓]](きゅう)」としたもの。子供はいない。 4歳年上の兄・[[鈴木一泰]]は[[グラフィックデザイナー]]。イチローが現在使用する野球用品には彼がデザインした専用ロゴが刻まれている。主な作品は[[日本BS放送]]のマスコット「BEAMO」、[[ボビー・オロゴン]]の「もす!」Tシャツのロゴなど。 === 用具について === バットは[[ミズノ]]の[[篠塚和典]]モデルがベースであるという。ヘッドを軽量化させており、直径60.5ミリという極細。芯の部分も細く、使うには相当な技術が要求される。バット製作にあたってミズノの工場内にある歴代選手シグネーチャーモデル展示室に並ぶバットの中で、本人いわく「遠くから見ても、それだけがもうチカチカ輝いていた」と言い、手に取ると何から何まで自分にピッタリであったとのことである。自分の調子に合わせてバットを変えるということはせず、バットを変えることなく自分を調整していくため、オリックス入団時から一貫して同じ形のバットを使い続けている。イチローを含め様々なプロ野球選手たちのバットを作ってきた、バット職人である[[久保田五十一]]は、「私の記憶の中では、これほど(バットを)変えない方はいらっしゃらないですね」とイチローについて語っている。 [[スパイクシューズ]]は山陰アシックス工業が製作している。年々改良が続けられている専用シューズは軽量化に重点が置かれており、2009年モデルは片足約250gという超軽量化を実現している。反面、スパイク部分に使用されている特殊素材は軽量化の代わりに耐久性を犠牲にしており、3試合程度の使用で新品と交換している。同社がイチローのために製造しているシューズは試合用と練習用を合わせて年間150足を超える。 バットやグローブを「道具ではない。自分の一部。自分の体の一部」だと語るほど、使う野球用品を非常に大切に扱っている。そのため、打った直後も必ずバットを静かに置く。オリックス時代に1度だけバットを放り投げたことがあり、そのときのことについて、「後ですごく後悔して、それから特に道具に対する気持ちが強くなってますね」とインタビューで答えている。他の選手の野球用具は絶対に触らない。チームメイトの[[城島健司]]いわく、「質感や重さが、手に残ることが嫌」ということである。 === ドラマ出演 === 『[[古畑任三郎#.E3.83.95.E3.82.A1.E3.82.A4.E3.83.8A.E3.83.AB|古畑任三郎 ファイナル]]』第2話([[2006年]])に、主人公・古畑と対決する犯人役「シアトル・マリナーズのイチロー」として出演した。それまでの古畑作品で、犯人役を本人が演じたのは[[SMAP]]のみであった。イチロー本人も『古畑任三郎』シリーズの大ファンと公言しており、プロデューサーと思惑が一致したため、出演に至ったとされている。出演ギャラはお金の代わりになんと『古畑任三郎』DVD-BOXセットのみであった。全シリーズ合わせても10万円相当であるため、破格のギャラであるといえる。 シリーズの脚本家である[[三谷幸喜]]はエッセイや[[2008年]]の再放送時のコメント映像中で、出演が決定し、イチロー本人と対面した際に、殺人犯役でそのまま「イチロー」の名前を使うのはためらわれるので「ハチロー」のような役名や別の職業にしてはどうかと提案したが、イチローが「これは本人役じゃないと面白くない。自分を演じたい。」と熱望したため、そのまま「シアトル・マリナーズのイチロー」にした、と語っている。あくまでフィクションである事を示すため、レギュラーキャラクターの一人の「義弟」であるとの設定にされている。キャラクターについても「嘘はつかない」「フェアプレーを好む」「残虐な殺し方はしない」などイチロー本人の要望やイメージが反映されており、私利私欲でなく恐喝に苦しむ義兄を救うために殺人を犯す一方で、アリバイ工作や偽証を拒んで古畑に不敵に頭脳戦を挑むという役どころとなっている。撮影に当たっては台詞を完璧に憶えてNGはほとんど無かったと言われており、主演の[[田村正和]]は「役者の鑑」と評した。視聴率は27%で、12年続いたシリーズの中では7番目に高いものとなった。 イチローがチームのオフィシャル雑誌『Mariners』に語ったところによると、2004年に最多安打の記録を達成したオフシーズンに初めて野球以外で何かしてもいい気になったという。2005年の春季キャンプを迎える直前の2月に神戸のホテルで初めて脚本に目を通し、本人の話では冗談混じりにみすぼらしい演技で関係者に引き取ってもらい、面白い話が来た程度で終わらせようと考えたそうであるが、いざゴーサインが出た時は番組のレベルを考えてかなり緊張したと語っている。シーズン終了後の10月に東京ドームの駐車場で撮影が開始。今までやったことのない世界で、その世界の一流の出演者と共演し、本当に自分が番組のレベルにあった演技ができるのかどうか考えてとにかく怖かったと語っている。後日インタビューで、守備に就いている時に台詞の練習をしていたことや(グラブで口を隠して練習していた)、2005年シーズンの成績が他の年に比べて下がったことを引き合いに出して、「台詞の練習をしていたせい」だと冗談混じりに語っている。 イチローは以前にも映画『走れ!イチロー』(2001年・監督[[大森一樹]])で本人役として出演を果たしているが、台詞は無かったため、台詞をしゃべるのは本作が初めてであった。 === 趣味・好物 === 少年期から[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]]のファンである。[[プロ野球選手]]になってからも暇なときや怪我をしてるときになどによくプレーしている。また、イチローの所縁の品が展示されている[[アイ・ファイン]]には、イチローが少年期にプレーした[[ドラゴンクエストシリーズ]]の[[ゲームソフト|ソフト]]が展示されている。 車好きであり、日本ではCMに出演していた[[日産自動車]]の[[インフィニティ・Q|インフィニティQ45]]や[[日産・シーマ|シーマ]]、1000万円以上かけてチューンした[[日産・マーチ|マーチ]]などに乗っていた。アメリカでは同じく日産の[[インフィニティ・G|インフィニティ・G35クーペ]]や[[ポルシェ・カレラGT]]、オールスターMVPの副賞として贈呈された[[シボレー・タホ]]・[[ハイブリッドカー|ハイブリッド]]などを所有している。 [[偏食]]家であり、独身時代は[[牛タン]]を主食とし、神戸市三ノ宮の牛タン専門店「[[牛や たん平]]」の常連となっていた。メジャーリーグに行ってからの7年間、シアトルにいる際の昼食はほとんど弓子夫人手作りの[[カレー]]である。 == 年度別打撃成績 == {| {{年度別打撃成績}} |- |style="text-align:center"|{{by2|1992}} |style="text-align:center; white-space:nowrap;" rowspan="9" |[[オリックス・ブルーウェーブ|オリックス]] |40||99||95||9||24||5||0||0||29||5||3||2||1||0||3||0||0||11||0||.253||.284||.305||.589 |- |style="text-align:center"|{{by2|1993}} |43||67||64||4||12||2||0||1||17||3||0||2||1||0||2||0||0||7||2||.188||.212||.266||.478 |- |style="text-align:center"|{{by2|1994}} |'''130'''||'''616'''||'''546'''||'''111'''||<span style="color:red">'''210'''</span>||'''41'''|| 5||13||'''300'''||54||29||7||7||2||51||8||10||53||3||'''.385'''||'''.445'''||.549||.994 |- |style="text-align:center"|{{by2|1995}} |'''130'''||'''613'''||524||'''104'''||'''179'''||23||4||25||'''285'''||'''80'''||'''49'''||9||0||3||68||'''17'''||'''18'''||52||7||'''.342'''||'''.432'''||.544||'''.976''' |- |style="text-align:center"|{{by2|1996}} |'''130'''||'''611'''||'''542'''||'''104'''||'''193'''||24||4||16||'''273'''||84||35||3||0||4||56||'''13'''||9||57||8||'''.356'''||'''.422'''||.504||.926 |- |style="text-align:center"|{{by2|1997}} |'''135'''||607||536||'''94'''||'''185'''||31||4||17||275||91||39||4||0||5||62||'''14'''||4||36||10||'''.345'''||.414||.519||.933 |- |style="text-align:center"|{{by2|1998}} |'''135'''||558||506||79||'''181'''||36||3||13||262||71||11||4||0||2||43||'''15'''||7||35||21||'''.358'''||.414||.518||.932 |- |style="text-align:center"|{{by2|1999}} |103||468||411||80||141||27||2||21||235||68||12||1||0||5||45||'''15'''||7||46||5||'''.343'''||'''.412'''||.572||.984 |- |style="text-align:center"|{{by2|2000}} |105||459||395||73||153||22||1||12||213||73||21||1||0||6||54||'''16'''||4||36||3||'''.387'''||'''.460'''||.539||.999 |- |style="text-align:center"|{{by2|2001}} |style="text-align:center" rowspan="9" |[[シアトル・マリナーズ|SEA]] |157||'''738'''||'''692'''||127||'''242'''||34||8||8||316||69||'''56'''||14||4||4||30||10||8||53||3||'''.350'''||.381||.457||.838 |- |style="text-align:center"|{{by2|2002}} |157||728||647||111||208||27||8||8||275||51||31||'''15'''||3||5||68||'''27'''||5||62||8||.321||.388||.425||.813 |- |style="text-align:center"|{{by2|2003}} |159||725||679||111||212||29||8||13||296||62||34||8||3||1||36||7||6||69||3||.312||.352||.436||.788 |- |style="text-align:center"|{{by2|2004}} |161||'''762'''||'''704'''||101||<span style="color:red">'''262'''</span>||24||5||8||320||60||36||11||2||3||49||'''19'''||4||63||6||'''.372'''||.414||.455||.869 |- |style="text-align:center"|{{by2|2005}} |'''162'''||739||'''679'''||111||206||21||12||15||296||68||33||8||2||6||48||23||4||66||5||.303||.350||.436||.786 |- |style="text-align:center"|{{by2|2006}} |161||'''752'''||'''695'''||110||'''224'''||20||9||9||289||49||45||2||1||2||49||16||5||71||2||.322||.370||.416||.786 |- |style="text-align:center"|{{by2|2007}} |161||736||'''678'''||111||'''238'''||22||7||6||292||68||37||8||4||2||49||13||3||77||7||.351||.396||.431||.827 |- |style="text-align:center"|{{by2|2008}} |'''162'''||'''749'''||'''686'''||103||'''213'''||20||7||6||265||42||43||4||3||4||51||12||5||65||8||.310||.361||.386||.747 |- |style="text-align:center"|{{by2|2009}} |146||678||639||88||'''225'''||31||4||11||297||46||26||9||2||1||32||'''15'''||4||71||1||.352||.386||.465||.851 |- !colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:9年 |951||4098||3619||658||1278||211|| 23||118||1889||529||199||33||9||27||384||98||59||333||59||.353||.421||.522||.943 |- !colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:9年 |1426||6607||6099||973||2030||228||68||84||2646||515||341||79||24||28||412||142||44||597||43||.333||.378||.434||.812 |- !colspan="2"|通算:18年 |2377||10705||9718||1631||3308||439||91||202||4535||1044||520||112||33||55||796||240||103||930||102||.340||.394||.467||.861 |} * 2009年度シーズン終了時 * '''太字'''はその年のリーグ最高 * <span style="color:red">'''赤太字'''</span>はNPBまたはMLBにおける歴代最高 == 年度別守備成績 == {| class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;" !rowspan="2"|年度!!colspan="6"|[[中堅手|CF]]!!colspan="6"|[[右翼手|RF]]!!colspan="6"|[[外野手|OF]] |- !試合!![[刺殺]]!![[補殺]]!![[失策]]!![[併殺]]!![[守備率]]!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率 |- |2001||colspan="6"|-||152||'''335'''||8||1||2||'''.997'''||152||335||8||1||2||.997 |- |2002||3||8||0||0||0||1.000||'''150'''||'''325'''||8||3||0||'''.991'''||153||333||8||3||0||.991 |- |2003||colspan="6"|-||'''159'''||'''337'''||'''12'''||2||'''4'''||'''.994'''||159||337||12||2||'''4'''||.994 |- |2004||colspan="6"|-||'''158'''||'''372'''||12||3||2||.992||158||372||12||3||2||.992 |- |2005||colspan="6"|-||'''158'''||'''381'''||'''10'''||2||2||.995||'''158'''||381||10||2||2||.995 |- |2006||39||114||1||1||0||.991||121||250||8||2||'''3'''||.992||160||364||9||3||3||.992 |- |2007||155||'''424'''||8||1||3||'''.998'''||colspan="6"|-||155||424||8||1||3||'''.998''' |- |2008||69||195||4||1||1||.995||91||175||7||4||1||.978||'''160'''||370||11||5||2||.987 |- !通算!!266!!741!!13!!3!!4!!.996!!989!!2175!!65!!17!!14!!.992!!1255!!2916!!78!!20!!18!!.993 |} * 各年度の'''太字'''はその年のリーグ最高。 == タイトル・表彰・記録 == === タイトル・表彰 === '''NPB''' * シーズンタイトル ** [[最優秀選手 (野球)#日本プロ野球|MVP]]:3回(1994年 - 1996年) ** [[正力松太郎賞]]:3回(1994年 - 1995年、2004年)※2004年は特別賞 ** [[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]:7回(1994年 - 2000年) ** [[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]:1回(1995年) ** [[最多盗塁 (日本プロ野球)|盗塁王]]:1回(1995年)※打点王と盗塁王の同時獲得はNPB史上初 ** [[最多安打]]:5回(1994年 - 1998年) ** [[最高出塁率]]:5回(1994年 - 1996年、1999年 - 2000年) ** [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:7回(1994年 - 2000年) ** [[ゴールデングラブ賞]]:7回(1994年 - 2000年) ** [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]優秀選手賞:1回(1996年) ** [[IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞]]:3回(1995年 - 1997年) * 月間タイトル ** [[パ・リーグ]]月間MVP:10回(1994年6月・8月、1995年6月、1996年8月、1997年6月、1998年6月・7月、1999年5月・7月、2000年7月) '''MLB''' * シーズンタイトル ** [[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人王]](2001年) ** [[最優秀選手 (野球)#アメリカメジャーリーグベースボール|MVP]]:1回(2001年) ** [[首位打者 (MLB)|首位打者]]:2回(2001年、2004年) ** [[最多盗塁 (MLB)|盗塁王]]:1回(2001年) ** [[シルバースラッガー賞]]:3回(2001年、2007年、2009年) ** [[ゴールドグラブ賞]]:9回(2001年 - 2009年) * 月間・週間タイトル/その他 ** [[アメリカンリーグ]]月間新人MVP:4回(2001年4月・5月・8月・9月) ** [[アメリカンリーグ]]月間MVP:1回(2004年8月) ** [[アメリカンリーグ]]週間MVP:2回(2004年8月2日 - 8月8日、2005年5月29日 - 6月4日) ** [[MLBオールスターゲーム|オールスター]]MVP:1回(2007年) ** [[コミッショナー特別表彰]](2004年) ** [[ハート&ハッスル賞]](2008年) '''その他''' * [[菊池寛賞]](2001年) * [[報知プロスポーツ大賞]] ** 野球部門(パ・リーグ):4回(1994年 - 1996年、1998年) ** 特別賞:1回(2004年) * [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]] ** [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック#優秀選手・MVP|2006年WBCベストナイン]](外野手) ** [[紫綬褒章]]([[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|2006年WBC日本代表]]としてチームで受賞) === 特筆記録 === '''NPB''' * NPB記録 ** シーズン最多安打:210(1994年) ** シーズン[[猛打賞]]:26回(1996年) ** シーズン打率.380以上:2回(1994年、2000年) ** シーズン打率.370以上:2回(1994年、2000年)※.360以上ではタイ記録 ** シーズン打率.350以上:4回(1994年、1996年、1998年、2000年) ** シーズン打率.340以上:7回(1994年 - 2000年) ** シーズン連続試合[[出塁]]:69(1994年5月21日 - 8月26日) ** シーズン連続打席無三振:216(1997年4月16日 - 6月24日) ** 20試合以上連続安打:4回(1994年2回、1999年、2000年) ** 1試合4二塁打(1994年9月11日)※タイ記録 ** 6年連続満塁本塁打(1995年 - 2000年)※タイ記録 ** 通算1000本安打史上最速達成:757試合目(1999年4月20日) ** 通算盗塁成功率:.858(199盗塁33盗塁死)※100盗塁以上対象 ** 首位打者:7回(1994年 - 2000年)※タイ記録 ** 月間MVP:10回 ** 全イニング出場首位打者(1995年)※1969年の[[王貞治]]に次ぐ史上2人目 ** 5年連続全試合出場首位打者(1994年 - 1998年) ** 7年連続打率.340以上首位打者(1994年 - 2000年) ** 7年連続首位打者(1994年 - 2000年) ** 3年連続[[最優秀選手 (野球)#日本プロ野球|シーズンMVP]](1994年 - 1996年)※タイ記録 ** 3年連続[[IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞]](1995年 - 1997年)※タイ記録 ** 2年連続[[正力松太郎賞]](1994年 - 1995年) ** [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]通算打率:.394(71打数28安打)※50打数以上対象 ** オールスター連続試合安打:11(1996年第3戦 - 2000年第3戦) ** オールスター連続試合フルイニング出場:17(1994年第1戦 - 2000年第3戦) * NPB[[パ・リーグ]]記録 ** シーズン最高打率:.387(2000年) ** シーズン最多単打:151(1994年) ** シーズン初回表先頭打者本塁打:5(1995年)※タイ記録 ** シーズン1試合4安打:8回(1996年) ** 最多安打:5回(1994年 - 1998年) ** 最多単打:3回(1994年 - 1996年)※タイ記録 ** 7年連続出塁率4割以上(1994年 - 2000年) ** 6年連続最多敬遠(1995年 - 2000年) ** 5年連続最多安打(1994年 - 1998年) ** 3年連続最多単打(1994年 - 1996年) ** 3年連続100得点以上(1994年 - 1996年)※タイ記録 * その他 ** [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスター]]出場:7回(1994年 - 2000年) ** 6年連続オールスター最多得票(1995年 - 2000年) ** 4年連続最多得点(1994年 - 1997年) ** 3年連続最多塁打(1994年 - 1996年) ** 3年連続得点圏打率リーグ1位(1996年 - 1998年) ** 連続試合出場:763(1994年4月9日 - 1999年8月24日) '''MLB''' * MLB記録 ** シーズン最多安打:262(2004年) ** シーズン最多単打:225(2004年) ** シーズン200安打・100得点・30盗塁:8回(2001年 - 2008年) ** シーズン200安打・100得点:8回(2001年 - 2008年)※タイ記録 ** シーズン200安打・30盗塁:8回(2001年 - 2008年) ** シーズン230安打以上:3回(2001年、2004年、2007年) ** シーズン5安打試合:4回(2004年)※20世紀以降タイ記録 ** シーズン月間50安打:3回(2004年5月・7月・8月) ** シーズン安打試合数最多:135(2001年)※タイ記録 ** ロードゲームシーズン最多安打:145(2004年) ** 最多単打:9回(2001年 - 2009年) ** 2か月連続月間50安打(2004年7月 - 8月) ** デビュー以来9年連続200安打(2001年 - 2009年) ** 9年連続200安打(2001年 - 2009年) ** 8年連続200安打・100得点・30盗塁(2001年 - 2008年) ** 8年連続200安打・100得点(2001年 - 2008年) ** 8年連続200安打・30盗塁(2001年 - 2008年) ** 8年連続100得点・30盗塁(2001年 - 2008年)※20世紀以降対象 ** 4年連続最多安打(2006年 - 2009年) ** 4年連続両リーグ最多安打(2006年 - 2009年) ** 9年連続最多単打(2001年 - 2009年) ** 6年連続両リーグ最多単打(2004年 - 2009年) ** 5年連続最多打数(2004年 - 2008年) ** 連続5シーズン安打1100本以上:5回(2001年 - 2005年、2002年 - 2006年、2003年 - 2007年、2004年 - 2008年、2005年 - 2009年) ** 連続9シーズン最多安打:2030(2001年 - 2009年) ** 連続8シーズン最多安打:1805(2001年 - 2008年) ** 連続7シーズン最多安打:1592(2001年 - 2007年) ** 連続6シーズン最多安打:1368(2004年 - 2009年) ** 連続5シーズン最多安打:1143(2004年 - 2008年) ** 連続4シーズン最多安打:930(2004年 - 2007年) * MLB[[アメリカンリーグ]]記録 ** 外野手通算守備率:.994(2001年 - 2007年)<ref>{{cite web |title=Outfielder Fielding Average Records |url=http://www.baseball-almanac.com/rb_offa.shtml |publisher=Baseball Almanac |language=英語 |accessdate=1月13日 |accessyear=2008年}}</ref> ** シーズン打席:762(2004年) ** シーズン連続盗塁成功:39(2006年) ** 連続盗塁成功:45(2006年4月29日 - 2007年5月16日) * MLB[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|新人]]記録 ** 新人最多安打および1年目選手最多安打:242(2001年) ** アメリカンリーグ新人最多単打およびアメリカンリーグ1年目選手最多単打:192(2001年) ** アメリカンリーグ新人最多打数および1年目選手最多打数:692(2001年) ** アメリカンリーグ1年目選手最高打率:.350(2001年) * 球団記録([[シアトル・マリナーズ]]) ** 通算打率:.333(2001年 - 2009年) ** 通算三塁打:68(2001年 - 2009年) ** 通算盗塁:341(2001年 - 2009年) ** 通算初回先頭打者本塁打:30(2001年 - 2009年) ** シーズン打率:.372(2004年) ** シーズン打数:704(2004年) ** シーズン打席:762(2004年) ** シーズン安打:262(2004年) ** シーズン単打:225(2004年) ** シーズン三塁打:12(2005年) ** シーズン出塁:315(2004年) ** シーズン敬遠四球:27(2002年) ** シーズン複数安打試合数:80(2004年) ** 1番打者シーズン打点:68(2005年、2007年) ** 外野手シーズン守備率:.998(2007年) ** 外野手1試合[[刺殺]]:11(2007年6月27日)※タイ記録 ** 月間6月打率:.427(2007年6月) ** 月間最多安打:56(2004年8月) ** 連続試合安打:27(2009年5月6日 - 6月3日) ** 連続2試合安打数:9(2004年9月21日 - 9月22日)※タイ記録 ** 新人最多得点:127(2001年) ** 新人最多三塁打:8(2001年) ** 新人最多塁打:316(2001年) ** 新人最多盗塁:56(2001年) ** 新人連続試合安打:23(2001年4月22日 - 5月18日) * その他 ** [[安打#最多安打|最多安打]]:6回(2001年、2004年、2006年 - 2009年) ** [[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場:9回(2001年 - 2009年)※2005年以外は先発出場、通算8度の1番での先発出場はオールスタータイ記録 ** 新人から3年連続オールスター最多得票(2001年 - 2003年)※史上初 ** オールスターでランニング本塁打(2007年)※史上初 ** 通算打率現役2位:.333(2009年シーズン終了時)※アメリカンリーグの現役選手中では1位** 通算盗塁成功率:.812(341盗塁79盗塁死)※300盗塁以上の現役選手中1位 ** 連続守備機会無失策:443(2006年9月8日 - 2007年9月12日) ** [[アメリカンリーグ]]地区シリーズ5試合最多安打:12(2001年)※タイ記録 == 出演 == === CM === * [[ハウス食品]] : 『とんがりコーン』 : 『[[バーモントカレー]]』 : 『ククレカレー』 * [[アサヒ飲料]] 『[[三ツ矢サイダー]]』(1996年 - 1999年) * [[佐藤製薬]] 『ユンケル』 * [[日産自動車]](1996年 - 2007年) : 『[[日産・ステージア|ステージア]]』 : <small>「幕開け」篇(イチロー篇)(2006年11月21日 - )</small> : <small>「雨」篇(イチロー篇)(2007年1月1日 - )</small> : 『[[日産・スカイライン|スカイライン]]』 : <small>「001 Skyline talk」篇 - 「003 Skyline talk」篇(2007年4月12日 - )</small> : <small>「004 Skyline talk」篇「SKYLINE「50周年」篇(2007年4月24日 - )</small> : <small>「005 Skyline talk」篇 - 「010 Skyline talk」篇(2007年5月5日 - )</small> : <small>「一本の道」篇(2008年12月3日 - )</small> : 『[[日産・スカイライン|スカイラインクーペ]]』 : <small>「PURE RED イチロー」篇(2007年10月3日 - )</small> * [[日興コーディアル証券]](2001年 - ) * [[サントリー]] 『[[ペプシコーラ]]』(2002年) : <small>「FEVER篇/BOOM篇」(2002年2月15日 - )</small> : <small>「イチローシズル篇」(2002年3月21日 - )</small> : <small>「イチローDIET篇」(2002年4月1日 - )</small> * [[任天堂]] 『[[ゲームキューブ]]』 * [[西日本電信電話|NTT西日本]] * [[新日本石油]] 『エネオス』 * [[日本電信電話|NTTグループ]] * [[アサヒビール]]<small>(WBC期間限定)</small> * [[住友林業]] * [[ミズノ]] * [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック]] - 2006年2月5日に放送された[[スーパーボウル]]中継の中でWBCのCMが放映された。[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]の[[ロジャー・クレメンス]]、[[デレク・ジーター]]、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表|ドミニカ代表]]の[[アルバート・プホルス]]、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・イタリア代表|イタリア代表]]の[[マイク・ピアッツァ]]らと共に、日本代表からイチローが出演。 * [[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]] - 前回に引き続き出演。[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]の[[デレク・ジーター]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ドミニカ共和国代表|ドミニカ代表]]の[[アレックス・ロドリゲス]]、[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック・メキシコ代表|メキシコ代表]]の[[ホルヘ・カントゥ]]と共に、日本代表として出演。 * [[キリンビール]] 『[[キリン一番搾り]]』(2009年-)共演:[[松嶋菜々子]] === テレビ番組 === * [[古畑任三郎#ファイナル|古畑任三郎・ファイナル]] 第41回「フェアな殺人者」(フジテレビ。2006年1月4日放送。本人役で出演) * [[ICHIRO-MONDOW 〜Two Chairs〜]](読売テレビ。2006年4月1日 - 2007年3月末) * [[ICHIRO-VERSUS]](読売テレビ。2007年4月7日 - 2008年3月末。上述番組の続編) * [[僕らの音楽 -OUR MUSIC-]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系。2007年2月23日放送回。[[椎名林檎]]との対談) * イチ流(年末年始恒例番組) * 日本人メジャーリーガーの群像(年末年始恒例番組) * [[プロフェッショナル 仕事の流儀]](2008年1月2日、1月22日) * [[日本における衛星放送#BSデジタル|BSデジタル]]の対談番組(ビートたけし、糸井重里、矢沢永吉との対談は書籍化されている) ** 2003年:[[ビートたけし]](北野武) ** 2004年:[[糸井重里]] ** 2005年:[[久米宏]] ** 2006年:[[矢沢永吉]] ** 2007年:[[黒木瞳]] === ファッション雑誌 === * ロフィシェル・ジャポン 2006年4月28日号 * GQ(アメリカ版)2007年 <ref>http://usbizdirect.blog64.fc2.com/blog-entry-282.html</ref> == イチローを論じた出版物 == マイ・フィールド・オブ・ドリームス ―イチローとアメリカの物語― (単行本) W.P. キンセラ (著), 井口 優子 (翻訳) フィールド・オブ・ドリームスを書いたW.P.キンセラによる著作 * 『イチロー・オン・イチロー ―Interview Special Edition』小松成美著 * 『イチロー、聖地へ』石田雄太著 * 『ICHIRO メジャーを震撼させた男』Bob Sherwin著 * 『キャッチボール ICHIRO meets you』糸井重里著監修 * 『イチロー思考―孤高を貫き、成功をつかむ77の工夫』児玉光雄著 * 『イチローイズム―僕が考えたこと、感じたこと、信じること』石田雄太著 * 『イチロー 「勝利の方程式」 〜常に進化し続ける男の考え方〜』永谷脩著 * 『イチローの流儀』小西慶三著 * 『イチロー262のメッセージ』 - [[プロゴルファー]][[宮里藍]]の愛読書として話題になり、20万部突破の[[ベストセラー]]になった。 * 『イチロー革命』[[ロバート・ホワイティング]]著、ISBN 978-4152085993 * 『イチローとわが家 ほんとうの話』[[鈴木宣之]]著、イチローの父親による著作 * 『溺愛―我が子イチロー』鈴木宣之著、イチローの父親による著作 * 『父と息子―イチローと私の二十一年』鈴木宣之著、イチローの父親による著作 * 『イチローに教えたこと、教えられたこと』中村豪著、愛工大名電在籍時の監督による著作、イチローが愛工大名電に進学することになった経緯、イチローの高校時代、プロで芽が出なかった時のエピソードに詳しい 他多数 == 関連項目 == * [[愛知県出身の人物一覧]] * [[オリックス・ブルーウェーブの選手一覧]] * [[日本人メジャーリーグ選手一覧]] * [[日本人メジャーリーガーが獲得したタイトル・表彰一覧]] * [[トニー・アタナシオ]] :イチローのメジャー契約に携わる[[代理人|スポーツエージェント]]。 * [[イチロー杯争奪学童軟式野球大会]] * [[アイ・ファイン]] :イチロー記念館。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 外部リンク == * [http://web.51channel.tv/ 51CHANNEL] - イチロー公式サイト * [http://www.bluewave.nu/ichiro51/index.html ICHIRO 51] - イチローの年度別打撃成績詳細 {{DEFAULTSORT:いちろう}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:MLBの日本人選手]] [[Category:オリックス・ブルーウェーブ及びその前身球団の選手]] [[Category:シアトル・マリナーズの選手]] [[Category:首位打者 (NPB)]] [[Category:打点王 (NPB)]] [[Category:盗塁王 (NPB)]] [[Category:最優秀選手 (MLB)]] [[Category:ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)]] [[Category:アメリカンリーグ首位打者]] [[Category:MLBオールスターゲーム選出選手]] [[Category:MLBオールスターゲームMVP]] [[Category:名球会]] [[Category:愛知県出身の人物]] [[Category:1973年生]] [[Category:天才]]